本能寺燃ゆ

hiro75

文字の大きさ
上 下
471 / 498
第五章「盲愛の寺」

84

しおりを挟む
 翌朝登城すると、近習や小姓らが慌ただしく走り回っていた。

 近習の長谷川秀一をつかまえ、何事かと訊ねると、

「殿が、昨夜にお帰りになられたのですが………………」

 やはり、帰ってきたか。

 それで、無事にお迎えできたのですか?

 秀一は首を振った。

「殿のことだから、必ず夜にはお帰りになると、女房衆にはきつく申しておったのですが………………」

 鷹がいなくなって、大空を舞う雀のように羽を伸ばしたくなったのか、女房達は二ノ丸にいたり、桑実寺に薬師詣でに出かけたりと遊び惚けていたらしい。

 ああ……、それは………………、殿は、さぞお怒りであろう。

「ええ、それはもう」

 それで女房達は?

「二ノ丸にいた女房らは縛り上げ、いま座敷に押し込めておりまするが、よくて追放……、ですが、いまの殿だと悪くて………………」

 秀一は、己の首を手でちょんちょんとした。

 で、桑実寺のほうは?

「桑実寺に詣でていた女房たちは、帰ればどのような処罰を受けるかと恐れ、寺にそのまま。いま、寺の和尚かしょうから使いがきて、殿と会っておりまするが………………」

 秀一は、階上を指さす。

「なりませぬ!」

 この声は、乱か?

 階段をあがると、殿の前に、寺の坊主が平伏していた。

 その横で乱が仁王立ちし、坊主を怒鳴り上げている。

「殿の不在に城を守ることもせず、それぞれの持ち場も離れ、遊び惚けておるとは何事か! その上、殿のご帰還にお出迎えもせぬとは、女房衆として言語道断! 即刻、その者どもを差し出されい!」

「そこを、そこを何卒お慈悲を持って、お許しいただきたいと」

「なぜに寺方は、斯様に女房衆に肩入れなさるのか? もしや、怪しき所存がおありですか?」

「怪しき所存とは?」

「女房らを寺に招き、乱痴気騒ぎをなされておるのではありませぬか?」

「斯様なこと、断じてござらぬ!」

「嘘を申されぬな! 寺方と女房達が、淫らな行為に及んでいたと調べはあがっておるのですぞ!」

「誰が、斯様な讒言を?」

「だまらっしゃい! 最早寺も同罪、女房らとともに、寺方の不行届きにつき和尚も処断いたしまする」

「そんな、けったいな!」

「何がけったいか! そもそも桑実寺は、随分と荒れ果てていたのを、殿の過分のお慈悲を持って再興したのですぞ。その恩を忘れ、斯様な乱痴気騒ぎを起こすだけでなく、なおかつその罪を認めずに、それを許せなどと、言語道断! それだけでも大罪ですが、織田家内のことまで口を出してこようなどと、笑止千万! 本来ならば、寺の坊主を含め処断し、御堂も破却されても文句はいないのですよ、それを和尚だけの処分だけで許してやるという、殿のお慈悲に感謝すべきでございましょう」

「ご無体な。何卒、何卒、お慈悲を!」

 坊主は、涙ながらに懇願していたが、殿はその様子を興味なさそうに見ていた。

 すぐさま桑実寺に捕り方が使わされ、和尚と女房らは捕らえられ、二ノ丸で遊んでいた女房衆も含めて、首を斬られた。

 寺方が絡んだ件で、もうひとつあった。

 堀秀政の書状に、『和泉槇尾山施福寺、不届きのことあり』と。

 先般、秀政は殿から命じられ、和泉国の検地をおこなっていた。

 その対象は、貴賤に関係なく、寺方にまで及ぶ。

 施福寺にも、所有する土地の目録の提出を命じたが、寺方はこれを突っぱねたらしい。

 施福寺では、寺領を減らされることを恐れたらしい ―― 当然と言えば、当然、これまでも殿は、支配下に置いた土地で検地を行っているが、寺社方のあまりも大きな寺社領を削っている。

