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第五章「盲愛の寺」
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明けて天正九(一五八一)年、武将らの新年の挨拶は免除となり、近々のものだけで正月を過ごした。
殿は、酷く陽気で、
「よし、馬駆けをするぞ、仕度をさせろ」
と、唐突に言い出し、馬廻りの連中が慌てていたが、結局雨が降り出してこれは取り止めとなり、
「うむ、仕方がない、酒でも飲むか」
と、宴会になった。
「久右衛門(菅屋長頼)、久太郎(堀秀政)、竹(長谷川秀一)、飲め飲め! 無礼講じゃ!」
殿は、ぐいぐいと酒をあけ、近習たちにも進める。
長頼らは、
「ありがたき幸せ」
と、殿自ら注いだ酒を受け取るが、ちょっと口をつけただけ、ちらちらと殿の様子を伺っている。
近習だから、〝無礼講〟と言われても、殿の前で深酒はできない。
殿の性格を熟知していれば、斯様なときでも構えていなければならない………………というか、信盛らが追放されて、その緊張がより一層鮮明になったような………………
案の定、突然殿が、
「馬場を……、造るか」
と、言い出した。
「馬場? 何処に?」
「松原の……西の辺りはどうじゃ、久右衛門?」
「承知!」
と、頼長と秀政、秀一はすぐに立ち上がって、現場に赴いていった。
まあ、殿と緊張して酒を飲むよりは、正月であろうが仕事をしていたほうが良いか。
「ん? あいつらどこへいった?」
と、殿は不満げに酒を飲んでいたが………………
次の日は、殿が鷹狩りで取った雁や鶴の肉を、安土の町衆に分け与えた。
殿自ら町衆に手渡し、町衆もお礼にと沙々貴神社で能を催した ―― 貴賤に拘らず、町衆に交じって大騒ぎする様子は、まさに極楽………………殿は、こういう世の中を望んでいるのだろうか?
十兵衛が顔を出したのは、一月も終わりに入ってである。
「右衛門尉は……、如何に出るか?」
殿は、将棋の駒を手に持ち、打ちどころを探りながら訊ねる。
「いまは、高野山に?」
「みたいだな……」
ぱちりと、乾いた音が響き渡る。
十兵衛は、ぐっと屈みこみ、盤上を眺めながら、
「間者を……、送りまするか?」
ぱちりと音がした。
殿は、うっと眉を歪める。
「やるな……」、殿は扇子で頭をぽんぽんと叩きながら、「いや、そこまでせんでよかろう。あれも良い歳、高野の山中は雪深く、寒い、そう持つまいて」
「しかし、息子の甚九郎(信栄)殿がおりまするが………………」
「あれまで罰するつもりはなかったのじゃが……、行きがかり上、仕方があるまい」
殿はひらめいたのか、にやりと笑って、次の一手を差し込んだ。
「まあ、平身低頭謝ってくるのであれば、考え直してやろう」
今度は、十兵衛が考え込む。
「右衛門尉(信盛)、佐渡(秀貞)らがいなくなり、家内の様子も変えねばならぬな」
「佐久間様の持っておられた与力らは、如何になさるので?」
信盛の下には、尾張衆、三河衆、近江衆、大和衆、和泉衆、河内衆、紀伊衆と、東海から畿内までの有力な与力をつけていた。
「和泉は……、兵庫(蜂屋頼隆)につける。あれも、織田家のために懸命に働いておる、少しはそれに答えてやらんといかんだろう、〝ご恩と奉公〟であろう、十兵衛」
「左様で」
「あとは……、十兵衛、おぬしに任せる」
「某に?」
「尾張他五衆では、不服か?」
「滅相もございませぬ。ありがたき幸せ」
つまりは、十兵衛に丹波・丹後だけでなく、畿内まで任せるということ………………織田家のなかでも、もとも大きな一団となった。
「当面は、東は伊予(滝川一益)に、北は修理亮(柴田勝家)、西は……とりあえず〝猿〟(羽柴秀吉)に任せ、そなたには天下周辺を差配させる」
その言葉………………信じて良いものか?
「殿は……、三位中将様は、如何様に?」
十兵衛も、そこが知りたいらしい。
「勘九郎(信忠)は、岐阜にあって、織田家の全般の指揮をとらせるが、なにかあるか?」
十兵衛は、別段と首を振り、『ぱちん!』と酷く激しい音を立てた。
欄干にいた雀が驚き、飛び立ったほどだ。
十兵衛に天下の差配を任せるが、その上に信忠がいる ―― この状況、どう考えればよいのか?
