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第五章「盲愛の寺」
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有岡の人質のなかで、荒木村重の妻だしをはじめ、荒木一族の妻子三十七名が京へと送られ、妙顕寺にこのためだけに造られた牢獄に入れられた。
池田和泉守とともに妻子らを守っていた泊々部某、吹田某という武将と、行方をくらました荒木久左衛門(池田知正)の息子自念は、京都所司代村井貞勝の屋敷牢に押し込められた。
十三日辰の刻(午前八時)、滝川一益、蜂屋頼隆、惟住(丹羽)長秀らが、女子ども百二十二名を大物(尼崎)近くの七松まで引出し、そこで磔にした。
女たちは、これが最期と着飾り、神妙に従っていたが、なかには乳飲み子を抱える女もいて、子どもを抱かせたまま柱に括り付け、これらを鉄砲で撃ち殺したり、槍や薙刀で刺し殺したりしたらしい。
女や子どもらの悲鳴と慟哭で、処刑にあたった武士らも、あまりの惨たらしさに見ていられなかったそうだが、これらの悲鳴が確かに聞こえたであろう大物(尼崎)は、じっと門を閉じたままであったとか。
続いて、残りの妻子や侍女、若党ら五百名余りを小屋四軒に押し込め、焼き殺したという ―― その情景は、まさに阿鼻叫喚………………地獄の鬼ですら恐怖するようなありさまであったとか………………
最後に、京に護送された泊々部ら武将、妻女らも処刑された。
妻女らは、もはや村重らにも恨み言をいうこもなく、これも前世での不徳であろうと、親しい僧侶らにお布施として金銀、着物を贈り、極楽浄土を祈ってもらい、牢を出たという。
荷車に二人ずつ乗せられ、市中を引き廻されたうえで、六条河原へと引き出された ―― その荷車の数八つ、そのあとに子どもや乳母ら七、八人が乗った荷車が三台続いた。
処刑には、不破光治、前田利家、佐々成政、原長頼、金森長近の越前衆が急遽呼ばれた ―― どうも所司代の役人たちが、罪人に情が移り、首切りを拒んだらしい ―― まあ、分からんでもないが………………
越前衆ら数百人が鎧をつけ、手には槍や薙刀を持って厳めしい顔つきで待つなか、村重の妻だしが荷車から降ろされた。
目に鮮やかな小袖に、髪を高く結い上げた姿は、いまから死にゆくもののそれではなく、まるで唐の美女〝楊貴妃〟のようであったという。
これが、ごつごつとした石ころのころがる河原に静かに座し、首を落としやすいようにと、小袖の襟を後ろにずらして、雪よりも白いうなじを差し出したのであるから、見ているものは涙が絶えなかったという。
荒木村重の妻だし ―― その歳二十一とも、二十四とも。
泊々部某、荒木久右衛門の息子自念、村重の弟吹田某、吹田某の妻、村重の妹野村丹後の妻、村重の娘隼人の妻(身重)、同じく娘だご、荒木元清の息子渡辺四郎、同じく息子荒木新丞、伊丹安大夫の妻と息子、北河原与作の妻、荒木与兵衛の娘、池田和泉の妻、だしの妹で荒木越中の妻、同じく妹で牧左兵衛の妻………………荒木一族三十七名 ―― 天正七(一五七九)年十二月十六日、六条河原で露と消えた。
先の僧侶たちは、これらの死骸を受け取り、丁重に弔ってやったという。
消えゆる身は 惜しむべきにも なきものを
母の思ひぞ 障りとはなる
(消えてゆくわが身は惜しくはありませんが
残されてゆく我が子のことを思うと、あの世に逝くのに差障りがありそうです)
だしは、いくつか辞世の句を残したが、太若丸はこの一句が気になった。
太若丸は、母の顔を見たことがない。
母の温もりも、厳しさも知らない。
母とは、こういうものなのだろうか?
