478 / 498
第五章「盲愛の寺」
91
しおりを挟む
今年の左義長も大いに盛り上がった翌日、熊野から報せが届いた。
「右衛門尉が……、亡くなったと?」
追放された佐久間信盛は、高野山から熊野へと移っていたようだ。
「病死か? それとも……」
「病死でござりまする」
熊野からの使番の言葉に、殿は開け放たれた障子から、しばし空を見つめた後、
「左様か……」
と、呟いた。
使番は様子を伺いながら、
「恐れながら………………、ご子息甚九郎殿のことでござりまするが………………」
「なんじゃ?」
「大殿に、お許しを頂きたいと。さすれば、私欲を捨て、織田家のために尽くすと申しておりまする」
殿は、しばし考えたのちに、
「あい分かった、許す。もともと甚九郎まで責めるつもりはなかったのだから。ただし、織田家の当主は勘九郎じゃ、勘九郎の下につける」
「ありがたき幸せ」
使番は、喜んで信栄のもとに帰っていった。
殿が、使番の背中を見送りながら、ぼそりと呟いたのを聞いた、「逝ったか………………」
織田家の重臣として、信秀、信長と親子二代にわたって仕え、信長と実弟信行が跡目争いになったときも、いち早く信長につき、その後も筆頭家老として権勢を奮った男の最期としては、あまりにも寂しいものであった。
数日後、信盛の息子信栄は嬉々として岐阜に参上し、信忠に礼を述べたという。
二十一日には、秀吉が宇喜多家の家臣を連れてきた。
当主宇喜多直家が亡くなったので、その息子秀家を新しい当主にすべく、殿に許しをもらいに来たそうだ。
以前の秀吉なら、殿の許しなく、勝手に秀家を当主にしていただろう。
だが、同じ轍は二度も踏まぬと、此度は慎重を期し、わざわざ安土まで許しをもらいにきたようだ。
「〝猿〟のやつめ、書状で良いものを、わざわざ来よって。胡麻擂りめ」
と、殿は笑っていたが。
二十五日、伊勢神宮の権禰宜である上部貞永が、式年遷宮の助力を願ってやってきた。
伊勢神宮は、内宮、外宮とあるが、ともに二十年おきに遷宮が繰り返されてきたそうだ。
だが、それもお金があってのことだ。
「それで、いつからできてないのだ?」
内宮は寛正三(一四六二)年、外宮は永享六(一四三四)年が最後だったそうだ。
神宮側が、お金を出してもらうように朝廷や幕府と何度も交渉したらしいが、まずは資金不足であるということと、そこに内宮が先か、外宮が先かで揉めたらしい。
それが永遠と続いて………………、
「それでも勅令で、外宮は永禄六(一五六三)年になんとか行うこととなりました」
「それでも二十年近く経つのか」
「内宮は、まだ仮宮のまま、なんとか上様のお力で遷宮をお願いいたしたのですが………………」
「いくら入用で?」
「一千貫ほど………………」
貞永は、恐る恐る口を開く。
「一千貫?」
殿が睨む。
「いえ、それほどあれば、あとは勧進で何とか………………」
「それで足りるのか? 先の石清水を修繕する際も、初めは三百貫で大丈夫だとか言っておったが、結局は一千貫かかったぞ。伊勢の遷宮だ、一千貫ではきくまい。勧進といって庶民の懐をいじめこともなかろう。とりあえず三千貫を出す。不足なら幾らでも出そう。岐阜の土蔵にも一万六千貫ほどあったろう、あれもだいぶ古くなって縄なども朽ちていよう、勘九郎に言うて、いま一度新しい縄で結わい、神宮が必要なときに出してやれと。そうじゃな、久右衛門(平井久右衛門)を奉行とする故、何事も相談して進めよ」
貞永は、喜んで帰っていった。
「神事も、意外に金がかかるものじゃな……、儂の神社を建てるときは、幾らほどかかるのじゃ?」
二十七日、織田信張率いる根来衆・和泉衆を雑賀に遣わす。
雑賀で、鈴木重秀と土橋胤継が対立。
重秀から、胤継を攻める許しを求めてきた。
これに応えて、殿は信張を送る。
胤継は攻め込まれて切腹、その息子たちが粟村に立て籠もった。
「右衛門尉が……、亡くなったと?」
追放された佐久間信盛は、高野山から熊野へと移っていたようだ。
「病死か? それとも……」
「病死でござりまする」
熊野からの使番の言葉に、殿は開け放たれた障子から、しばし空を見つめた後、
「左様か……」
と、呟いた。
使番は様子を伺いながら、
「恐れながら………………、ご子息甚九郎殿のことでござりまするが………………」
「なんじゃ?」
「大殿に、お許しを頂きたいと。さすれば、私欲を捨て、織田家のために尽くすと申しておりまする」
殿は、しばし考えたのちに、
「あい分かった、許す。もともと甚九郎まで責めるつもりはなかったのだから。ただし、織田家の当主は勘九郎じゃ、勘九郎の下につける」
「ありがたき幸せ」
使番は、喜んで信栄のもとに帰っていった。
殿が、使番の背中を見送りながら、ぼそりと呟いたのを聞いた、「逝ったか………………」
織田家の重臣として、信秀、信長と親子二代にわたって仕え、信長と実弟信行が跡目争いになったときも、いち早く信長につき、その後も筆頭家老として権勢を奮った男の最期としては、あまりにも寂しいものであった。
数日後、信盛の息子信栄は嬉々として岐阜に参上し、信忠に礼を述べたという。
二十一日には、秀吉が宇喜多家の家臣を連れてきた。
当主宇喜多直家が亡くなったので、その息子秀家を新しい当主にすべく、殿に許しをもらいに来たそうだ。
以前の秀吉なら、殿の許しなく、勝手に秀家を当主にしていただろう。
だが、同じ轍は二度も踏まぬと、此度は慎重を期し、わざわざ安土まで許しをもらいにきたようだ。
「〝猿〟のやつめ、書状で良いものを、わざわざ来よって。胡麻擂りめ」
と、殿は笑っていたが。
二十五日、伊勢神宮の権禰宜である上部貞永が、式年遷宮の助力を願ってやってきた。
伊勢神宮は、内宮、外宮とあるが、ともに二十年おきに遷宮が繰り返されてきたそうだ。
だが、それもお金があってのことだ。
「それで、いつからできてないのだ?」
内宮は寛正三(一四六二)年、外宮は永享六(一四三四)年が最後だったそうだ。
神宮側が、お金を出してもらうように朝廷や幕府と何度も交渉したらしいが、まずは資金不足であるということと、そこに内宮が先か、外宮が先かで揉めたらしい。
