本能寺燃ゆ

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第五章「盲愛の寺」

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 二月二十八日、快晴である。

 当然だ、この日のために祈祷させたのだから ―― 太若丸も、殿から当日雨が降らないようにしろと、また無理難題を課せられ、見よう見まねで祈祷してみたが、まあ、それが効いたのか、はたまた他の僧侶や陰陽師たちの祈祷に効果があったのか、とりあえず、晴れてよかった ―― 晴れなければ、今頃全員三途の川を渡っていただろう。

 内裏の東に、南北八町(約八百八十メートル)ほどの馬場を築き、四方を毛氈でくるんだ柱で取り囲んだ。

 内裏東門の築地の外に、仮の宮殿を建てた ―― 仮とはいいながら、金銀で飾り立てられている。

 辰の刻(午前八時頃)、帝が仮宮に入ったとの報せを聞き、

「うむ、出陣じゃ!」

 と、殿は戦の時以上に声を張り上げ、号令をかけた。

 本能寺を出て、室町通りを北へ北へとあがり、一条を東に折れて馬場へと入る ―― 沿道には、吾らの馬揃えを一目見ようと、貴賤に関係なく人だかりとなり、歓声をあげていた。

 馬場への入場の一番手は、織田家家臣団次席の惟住(丹羽)長秀と、彼が率いる摂津衆・若狭衆、西岡の革島一宜かわしまかずのぶである。

 二番手は、蜂屋頼隆率いる河内衆・和泉衆、根来の大ガ塚衆、佐野衆。

 三番手は、吾らが十兵衛 ―― 惟任(明智)光秀率いる大和衆、上山城衆 ―― 十兵衛もここぞとばかり着飾っていた ―― 改めて惚れ直してしまった。

 四番手は、村井貞成率いる根来衆・上山城衆。

 家臣団が終わると、織田家連枝衆の入場がはじまった。

 織田家当主信忠が騎馬八十騎と、美濃衆・尾張衆を連れて入っていくと、桟敷席からより一層の歓声があがった。

 信忠の得意面々の顔が浮かぶ。

 それに続いて、北畠信意(信雄)が騎馬三十騎と伊勢衆、織田信包が十騎、神戸信孝が十騎、津田信澄が十騎と引付けれて入場、そのあとに長益、長利、信弌、信照、信氏、忠頼、信次と単騎で続いた。

 一門のあとは、公家衆である ―― 殿と縁の深い近衛前久、正親町季秀、烏丸光宣からすまるみつのぶ日野輝資ひのてるすけ高倉永孝たかくらながたか

 続いて、旧幕臣の細川昭元、細川藤賢、伊勢貞景いせさだかげ一色満信いっしきみつのぶ小笠原長時おがさわらながとき

 続いて馬廻衆、小姓衆十五騎。

 騎馬の最後は、筆頭家老柴田勝家率いる越前衆 ―― 柴田勝豊かつとよ(勝家の甥で、養子)、柴田勝政まつまさ(勝家の養子)、不破光治、前田利家、金森長近、原長頼はらながより

 騎馬が終わると、平井久右衛門と中野一安が率いるお弓衆。

 そのあとに、殿の馬がお披露目された ―― 厩奉行青地与右衛門あおちよえもんと、中間たちが殿に献上された名馬を次々に引き攣れて出てきた。

 殿の出番の前に先払いとして、山姥の扮装をした武井夕庵たけいせきあん、坊主衆の楠長諳、楠長雲ちょううん、松井友関が入場。

 そのあとに、市若いちわかを頭として、男たちが殿の豪華な椅子を担いで入場した。

 さあ、いよいよ殿の出番 ―― お付きである吾らの出番でもある。

 殿は、もちろん金に糸目をつけずに集めた逸品ばかり ―― 紅梅文と白地に桐唐草文の段違いの小袖、さらに袖口を金糸であしらった蜀江錦の小袖を重ね着して、桐唐草文の紅地の緞子で仕立てた肩衣と袴を身に着け、腰に牡丹の造花をさし、金紗の母衣を靡かせ、頭には唐冠を被った。

 馬は、大黒である。

 殿の左右には、お先小姓として太若丸と乱が陣取った。

 太若丸は殿の左、その後ろにお小人衆六人が続く ―― 杖持ちは北若、薙刀持ちはひしや、行縢持ちは小市若。

 右は乱で、その後ろに同じく六人のお小人衆 ―― 行縢持ちは小駒若、太刀持ちは糸若、薙刀持ちはたいとう。

 殿の後ろには、お小姓衆二十七名が付き従った。

 乱をはじめ、他の小姓たちも、ここぞとばかりに張り切っている ―― 赤い小袖に、白地の肩衣、黒皮の袴、髪を結い上げ、さっそうと馬でゆく姿に、町の女子たちから黄色い歓声があがる。

