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第五章「盲愛の寺」
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翌朝登城すると、近習や小姓らが慌ただしく走り回っていた。
近習の長谷川秀一をつかまえ、何事かと訊ねると、
「殿が、昨夜にお帰りになられたのですが………………」
やはり、帰ってきたか。
それで、無事にお迎えできたのですか?
秀一は首を振った。
「殿のことだから、必ず夜にはお帰りになると、女房衆にはきつく申しておったのですが………………」
鷹がいなくなって、大空を舞う雀のように羽を伸ばしたくなったのか、女房達は二ノ丸にいたり、桑実寺に薬師詣でに出かけたりと遊び惚けていたらしい。
ああ……、それは………………、殿は、さぞお怒りであろう。
「ええ、それはもう」
それで女房達は?
「二ノ丸にいた女房らは縛り上げ、いま座敷に押し込めておりまするが、よくて追放……、ですが、いまの殿だと悪くて………………」
秀一は、己の首を手でちょんちょんとした。
で、桑実寺のほうは?
「桑実寺に詣でていた女房たちは、帰ればどのような処罰を受けるかと恐れ、寺にそのまま。いま、寺の和尚から使いがきて、殿と会っておりまするが………………」
秀一は、階上を指さす。
「なりませぬ!」
この声は、乱か?
階段をあがると、殿の前に、寺の坊主が平伏していた。
その横で乱が仁王立ちし、坊主を怒鳴り上げている。
「殿の不在に城を守ることもせず、それぞれの持ち場も離れ、遊び惚けておるとは何事か! その上、殿のご帰還にお出迎えもせぬとは、女房衆として言語道断! 即刻、その者どもを差し出されい!」
「そこを、そこを何卒お慈悲を持って、お許しいただきたいと」
「なぜに寺方は、斯様に女房衆に肩入れなさるのか? もしや、怪しき所存がおありですか?」
「怪しき所存とは?」
「女房らを寺に招き、乱痴気騒ぎをなされておるのではありませぬか?」
「斯様なこと、断じてござらぬ!」
「嘘を申されぬな! 寺方と女房達が、淫らな行為に及んでいたと調べはあがっておるのですぞ!」
「誰が、斯様な讒言を?」
「だまらっしゃい! 最早寺も同罪、女房らとともに、寺方の不行届きにつき和尚も処断いたしまする」
「そんな、けったいな!」
「何がけったいか! そもそも桑実寺は、随分と荒れ果てていたのを、殿の過分のお慈悲を持って再興したのですぞ。その恩を忘れ、斯様な乱痴気騒ぎを起こすだけでなく、なおかつその罪を認めずに、それを許せなどと、言語道断! それだけでも大罪ですが、織田家内のことまで口を出してこようなどと、笑止千万! 本来ならば、寺の坊主を含め処断し、御堂も破却されても文句はいないのですよ、それを和尚だけの処分だけで許してやるという、殿のお慈悲に感謝すべきでございましょう」
「ご無体な。何卒、何卒、お慈悲を!」
坊主は、涙ながらに懇願していたが、殿はその様子を興味なさそうに見ていた。
すぐさま桑実寺に捕り方が使わされ、和尚と女房らは捕らえられ、二ノ丸で遊んでいた女房衆も含めて、首を斬られた。
寺方が絡んだ件で、もうひとつあった。
堀秀政の書状に、『和泉槇尾山施福寺、不届きのことあり』と。
先般、秀政は殿から命じられ、和泉国の検地をおこなっていた。
その対象は、貴賤に関係なく、寺方にまで及ぶ。
施福寺にも、所有する土地の目録の提出を命じたが、寺方はこれを突っぱねたらしい。
施福寺では、寺領を減らされることを恐れたらしい ―― 当然と言えば、当然、これまでも殿は、支配下に置いた土地で検地を行っているが、寺社方のあまりも大きな寺社領を削っている。