『寺が米や銭を溜め込んで何になる? 坊主は粥だけ啜ってればよいのじゃ。不要な米や銭があるから、叡山のような暴利を貪る生臭坊主どもがでるのじゃ』

 と、寺社方の力を削いでいるのである。

 秀政の書状を読んだ殿は、

「騒ぎを起こし、かつ検地を拒むとは不届き千万! 久太郎(秀政)に、すぐさま兵を向かわせ、逆らったものすべてを処罰し、寺を焼き払え!」

 と、命じた。

 施福寺の僧兵らは、戦う気満々であったようだ。

 木々の生い茂った山中にあり、山道も険しく、その道に沿うように激しい川が流れる ―― 立て籠もるにはもってこいだ。

 だが、堀秀政が大軍で山の裾野を取り囲むと、これは勝てぬと思ったのか、寺の什器等を持って早々に逃げ去ったとか。

「口ほどにもない奴らじゃ」と、殿は笑っていたが、「で、逃げたやつらは何処に?」

 秀政の話では、それぞれの縁を頼って逃げたとか。

「縁? どこの縁じゃ? あの寺は、何宗であったかのう?」

 天台宗である。

「となると、叡山か……、じゃが……」

 御山(比叡山)は、もうない。

 その縁を頼ることも難しいであろう。

 確か、施福寺は西国巡礼三十三か所のひとつであったはず。

 そのむかし、ここで空海が勤操ごんぞうを導師として出家したとも聞く。

 高野山とのつながりも深い。

「高野山か……、あれもでかい寺じゃな」

 寺領は九万貫(約十七万石)に迫り、僧兵だけでも三万近くはいると聞く。

「まったく、修行をおっぽり出して、酒や女子どもに溺れるわ、私腹を肥やすわ、侍もどきで武器を携えるわ、政事まつりごとに口を出すわで、坊主というやつらは、どいつもこいつも碌な奴がおらんな」

 摂津の残党が逃げ込んでいるという噂も耳にする。

「そのうち、兵を差し向けねばなるまいな」

 結局この施福寺は、堀秀政、津田(織田)信澄、蜂屋頼隆、松井友閑、惟住(丹羽)長秀らが検分して、使える資材を全て剥ぎ取り、あとは柱の一本も残らず燃やし尽くしてしまった。

「お堂のひとつでも残しておくと、またそこに良からぬものが住み着いて、砦としよう。左様なことがなきよう、すべて焼き払うのが良い」

 と、殿の言葉を書状に認め、十兵衛に送った。

 殿の近況を報せるためだけでなく、兼ねてより頼まれていた『軍法度』と『家中法度』の草案も送った。

 それを十兵衛のほうでさらに手を加え、最終的に決まった『軍法度』の写しを送ってきた。

 これを殿に見せ、『家中軍法』として発令してよいか伺ってくれとのことである。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
故郷、甲賀で騒動を起こし、国を追われるようにして出奔した 若き日の滝川一益と滝川義太夫、 尾張に流れ着いた二人は織田信長に会い、織田家の一員として 天下布武の一役を担う。二人をとりまく織田家の人々のそれぞれの思惑が からみ、紆余曲折しながらも一益がたどり着く先はどこなのか。

旧式戦艦はつせ

古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

大東亜戦争を有利に

ゆみすけ
歴史・時代
 日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

信忠 ~“奇妙”と呼ばれた男~

佐倉伸哉
歴史・時代
 その男は、幼名を“奇妙丸”という。人の名前につけるような単語ではないが、名付けた父親が父親だけに仕方がないと思われた。  父親の名前は、織田信長。その男の名は――織田信忠。  稀代の英邁を父に持ち、その父から『天下の儀も御与奪なさるべき旨』と認められた。しかし、彼は父と同じ日に命を落としてしまう。  明智勢が本能寺に殺到し、信忠は京から脱出する事も可能だった。それなのに、どうして彼はそれを選ばなかったのか? その決断の裏には、彼の辿って来た道が関係していた――。  ◇この作品は『小説家になろう(https://ncode.syosetu.com/n9394ie/)』『カクヨム(https://kakuyomu.jp/works/16818093085367901420)』でも同時掲載しています◇

処理中です...