本能寺燃ゆ

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第五章「盲愛の寺」

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 二十九日、信長は上洛、未の刻(午後二時頃)に本能寺へと入った。

 本来は、一度に妙覚寺に入るつもりであったが、なぜかすでに信忠がいたので、そのまま本能寺に入ることにした。

 聞けば、『どうしても、狸退治の手伝いをしたい』とのこと。

「あの〝うつけ〟が、狸は儂と十兵衛で仕留めるというたのに。儂が神になる都合もあるのに、まったく………………、まあよい、三職のこともある、儂が神として復活すれば、すぐさま帝より太政大臣の宣下がおりようから、それを受けに行く手間も省けよう。そのまま妙覚寺に留まってもよいが、下手に手出しはするな、何があっても動じず、寺から出るなと、勘九郎には伝えよ。あと、狸らは?」

 予定通り、家康らも堺に入ったらしい。

 報せを聞いた信長は上機嫌で、明日はそれほど飲めないからと、神になるための前祝だと、明日の分までたらふく飲んで、乱らと騒いだ。

 それがたたったのか、翌朝は起きるのも遅く、起きても、

「少々頭が痛い、飲みすぎたかのう……」

 と、太若丸が作った二日酔いに効く薬湯を啜った。

「狸退治が楽しくて、加えて儂が神になると思うと興奮もしてな、いたたた、少々騒ぎすぎた」

 公家衆が挨拶したいと来ているが、追い返しますかと訊ねる。

「いや、いつものようにしておらねば、狸に怪しまれよう」

 訪れた数人の公家衆と会ったが、話は『三職すべてを受けるのは少々、それよりも前右府殿がどれかひとつ………………』ということであった。

 神になるつもりの信長は、これを適当に交わし、頭が痛いからと後の客は遠慮し、横になった。

 信忠もやってきたが、二日酔いで………………とは言えぬので、少々お風邪を召されようでと、遠慮してもらうことにした。

「この大事に、お風邪を? それはいかん、ならばは某が………………」

 と、無理に上がり込もうとするので、平にご容赦をと止めた。

「うむ……、仕方がない。それでは大殿には、お体にお気を付けくださいと、何かあれば、すぐさま駆けつけまするとお伝えくだされ」

 それでもしばし帰るのを渋っていたので、何か伝えたいことがあるのかと訊ねた。

「まあ、これは太若丸だから言うが………………」

 松姫を、この京に招いているという。

 この大事に、何故、斯様なことを?

「徳川成敗や中国攻めで、それどころではないのは分っておるが………………」

 太政大臣になれば、それ相応の正妻をつけねばならないだろう。

 現状、信忠には妾はいるが、正妻の立場となりうる女はいない。

 これに相応しいのは、やはり公家や有力武将の娘となろう。

 そうなる前に、松姫との婚儀を認めてもらい、正妻の座に置いておきたいと………………そこまで、松姫のことを想っていたのか………………呆れるというよりも、素直に感激してしまった。

 この人は、どこまで純粋というか………………

 それで、此度はその許しを貰うために、中国出陣の前に京へと入ったらしい。

 しかし、それをいまの大殿に話せば………………

「いや、これは某から直接話すので、聞かなかったことに」

 その方がいいでしょうと、太若丸も遠慮した。

 寝所に行くと、信長はすっかり良くなっていた。

「誰が来ておった?」

 信忠と答え、信長の体調を気にしていたと伝えた。

「左様か、なに、ひと眠りしたら、もうこの通り。腹が減った、湯漬けでも食うか」

 三杯も掻き込んだ。

 腹が満腹になると、気も良くなったらしく、

「狸らを招く仕度は整っておるか? 儂は、この着物でよいかのう? それとも、神になるならこの小袖か? どっちが似合う、乱丸よ」

 と、乱相手にはしゃいでいる。

 乱も、「こちらのほうが」「いえ、やはりこちらがお似合いで」と、きゃっきゃ、きゃっきゃと付き合っている。

「おお、そうじゃ、乱丸よ、油や薪、火薬も用意して、仕度を整えとけよ」

「もちろんにござりまする」

 家康、梅雪斎を屠ったあと、本能寺ごと燃やすらしい。

 その煙が天に届くようにと、火薬や油で燃やし尽くせとのことらしい。

 すでに、乱の弟たちが各所に薪を積みあげ、その隣には油の入った桶を置き、さらに火薬を巻き散らして、木っ端みじんにする仕度を整えていた。

 特に、その日家康と梅雪斎の寝所となる部屋には、床下にまで火薬をまぶした薪を敷き詰めたらしい。

 完全に息の根を止めるつもりだ。

「くくくくっ、狸め、肉も残らず焼き尽くしてくれる。はて、もう夕刻か? そろそろ狸が来るのではないか?」

 未の刻、まだまだだ。

「まだかのう? まだかのう?」

 まるで、子どもが正月でも待ちわびるようだ。

 だが、申の刻(午後四時頃)になっても姿を現さない。

 いらついてきた信長のもとに、堺衆の使いとして茶屋四郎次郎清忠ちゃやしろうじろうきよただ(中島清忠)がやってきたは、酉の刻からさらに半刻過ぎたころ(午後七時)であった。

 天王寺屋(津田)宗及の茶会が長引き、いまから出発しては夜も遅くなると、そのまま境に留まることろなったらしい。

「なんじゃと? 今宵には本能寺で落ち合うと言うたはずじゃぞ! 狸め、この儂の接待を断るというか! 狸の首根っこを掴んで、引き摺ってでも連れてこい! いや、この儂がその首を取りにゆく! 馬引けい!」

 信長は、いまにも飛び出しそうなほどの怒りだ。

 太若丸と乱とで、これを必死に抑える。

 ―― ここは焦ってはなにませぬ、鳴かぬといって、不如帰を切るのは簡単でござりまするが、いま焦ると、ここまでしてきたことが水の泡、不如帰が自ら鳴くのを待つ方が得策、たった一日ずれただけ、ここは落ち着いて、不如帰が罠に入ってくるまで待ちましょう………………と、太若丸は懸命に説き伏せる。

 信長もようやく落ち着き、

「うむ……、そうじゃな、楽しみが伸びただけじゃな。十兵衛に、明日に伸びたと使いを出せ。さて、そうとなればまた前祝のやり直しじゃ、酒じゃ、酒、ほら、おぬしらも飲むぞ」

 と、酒盛りを始めてしまった。

 危なかった………………ここで信長に動かれては、全ては水の泡だ ―― 太若丸は、十兵衛に使いを送る、もちろん決行の合図だ ―― 信忠が妙覚寺に宿泊していることも書き添えて。

 信長は、怒りと興奮、楽しみが入り混じったのか、昨夜よりも飲み方が早かった………………太若丸も、この後のことがあるので、杯が空けば、すかさず注ぎ込む。

 信長も、

「ほれ、杯が空いたぞ!」

 と、空っぽの杯をすぐに突き出す。

 そこにたっぷりと注ぐ。

 それを一気に呷る。

 それを何度も繰り返しても、

「まだまだ飲むぞ」

 と、一向に止む様子がない。

 家康を酔わすために用意した酒も、飲んでしまう勢いだ。

「殿、あまり飲まれると、明日の分が………………」

 乱の進言で、酒は止めになり、

「ならば、楽しむか」

 と、本来ならば家康の寝所となるはずであった部屋へと雪崩れ込んだ。
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