残るは、今回の張本人村重親子が立て籠る大物(尼崎)と一門の荒木元清が立て籠る花隈であったが、荒木親子は大物を捨て、花隈へと入った。
十八日、戻ってきた矢部家定は、
「殿は?」
と、辺りを見回した。
殿は、事の顛末を東宮様に上奏のため、京都所司代村井貞勝を同行し二条御所である。
本来ならば帝へ上奏するのが筋であるが、〝東宮様に〟とは、つまり殿はそういうつもりなのだろう。
「左様か……」
家定に、長谷川秀一が近寄り、
「善七郎、尼崎は如何様であった?」
と、興味本位に訊ねた。
家定は顔を顰め、
「いや~、あれは………………、流石の儂も見ておられなんだ」
噂には聞いていたが、やはり物凄い光景であったようだ。
「あのときほど、武士を辞めようと思ったことはござらんよ」
「左様か………………」
秀一も、顔を歪めている。
そこに、菅屋長頼が慌てて駆けてくる。
「火急の報せじゃ!」
「何事か?」
「安土に落雷があり、火の手があがったとのこと」
「何と!」
家定、秀一が驚く。
「某は、すぐに殿へ報せに参る。おそらく殿のこと、すぐさま安土へ向かわれるであろう。中西殿、森殿はすぐに仕度を」
長頼は大慌てで出て行った。
秀一と家定は顔を見回せ、
「祟りか?」
と、呟いた。
池田和泉守とともに妻子らを守っていた泊々部某、吹田某という武将と、行方をくらました荒木久左衛門(池田知正)の息子自念は、京都所司代村井貞勝の屋敷牢に押し込められた。
十三日辰の刻(午前八時)、滝川一益、蜂屋頼隆、惟住(丹羽)長秀らが、女子ども百二十二名を大物(尼崎)近くの七松まで引出し、そこで磔にした。
女たちは、これが最期と着飾り、神妙に従っていたが、なかには乳飲み子を抱える女もいて、子どもを抱かせたまま柱に括り付け、これらを鉄砲で撃ち殺したり、槍や薙刀で刺し殺したりしたらしい。
女や子どもらの悲鳴と慟哭で、処刑にあたった武士らも、あまりの惨たらしさに見ていられなかったそうだが、これらの悲鳴が確かに聞こえたであろう大物(尼崎)は、じっと門を閉じたままであったとか。
続いて、残りの妻子や侍女、若党ら五百名余りを小屋四軒に押し込め、焼き殺したという ―― その情景は、まさに阿鼻叫喚………………地獄の鬼ですら恐怖するようなありさまであったとか………………
最後に、京に護送された泊々部ら武将、妻女らも処刑された。
妻女らは、もはや村重らにも恨み言をいうこもなく、これも前世での不徳であろうと、親しい僧侶らにお布施として金銀、着物を贈り、極楽浄土を祈ってもらい、牢を出たという。
荷車に二人ずつ乗せられ、市中を引き廻されたうえで、六条河原へと引き出された ―― その荷車の数八つ、そのあとに子どもや乳母ら七、八人が乗った荷車が三台続いた。
処刑には、不破光治、前田利家、佐々成政、原長頼、金森長近の越前衆が急遽呼ばれた ―― どうも所司代の役人たちが、罪人に情が移り、首切りを拒んだらしい ―― まあ、分からんでもないが………………
越前衆ら数百人が鎧をつけ、手には槍や薙刀を持って厳めしい顔つきで待つなか、村重の妻だしが荷車から降ろされた。
目に鮮やかな小袖に、髪を高く結い上げた姿は、いまから死にゆくもののそれではなく、まるで唐の美女〝楊貴妃〟のようであったという。
これが、ごつごつとした石ころのころがる河原に静かに座し、首を落としやすいようにと、小袖の襟を後ろにずらして、雪よりも白いうなじを差し出したのであるから、見ているものは涙が絶えなかったという。
荒木村重の妻だし ―― その歳二十一とも、二十四とも。
泊々部某、荒木久右衛門の息子自念、村重の弟吹田某、吹田某の妻、村重の妹野村丹後の妻、村重の娘隼人の妻(身重)、同じく娘だご、荒木元清の息子渡辺四郎、同じく息子荒木新丞、伊丹安大夫の妻と息子、北河原与作の妻、荒木与兵衛の娘、池田和泉の妻、だしの妹で荒木越中の妻、同じく妹で牧左兵衛の妻………………荒木一族三十七名 ―― 天正七(一五七九)年十二月十六日、六条河原で露と消えた。
先の僧侶たちは、これらの死骸を受け取り、丁重に弔ってやったという。
消えゆる身は 惜しむべきにも なきものを
母の思ひぞ 障りとはなる
(消えてゆくわが身は惜しくはありませんが
残されてゆく我が子のことを思うと、あの世に逝くのに差障りがありそうです)
だしは、いくつか辞世の句を残したが、太若丸はこの一句が気になった。
太若丸は、母の顔を見たことがない。
母の温もりも、厳しさも知らない。
母とは、こういうものなのだろうか?
残るは、今回の張本人村重親子が立て籠る大物(尼崎)と一門の荒木元清が立て籠る花隈であったが、荒木親子は大物を捨て、花隈へと入った。
十八日、戻ってきた矢部家定は、
「殿は?」
と、辺りを見回した。
殿は、事の顛末を東宮様に上奏のため、京都所司代村井貞勝を同行し二条御所である。
本来ならば帝へ上奏するのが筋であるが、〝東宮様に〟とは、つまり殿はそういうつもりなのだろう。
「左様か……」
家定に、長谷川秀一が近寄り、
「善七郎、尼崎は如何様であった?」
と、興味本位に訊ねた。
家定は顔を顰め、
「いや~、あれは………………、流石の儂も見ておられなんだ」
噂には聞いていたが、やはり物凄い光景であったようだ。
「あのときほど、武士を辞めようと思ったことはござらんよ」
「左様か………………」
秀一も、顔を歪めている。
そこに、菅屋長頼が慌てて駆けてくる。
「火急の報せじゃ!」
「何事か?」
「安土に落雷があり、火の手があがったとのこと」
「何と!」
家定、秀一が驚く。
「某は、すぐに殿へ報せに参る。おそらく殿のこと、すぐさま安土へ向かわれるであろう。中西殿、森殿はすぐに仕度を」
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