本能寺燃ゆ

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第五章「盲愛の寺」

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「十兵衛、おぬしは摂津と縁があったであろう、そなたのほうから、妻子の助命を条件に、大物と花隈を明け渡すよう、促せ。また有岡には、儂の名代として七兵衛(織田信澄)を遣わす。摂津は許し、そのまま毛利攻めの先鋒とする、よいな!」

 殿が決めたこと ―― これに誰が反対できようか。  

「西が収まったら、東に目を向けねばならぬ」

 反対側も揉めている。

 甲斐の武田と、相模の北条、三河の徳川は黄瀬川を挟んでにらみ合い、小競り合いを続けているとか。

 その状況で、武田と常陸の佐竹氏が手を結んだらしい(甲佐同盟)。

 さらに、佐竹の使者が安土にまでやってきて、武田と織田が手を組むことを進言した。

 佐竹十八代当主義重よししげ直々の使者であった。

「当主直々の話じゃ、これを無碍にするわけにもいかないので、丁重にもてなし、返事はまたの機会にと誤魔化して送り返した」

「左様でござりましたか……、それで大殿は、この件、如何様に?」

「どうすればよい、十兵衛? 天下に覇を唱えるならば、この話、受けるべきや? 否や?」

 十兵衛は一瞬驚き、問い返した。

「天下に……、覇を唱えるならばで……、ございますか?」

 殿の口から、正面切って『天下に覇を』と言われたのだから、面食らったのであろう。

 その気持ち、よくよく分かる。

 太若丸も、『天下に覇を』などという言葉、初めて聞いた。

 よく『この世に極楽を……』などとは言っていたが、殿が『天下に覇を唱える』と口にしたのは、これが初めてではあるまいか。

 それほど、重要なことなのだろう。

 これに簡単に答えることはできないと、十兵衛も慎重に言葉を探している。

「この前……、右衛門尉も申しておったが、おぬしらも良い歳、儂も同じじゃ。人間五十年、儂も、もう手の届くところまできた。これまでもたもたしておったが、いまからはそうはいかん。ちょっとした過ちが、大きな損失を招き、天下が遠のくやもしれん」

「それは、重々承知いたしております」

「ならば、この話、受けるべきや? 否や?」

 十兵衛は考えている。

 いつもは、殿の言葉にぽんぽんと答える十兵衛であるが、よほどのことでも、例の腕組みで天井をしばらく眺めて、唐突に口を開くのだが、いまは眉間に皺をよせ、じっと床を見つめている。

 当然だ。

 殿の『天下に覇を唱える』は、十兵衛が『天下に覇を唱える』というのと同じ。

 殿は、織田家の行く先と天下の行く先を同じに見ていない。

 織田家は織田家、天下は天下 ―― 織田家の跡取りが天下人である必要もない、天下人は、それにふさわしい武将がなればよい ―― これが殿の考えだろう。

 だとすれば、殿の後釜は、十兵衛である。

 天下を前にして、これを十分に考えるのは当然であろう。

「天下に覇を唱えるのでしたら……」、ようやく口を開いた、「この話、受け入れぬほうがよろしいかと」
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