『寺が米や銭を溜め込んで何になる? 坊主は粥だけ啜ってればよいのじゃ。不要な米や銭があるから、叡山のような暴利を貪る生臭坊主どもがでるのじゃ』
と、寺社方の力を削いでいるのである。
秀政の書状を読んだ殿は、
「騒ぎを起こし、かつ検地を拒むとは不届き千万! 久太郎(秀政)に、すぐさま兵を向かわせ、逆らったものすべてを処罰し、寺を焼き払え!」
と、命じた。
施福寺の僧兵らは、戦う気満々であったようだ。
木々の生い茂った山中にあり、山道も険しく、その道に沿うように激しい川が流れる ―― 立て籠もるにはもってこいだ。
だが、堀秀政が大軍で山の裾野を取り囲むと、これは勝てぬと思ったのか、寺の什器等を持って早々に逃げ去ったとか。
「口ほどにもない奴らじゃ」と、殿は笑っていたが、「で、逃げたやつらは何処に?」
秀政の話では、それぞれの縁を頼って逃げたとか。
「縁? どこの縁じゃ? あの寺は、何宗であったかのう?」
天台宗である。
「となると、叡山か……、じゃが……」
御山(比叡山)は、もうない。
その縁を頼ることも難しいであろう。
確か、施福寺は西国巡礼三十三か所のひとつであったはず。
そのむかし、ここで空海が勤操を導師として出家したとも聞く。
高野山とのつながりも深い。
「高野山か……、あれもでかい寺じゃな」
寺領は九万貫(約十七万石)に迫り、僧兵だけでも三万近くはいると聞く。
「まったく、修行をおっぽり出して、酒や女子どもに溺れるわ、私腹を肥やすわ、侍もどきで武器を携えるわ、政事に口を出すわで、坊主というやつらは、どいつもこいつも碌な奴がおらんな」
摂津の残党が逃げ込んでいるという噂も耳にする。
「そのうち、兵を差し向けねばなるまいな」
結局この施福寺は、堀秀政、津田(織田)信澄、蜂屋頼隆、松井友閑、惟住(丹羽)長秀らが検分して、使える資材を全て剥ぎ取り、あとは柱の一本も残らず燃やし尽くしてしまった。
「お堂のひとつでも残しておくと、またそこに良からぬものが住み着いて、砦としよう。左様なことがなきよう、すべて焼き払うのが良い」
と、殿の言葉を書状に認め、十兵衛に送った。
殿の近況を報せるためだけでなく、兼ねてより頼まれていた『軍法度』と『家中法度』の草案も送った。
それを十兵衛のほうでさらに手を加え、最終的に決まった『軍法度』の写しを送ってきた。
これを殿に見せ、『家中軍法』として発令してよいか伺ってくれとのことである。
近習の長谷川秀一をつかまえ、何事かと訊ねると、
「殿が、昨夜にお帰りになられたのですが………………」
やはり、帰ってきたか。
それで、無事にお迎えできたのですか?
秀一は首を振った。
「殿のことだから、必ず夜にはお帰りになると、女房衆にはきつく申しておったのですが………………」
鷹がいなくなって、大空を舞う雀のように羽を伸ばしたくなったのか、女房達は二ノ丸にいたり、桑実寺に薬師詣でに出かけたりと遊び惚けていたらしい。
ああ……、それは………………、殿は、さぞお怒りであろう。
「ええ、それはもう」
それで女房達は?
「二ノ丸にいた女房らは縛り上げ、いま座敷に押し込めておりまするが、よくて追放……、ですが、いまの殿だと悪くて………………」
秀一は、己の首を手でちょんちょんとした。
で、桑実寺のほうは?
「桑実寺に詣でていた女房たちは、帰ればどのような処罰を受けるかと恐れ、寺にそのまま。いま、寺の和尚から使いがきて、殿と会っておりまするが………………」
秀一は、階上を指さす。
「なりませぬ!」
この声は、乱か?
