本能寺燃ゆ

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第五章「盲愛の寺」

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 しばし、書物をほったらかして、十兵衛のことを考えていると、ふいに声をかけられた。

 驚いて振り返ると、乱がいる。

 殿の相手をしていたのではないのか?

「もう、お休みになられました。今宵は、三回も………………、変わらずお元気で」

 殿の自慢というよりも、殿を奮い立たせられる己の自慢か?

「ですが、やはり太若丸様がいらっしゃらないので、随分寂しがっておられましたが」

 左様かと、太若丸は書物に目を落とす。

 殿は、やはり乱よりも、吾のほうが良いのだなと、少々嬉しい。

「それで、殿が〝神様〟になる方法は見つかりましたか?」

 乱が、顔をのぞかせる。

 にこにこと、随分暢気そうな顔で聞いてくるが、もとはと言えば、乱が余計なことを言ったことが原因だ。

 こいつは………………と、憤りを抑えながらも………………そんなに簡単に見つかれば、誰でも神になれよう………………と、ぶっきら棒に答えた。

「そうですよね。それがしも、何かお手伝いをいたしましょうか?」

 手伝うも何も、薄暗い灯火の下で、こうやって書物を捲るだけ、なんの手伝いができようか?

「ですよね。それでは某は、ここで………………」

 部屋の隅に置いてあった文机を持ちだし、太若丸の机の隣に並べる。

 鶴の丸の家紋が螺鈿細工であしらわれた美しい硯箱から、筆と硯、紙を取り出す。

 何をするのか?

「母上に、お便りを」

 母がいたのか?

 太若丸の驚いた顔に、

「某にも、母はおりまするよ」

 と、乱は苦笑した。

 そういった意味ではなく、まだご存命なのかと?

「ええ、いまは尼となり、父と兄の菩提を弔っておりまする。子だくさんなのですが、男で残っているのは幼いせん(のちの森忠政もりただまさ)だけですからね、たまにこうやって手紙を書いてやらないと、寂しいでしょうから」

 うむ、親孝行とは殊勝………………ではあるが、なぜここで?

「油の節約になるでしょう?」

 と、筆を動かす。

 それはそうだが………………太若丸は、ひとり静かに書物を読みたいのだが。

「太若丸様は、母上は?」

 ふいに聞かれた。

 驚いて、しばし返答に困ったが、〝ない〟と端的に答えた。

 乱が、不思議そうな顔でこちらを見ている。

 ああ、こいつも勘違いしたか。

 生まれたときには、いなかった………………と答えると、

「左様でしたか、不躾なことを聞きました、申し訳ございません」

 と、頭を下げた。

 頭を下げることではない。

 当代、斯様なものは幾らでもいる。

「では、父上は?」

 父はいる………………いや、もう〝いた〟か?

 村を出て幾年、戦もあって、父はどうしていようか?

 もう生きては………………いまい。

「御兄弟は?」

 姉も、生きてはいまい。

 いや、あの人なら、図太く生き残っているかもしれない。

「おひとりで、寂しくはないのですか?」

 寂しい?

 血のつながるものがいないことが、寂しいのだろうか?

 確かに、父に親孝行ができなかったのは、申し訳ないと思うが、別に寂しいとは思わない。

 あの姉といても、たぶん息苦しかっただけだ。

 むしろ、ひとりになれたほうが良かった。

 運が、良かったのだ、全てにおいて。

 十兵衛に出会い、村を出て、八郎に買われ、そして売られ、御山で稚児となり、いまでは殿の小姓である。

 目まぐるしい変化であったが、寂しいと思ったことは一度もない。

 ただ、十兵衛の傍にいられないことは寂しいが、それもあと少しの辛抱 ―― きっと傍にいられる日が来るのだから、むしろその日が待ち遠し………………

 太若丸が、遠い目をしていたのを、寂しさの表れだと思ったのか、突然乱が両手を握ってきた。

「大丈夫です、太若丸様、ずっと某が傍におりまする」

 な、何を?

「ずっと、ずっと、某は太若丸様の傍におりまする。そして、いつの日か、ふたりだけの極楽浄土に参りましょう」

 乱が、真剣な眼差しで見つめてくる。

 こいつは、本当に何を言っているのか?

 なぜ、吾がお前なんかと一緒に極楽に行かねばならぬのだ?

 吾は、十兵衛と極楽に行くのだ!
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