 とくに、太若丸と乱への声援が多かった。

 太若丸は、ひどく緊張していた。

 馬は、正直あまり得意ではない。

 以前、町屋の女らの歓声で馬が暴れ、落ちた経験もある ―― おまけにその馬に踏まれそうになったことも、間一髪で乱に助けられたが。

 馬場の近くまでくると、左馬助らが忙しく働いているのが見えた ―― 十兵衛はいないようだ。

 十兵衛の顔を見れば、少しは落ち着くかと思ったが、いないので、さらに緊張してきた。

 隣の乱が、

「大丈夫ですか? 顔色が、あまりすぐれないようですが?」

 と、心配そうに顔を覗き込む。

 何事もないと、そっぽを向くが、

「こちらを向いてください」

 何かと向くと、乱が小指につけた紅を、太若丸の口元に塗った。

「やはり、太若丸様はこのほうが美しいですよ」

 と、そのまま己の口にも紅を塗る。

「お守りです」

 と、紅を懐にしまった。

 呆然としていると、

「出番ですよ」

 乱が馬を歩ませたので、太若丸も慌てて鐙を蹴った。

 信長の一団が登場すると、桟敷からより一層の歓声があがった。

 やんごとなき方々が身を乗りだして見ている。

 女房の方々も、御簾を少し持ち上げたり、扇の端から顔を少し出して、こちらをしっかりと見ているのが分かる。

 帝は………………さすがに御簾は下がったままで、お姿を見ることはできなかったが………………きっとご満足されていることだろう。

 殿も、なんとも満足そうな笑顔で、仮宮や桟敷のほうへ手を振っていた。

 殿が手を振ると、桟敷からはいっそう歓声が上がった。

 なんとか、無事に馬を乗り越し、馬場を出ることができた。

 馬場を出ると、十兵衛が笑顔で待っていた。

「ご苦労様です」

 その笑顔を見ただけで、緊張もすぐに解けた。

「十兵衛、此度の馬揃え、上々である」、殿は笑顔でいった、「帝も、さぞやご機嫌麗しかろう」

「左様であれば、よろしいのですが」

「この後は、どうなっておる?」

「矢代(矢代勝介やしろかつすけ)に、馬術を披露させまするが」

「うむ、儂も走るかの。織田一門が、いかに馬を操れるか、帝らに見せてやろう」

 急遽、殿と三人の息子たちも参加して、馬術を披露。

 最後は、駆け足で馬を行進させ、馬揃えは無事に終わった。

 帝からも『斯様な面白い催しを見ることができて、大変嬉しい』との勅使をいただき、馬揃えは大成功である。

 都における織田家の株は、うなぎ登りである ―― もちろん、これを差配した十兵衛もである。

 この馬揃え、あまりにも好評で、再度見たいと帝からお達しがあり、三月五日に選ばれた五百騎で行進をした。

 七日、帝(正親町天皇)より内々のご沙汰があった ―― 殿を左大臣として推任すると。

 見事な馬揃えを見せてくれたことへの礼か?

 それとも、あれほどの兵と馬を見せつけられて、誰が天下人か、ようやく分かったか?

「おめでとうござります」

 と、近習や小姓たちが喜んだ。

 殿は、浮かない顔をしていたが。

「受けるべきか? 否か? 太若丸よ、如何に考える?」

 太政大臣が空席のいま、左大臣が最高冠位となる ―― すなわち、殿が天下人である。

 ただし、左大臣になるということは、朝廷みかどに組み込まれることとなるが………………

 仮に、殿はまことに〝神〟となりたいというのなら、これは受け入れないほうが良いのではないか?

「うむ、儂もそう思う。かと言って、この推任を断ったとなっては、帝も良い気はなされぬであろう。なんぞ、良い断り方はないか?」

 これまた、面倒なことを………………太若丸は考える。

 帝のご機嫌を損ねず、かつ殿の顔にも泥を塗らず………………さすれば………………、現左大臣は一条内基いちじょううちもとであるが、殿がこれにつくとなると、内基は外される、それはまた遺恨を残すであろう、であれば、帝が変わられたときに、左大臣も一新するとなれば、これも少しは緩和できるのでは………………

「帝に、譲位を促すか……」

 仮に譲位となっても、儀式などで金が必要だ。

 いまの朝廷みかどに、それを催すほどの金はない ―― 当然、殿の力が必要だ ―― 殿が金を出さない以上は、譲位はない。

「なるほど……、冠位も譲位も、儂次第ということか、それは面白い」

 思い付きだったが、殿は『帝が譲位なされ、親王(誠仁親王)が即位なされた』と断ったらしい。

 が、意外に食いついてきた。

 その条件を飲むという………………というわけで、銭を出せという。

「まったく……」

 と、殿は苦笑いしていた。

 太若丸は、申し訳ございませんと頭を下げた。

「いや、太若丸のせいではない。ゆくゆくは親王を次の帝にと思っておったところじゃからのう。しかし、こうも早いとな………………」

 相手の言うがままは、気に食わない。

 しかも、馬揃えで結構な入用だったので、早々にはできない。

「仕方がない、ともかくその条件を飲むか……」

 と、朝廷みかどに返事を送ったが、

「太若丸よ、何とかことを延ばす策を考えてくれ」

 この一件は、持ち越しになった。
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