本能寺燃ゆ

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第五章「盲愛の寺」

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 それを伝え聞いた佐久間信盛が、怒りの形相で殿のもとまでやってきた。

 その日は、北条氏政から同盟の証として贈られた鷹十三羽と馬五頭の検分をしていた。

 北条氏との取次ぎ役は、滝川一益である。

 相模からやってきた鷹匠らが、一匹ずつほこにのせながら、鷹の種類を述べているところに、どかどかと大きな音を立てて信盛がやってきた。

 開口一番、

「某に相談なく、森の息子を人質を出すとは、如何なることか?」

 と、怒鳴り上げたので、鷹たちが恐れ、暴れだした。

 一益や鷹匠たちが慌てて抑えようとする。

 流石の殿も、面食らっていた。

「な、なんじゃ、いきなり? 鷹が驚くではないか」

「なんじゃではございませぬ。何故、森の息子を人質に出すのかと聞いておるのです」

 信盛は、鬼の形相である。

「何故? 大坂と和睦のためじゃ。こちらから一方的に相手の首か人質を出せと言うては、まとまるものも、まとまらんじゃろう」

「人質の交換など、それではこちらが負けたようではござりませぬか?」

「負けてはおるまい。あくまで今回は、双方痛み分けといったところじゃ」

「痛み分け? 痛み分けですと? 某らは、負けても、引き分けてもおりなせぬ、勝っておりまする。あと一押しでもすれば、大坂を落とせたものを、それを大殿が和睦などと申されるから、某らは仕方なく攻め手を緩めたまで。本来ならば、向こうから首を垂れ、門跡の首か、その息子を人質に出してくるのが筋、それをあろうことか、こちらからも人質を出して交換しようなどと、まるで負け戦ではございませぬか! しかも、左様な大事なこと、大坂攻めの総大将である某に断りもなく進められるとは、何たる侮辱! この佐久間、納得がいきませぬ!」

 確かに、総大将として、武人もののふとして思うところは多々あろう。

 だが、殿が決めたことである。

 殿は、煩そうな顔をしながら、

「分かった右衛門尉、そなたに無断で決めたこと、悪かった。だが、これは決まったことだ。これ以上、大坂との戦に関わっておるわけにもいかん。そもそも、帝から勅使ももらっておる。これを無碍にすることはできぬ」

 と、強い口調で言った。

「あははは」と、信盛は大笑いする、「〝神〟になろうと思われておる大殿が、帝を恐れなされるか? それでは、到底〝神〟にはなれますまい」

「なによ!」

 殿が、信盛を睨みつける。

 一瞬、辺りが静まり返った。

 太若丸や他の小姓、近習の菅屋長頼らが固唾をのんで見守る。

 戦場では勇猛果敢な一益も、主君と家臣団筆頭格の言い争いを、おろおろして見ている。

 殿の拳が、わなわなと震えている。

 乱は気を利かせたつもりか、殿に刀を差しだそうとしている ―― 太若丸が、それを制した。

〝ぴー〟という鷹の鳴き声に、重苦しい雰囲気が解けた。

 殿はふっと深く息を吐いて、

「右衛門尉よ……」

 と、まるで父が激高した子を諭すように、穏やかに口を開いた。

「大坂でのおぬしの活躍、見事であった。じゃが、戦はこれまでじゃ。今後は毛利との戦が待っていよう。そなたも、関東の差配があろう。そのために、明日の北条からの使者の饗応を任せておるのじゃ。お互い、先も長くない、そろそろ戦場から身をひいて、茶を飲みながら昔話でもして過ごしたいものではないか」

「大殿は、某に隠居せよいいと仰せか!」

 信盛の顔が、いっそう怒りに満ちていく。

 殿も激しい性格だが、信盛もそれに劣らず激しい。

「勘九郎(信忠)も、織田家の当主として一人前になった。おぬしの息子甚九郎(佐久間信栄)も良い武将となった。戦場は若い者に任せ、儂らは茶を飲みながら、天下の差配を案じようではないか」