殿は、酷く陽気で、
「よし、馬駆けをするぞ、仕度をさせろ」
と、唐突に言い出し、馬廻りの連中が慌てていたが、結局雨が降り出してこれは取り止めとなり、
「うむ、仕方がない、酒でも飲むか」
と、宴会になった。
「久右衛門(菅屋長頼)、久太郎(堀秀政)、竹(長谷川秀一)、飲め飲め! 無礼講じゃ!」
殿は、ぐいぐいと酒をあけ、近習たちにも進める。
長頼らは、
「ありがたき幸せ」
と、殿自ら注いだ酒を受け取るが、ちょっと口をつけただけ、ちらちらと殿の様子を伺っている。
近習だから、〝無礼講〟と言われても、殿の前で深酒はできない。
殿の性格を熟知していれば、斯様なときでも構えていなければならない………………というか、信盛らが追放されて、その緊張がより一層鮮明になったような………………
案の定、突然殿が、
「馬場を……、造るか」
と、言い出した。
「馬場? 何処に?」
「松原の……西の辺りはどうじゃ、久右衛門?」
「承知!」
と、頼長と秀政、秀一はすぐに立ち上がって、現場に赴いていった。
まあ、殿と緊張して酒を飲むよりは、正月であろうが仕事をしていたほうが良いか。
「ん? あいつらどこへいった?」
と、殿は不満げに酒を飲んでいたが………………
次の日は、殿が鷹狩りで取った雁や鶴の肉を、安土の町衆に分け与えた。
殿自ら町衆に手渡し、町衆もお礼にと沙々貴神社で能を催した ―― 貴賤に拘らず、町衆に交じって大騒ぎする様子は、まさに極楽………………殿は、こういう世の中を望んでいるのだろうか?
十兵衛が顔を出したのは、一月も終わりに入ってである。
「右衛門尉は……、如何に出るか?」
殿は、将棋の駒を手に持ち、打ちどころを探りながら訊ねる。
「いまは、高野山に?」
「みたいだな……」
ぱちりと、乾いた音が響き渡る。
十兵衛は、ぐっと屈みこみ、盤上を眺めながら、
「間者を……、送りまするか?」
ぱちりと音がした。
殿は、うっと眉を歪める。
「やるな……」、殿は扇子で頭をぽんぽんと叩きながら、「いや、そこまでせんでよかろう。あれも良い歳、高野の山中は雪深く、寒い、そう持つまいて」
「しかし、息子の甚九郎(信栄)殿がおりまするが………………」
「あれまで罰するつもりはなかったのじゃが……、行きがかり上、仕方があるまい」
殿はひらめいたのか、にやりと笑って、次の一手を差し込んだ。
「まあ、平身低頭謝ってくるのであれば、考え直してやろう」
今度は、十兵衛が考え込む。
「右衛門尉(信盛)、佐渡(秀貞)らがいなくなり、家内の様子も変えねばならぬな」
「佐久間様の持っておられた与力らは、如何になさるので?」
信盛の下には、尾張衆、三河衆、近江衆、大和衆、和泉衆、河内衆、紀伊衆と、東海から畿内までの有力な与力をつけていた。
「和泉は……、兵庫(蜂屋頼隆)につける。あれも、織田家のために懸命に働いておる、少しはそれに答えてやらんといかんだろう、〝ご恩と奉公〟であろう、十兵衛」
「左様で」
「あとは……、十兵衛、おぬしに任せる」
「某に?」
「尾張他五衆では、不服か?」
「滅相もございませぬ。ありがたき幸せ」
つまりは、十兵衛に丹波・丹後だけでなく、畿内まで任せるということ………………織田家のなかでも、もとも大きな一団となった。
「当面は、東は伊予(滝川一益)に、北は修理亮(柴田勝家)、西は……とりあえず〝猿〟(羽柴秀吉)に任せ、そなたには天下周辺を差配させる」
その言葉………………信じて良いものか?
「殿は……、三位中将様は、如何様に?」
十兵衛も、そこが知りたいらしい。
「勘九郎(信忠)は、岐阜にあって、織田家の全般の指揮をとらせるが、なにかあるか?」
十兵衛は、別段と首を振り、『ぱちん!』と酷く激しい音を立てた。
欄干にいた雀が驚き、飛び立ったほどだ。
十兵衛に天下の差配を任せるが、その上に信忠がいる ―― この状況、どう考えればよいのか?
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