階段をあがると、殿の前に、寺の坊主が平伏していた。
その横で乱が仁王立ちし、坊主を怒鳴り上げている。
「殿の不在に城を守ることもせず、それぞれの持ち場も離れ、遊び惚けておるとは何事か! その上、殿のご帰還にお出迎えもせぬとは、女房衆として言語道断! 即刻、その者どもを差し出されい!」
「そこを、そこを何卒お慈悲を持って、お許しいただきたいと」
「なぜに寺方は、斯様に女房衆に肩入れなさるのか? もしや、怪しき所存がおありですか?」
「怪しき所存とは?」
「女房らを寺に招き、乱痴気騒ぎをなされておるのではありませぬか?」
「斯様なこと、断じてござらぬ!」
「嘘を申されぬな! 寺方と女房達が、淫らな行為に及んでいたと調べはあがっておるのですぞ!」
「誰が、斯様な讒言を?」
「だまらっしゃい! 最早寺も同罪、女房らとともに、寺方の不行届きにつき和尚も処断いたしまする」
「そんな、けったいな!」
「何がけったいか! そもそも桑実寺は、随分と荒れ果てていたのを、殿の過分のお慈悲を持って再興したのですぞ。その恩を忘れ、斯様な乱痴気騒ぎを起こすだけでなく、なおかつその罪を認めずに、それを許せなどと、言語道断! それだけでも大罪ですが、織田家内のことまで口を出してこようなどと、笑止千万! 本来ならば、寺の坊主を含め処断し、御堂も破却されても文句はいないのですよ、それを和尚だけの処分だけで許してやるという、殿のお慈悲に感謝すべきでございましょう」
「ご無体な。何卒、何卒、お慈悲を!」
坊主は、涙ながらに懇願していたが、殿はその様子を興味なさそうに見ていた。
すぐさま桑実寺に捕り方が使わされ、和尚と女房らは捕らえられ、二ノ丸で遊んでいた女房衆も含めて、首を斬られた。
寺方が絡んだ件で、もうひとつあった。
堀秀政の書状に、『和泉槇尾山施福寺、不届きのことあり』と。
先般、秀政は殿から命じられ、和泉国の検地をおこなっていた。
その対象は、貴賤に関係なく、寺方にまで及ぶ。
施福寺にも、所有する土地の目録の提出を命じたが、寺方はこれを突っぱねたらしい。
施福寺では、寺領を減らされることを恐れたらしい ―― 当然と言えば、当然、これまでも殿は、支配下に置いた土地で検地を行っているが、寺社方のあまりも大きな寺社領を削っている。
『寺が米や銭を溜め込んで何になる? 坊主は粥だけ啜ってればよいのじゃ。不要な米や銭があるから、叡山のような暴利を貪る生臭坊主どもがでるのじゃ』
と、寺社方の力を削いでいるのである。
秀政の書状を読んだ殿は、
「騒ぎを起こし、かつ検地を拒むとは不届き千万! 久太郎(秀政)に、すぐさま兵を向かわせ、逆らったものすべてを処罰し、寺を焼き払え!」
と、命じた。
施福寺の僧兵らは、戦う気満々であったようだ。
木々の生い茂った山中にあり、山道も険しく、その道に沿うように激しい川が流れる ―― 立て籠もるにはもってこいだ。
だが、堀秀政が大軍で山の裾野を取り囲むと、これは勝てぬと思ったのか、寺の什器等を持って早々に逃げ去ったとか。
「口ほどにもない奴らじゃ」と、殿は笑っていたが、「で、逃げたやつらは何処に?」
秀政の話では、それぞれの縁を頼って逃げたとか。
「縁? どこの縁じゃ? あの寺は、何宗であったかのう?」
天台宗である。
「となると、叡山か……、じゃが……」
御山(比叡山)は、もうない。
その縁を頼ることも難しいであろう。
確か、施福寺は西国巡礼三十三か所のひとつであったはず。
そのむかし、ここで空海が勤操を導師として出家したとも聞く。
高野山とのつながりも深い。
「高野山か……、あれもでかい寺じゃな」
寺領は九万貫(約十七万石)に迫り、僧兵だけでも三万近くはいると聞く。
「まったく、修行をおっぽり出して、酒や女子どもに溺れるわ、私腹を肥やすわ、侍もどきで武器を携えるわ、政事に口を出すわで、坊主というやつらは、どいつもこいつも碌な奴がおらんな」
摂津の残党が逃げ込んでいるという噂も耳にする。
「そのうち、兵を差し向けねばなるまいな」
結局この施福寺は、堀秀政、津田(織田)信澄、蜂屋頼隆、松井友閑、惟住(丹羽)長秀らが検分して、使える資材を全て剥ぎ取り、あとは柱の一本も残らず燃やし尽くしてしまった。
「お堂のひとつでも残しておくと、またそこに良からぬものが住み着いて、砦としよう。左様なことがなきよう、すべて焼き払うのが良い」
と、殿の言葉を書状に認め、十兵衛に送った。
殿の近況を報せるためだけでなく、兼ねてより頼まれていた『軍法度』と『家中法度』の草案も送った。
それを十兵衛のほうでさらに手を加え、最終的に決まった『軍法度』の写しを送ってきた。
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