「恐れながらこの右衛門尉、天下の差配に興味などございませぬ。あるのは武人もののふとしての誉れ………………死ぬときは戦場と思っておりまする! 大殿が死ぬるまで戦場に立っておられるおつもりならば、この右衛門尉、喜んでお供いたしましょう。されど、好々爺として日がな一日茶を飲んでいるといわれるのであれば、御免仕る! それでも隠居せよと申されるならば、某にも覚悟がござりまする!」

「覚悟じゃと?」、殿の顔も厳しくなり、言葉が荒くなった、「何の覚悟じゃ? ゆうてみい?」

「我が息子とともに、ただちに大坂より引き払い、刈屋へと戻りましょうぞ!」

「なんじゃと! ぬしは、この儂と戦をするというか!」

「どうしても隠居と申されるならば、大殿もその覚悟があってのこと。この右衛門尉の首、お刎ねになればよかろう!」

「おのれが! 首を出せ! いますぐ切ってやる!」

 殿が、乱の持っていた刀を奪い取ろうとしたが、太若丸や近習たちで必死に止めた。

「この白髪首、切る度胸もござらぬか!」、信盛が笑う、「大殿は、むかしからそういうところが変わらぬ。肝心なところで足踏みになされる」

「佐久間様、これ以上は口を慎まれた方が………………、北条家の使いもおることですし………………」

 滝川一益の言葉で、信盛も少しは頭が冷めたらしい。

「うむ、客人に見苦しいところをみせては、武人もののふの恥、ごめん!」

 信盛は踵を返し、やってきたときと同様、どかどかと激しい音を立てながら屋敷を出て行った。

 翌日、北条氏政の使者として笠原康明かさはらやすあき、氏照の使者として間宮信綱まみやのぶつな、副使として原泉和泉守はらいずみのかみが献上品を携え、挨拶にやってきた。

 こちら側の伝奏役として滝川一益、補佐として牧庵ぼくあんがあたり、北条の使者らかの口上役として信盛と一益、武井夕庵たけいせきあんが担った。

 信盛は、使者からの献上品目録を等々と読み上げたが、終始むすっとしていた。

 北条の使者も、この異様な雰囲気に気が付いていたのだろうし、昨日のことを鷹匠らから伝え聞いていたのだろう ―― 歓迎されていないのではないか………………という思いを顔に滲ませていた。

 その疑惑をかき消すように、殿だけは異様に笑顔であった。

「笠原殿、間宮殿、並びに原殿。遠路遥々、大儀でござった。これにて、織田家と北条家は、永遠とわに縁を結ぶことができた。関東も、相模守殿のお陰で、よくよく収まるであろう。相模守殿にも、儂が酷く喜んでおったと、よくよくお伝えくだされ」

「もったいないお言葉で。我が主も、右府様と縁を結ぶことができ、大変喜んでおりまする。今後とも長きにわたりお付き合いいただければ幸いでござりまする」

「もちろん、関八州、相模守殿に任せる故、こちらこそお付き合いくだされ。さて、ここまでの長旅で疲れたであろう、この後はちょっとした宴席を設けておりまするが、明日あたりはゆっくりと京見物などなされては如何か? そのあと、安土にでも来られると良い。案内を付けよう」

 殿は、信盛に視線をやったが、すぐに逸らした。

「伊予守、そなた、案内してやれ」

 指名された一益は、目を点にしている。

「そ、某でございまするか?」

 饗応役は信盛である。

 さらに、関東の差配はゆくゆく信盛と言われていた。

 ならば、信盛が案内するのが筋ではないか………………と、一益だけでなく、その場にいた全員が思っていた。

 信盛が外された。

 すなわち、関東差配からも、信盛を外すということか?

 ただ殿の指名なので、一益も断るわけにはいかない。

「畏まり候」

 と受けるも、遠慮気味に信盛を見ていた。

 信盛は、むすっとした顔で座っているだけ………………
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