それが永遠と続いて………………、
「それでも勅令で、外宮は永禄六(一五六三)年になんとか行うこととなりました」
「それでも二十年近く経つのか」
「内宮は、まだ仮宮のまま、なんとか上様のお力で遷宮をお願いいたしたのですが………………」
「いくら入用で?」
「一千貫ほど………………」
貞永は、恐る恐る口を開く。
「一千貫?」
殿が睨む。
「いえ、それほどあれば、あとは勧進で何とか………………」
「それで足りるのか? 先の石清水を修繕する際も、初めは三百貫で大丈夫だとか言っておったが、結局は一千貫かかったぞ。伊勢の遷宮だ、一千貫ではきくまい。勧進といって庶民の懐をいじめこともなかろう。とりあえず三千貫を出す。不足なら幾らでも出そう。岐阜の土蔵にも一万六千貫ほどあったろう、あれもだいぶ古くなって縄なども朽ちていよう、勘九郎に言うて、いま一度新しい縄で結わい、神宮が必要なときに出してやれと。そうじゃな、久右衛門(平井久右衛門)を奉行とする故、何事も相談して進めよ」
貞永は、喜んで帰っていった。
「神事も、意外に金がかかるものじゃな……、儂の神社を建てるときは、幾らほどかかるのじゃ?」
二十七日、織田信張率いる根来衆・和泉衆を雑賀に遣わす。
雑賀で、鈴木重秀と土橋胤継が対立。
重秀から、胤継を攻める許しを求めてきた。
これに応えて、殿は信張を送る。
胤継は攻め込まれて切腹、その息子たちが粟村に立て籠もった。
1
お気に入りに追加
27
あなたにおすすめの小説

【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原
糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。
慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。
しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。
目指すは徳川家康の首級ただ一つ。
しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。
その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
故郷、甲賀で騒動を起こし、国を追われるようにして出奔した
若き日の滝川一益と滝川義太夫、
尾張に流れ着いた二人は織田信長に会い、織田家の一員として
天下布武の一役を担う。二人をとりまく織田家の人々のそれぞれの思惑が
からみ、紆余曲折しながらも一益がたどり着く先はどこなのか。
旧式戦艦はつせ
古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記
颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。
ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。
また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。
その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。
この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。
またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず…
大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
【重要】
不定期更新。超絶不定期更新です。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
【完結】月よりきれい
悠井すみれ
歴史・時代
職人の若者・清吾は、吉原に売られた幼馴染を探している。登楼もせずに見世の内情を探ったことで袋叩きにあった彼は、美貌に加えて慈悲深いと評判の花魁・唐織に助けられる。
清吾の事情を聞いた唐織は、彼女の情人の振りをして吉原に入り込めば良い、と提案する。客の嫉妬を煽って通わせるため、形ばかりの恋人を置くのは唐織にとっても好都合なのだという。
純心な清吾にとっては、唐織の計算高さは遠い世界のもの──その、はずだった。
嘘を重ねる花魁と、幼馴染を探す一途な若者の交流と愛憎。愛よりも真実よりも美しいものとは。
第9回歴史・時代小説大賞参加作品です。楽しんでいただけましたら投票お願いいたします。
表紙画像はぱくたそ(www.pakutaso.com)より。かんたん表紙メーカー(https://sscard.monokakitools.net/covermaker.html)で作成しました。

土方歳三ら、西南戦争に参戦す
山家
歴史・時代
榎本艦隊北上せず。
それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。
生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。
また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。
そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。
土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。
そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。
(「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる