427 / 498
第五章「盲愛の寺」
40
しおりを挟む
「十兵衛、おぬしは摂津と縁があったであろう、そなたのほうから、妻子の助命を条件に、大物と花隈を明け渡すよう、促せ。また有岡には、儂の名代として七兵衛(織田信澄)を遣わす。摂津は許し、そのまま毛利攻めの先鋒とする、よいな!」
殿が決めたこと ―― これに誰が反対できようか。
「西が収まったら、東に目を向けねばならぬ」
反対側も揉めている。
甲斐の武田と、相模の北条、三河の徳川は黄瀬川を挟んでにらみ合い、小競り合いを続けているとか。
その状況で、武田と常陸の佐竹氏が手を結んだらしい(甲佐同盟)。
さらに、佐竹の使者が安土にまでやってきて、武田と織田が手を組むことを進言した。
佐竹十八代当主義重直々の使者であった。
「当主直々の話じゃ、これを無碍にするわけにもいかないので、丁重にもてなし、返事はまたの機会にと誤魔化して送り返した」
「左様でござりましたか……、それで大殿は、この件、如何様に?」
「どうすればよい、十兵衛? 天下に覇を唱えるならば、この話、受けるべきや? 否や?」
十兵衛は一瞬驚き、問い返した。
「天下に……、覇を唱えるならばで……、ございますか?」
殿の口から、正面切って『天下に覇を』と言われたのだから、面食らったのであろう。
その気持ち、よくよく分かる。
太若丸も、『天下に覇を』などという言葉、初めて聞いた。
よく『この世に極楽を……』などとは言っていたが、殿が『天下に覇を唱える』と口にしたのは、これが初めてではあるまいか。
それほど、重要なことなのだろう。
これに簡単に答えることはできないと、十兵衛も慎重に言葉を探している。
「この前……、右衛門尉も申しておったが、おぬしらも良い歳、儂も同じじゃ。人間五十年、儂も、もう手の届くところまできた。これまでもたもたしておったが、いまからはそうはいかん。ちょっとした過ちが、大きな損失を招き、天下が遠のくやもしれん」
「それは、重々承知いたしております」
「ならば、この話、受けるべきや? 否や?」
十兵衛は考えている。
いつもは、殿の言葉にぽんぽんと答える十兵衛であるが、よほどのことでも、例の腕組みで天井をしばらく眺めて、唐突に口を開くのだが、いまは眉間に皺をよせ、じっと床を見つめている。
当然だ。
殿の『天下に覇を唱える』は、十兵衛が『天下に覇を唱える』というのと同じ。
殿は、織田家の行く先と天下の行く先を同じに見ていない。
織田家は織田家、天下は天下 ―― 織田家の跡取りが天下人である必要もない、天下人は、それにふさわしい武将がなればよい ―― これが殿の考えだろう。
だとすれば、殿の後釜は、十兵衛である。
天下を前にして、これを十分に考えるのは当然であろう。
「天下に覇を唱えるのでしたら……」、ようやく口を開いた、「この話、受け入れぬほうがよろしいかと」
殿が決めたこと ―― これに誰が反対できようか。
「西が収まったら、東に目を向けねばならぬ」
反対側も揉めている。
甲斐の武田と、相模の北条、三河の徳川は黄瀬川を挟んでにらみ合い、小競り合いを続けているとか。
その状況で、武田と常陸の佐竹氏が手を結んだらしい(甲佐同盟)。
さらに、佐竹の使者が安土にまでやってきて、武田と織田が手を組むことを進言した。
佐竹十八代当主義重直々の使者であった。
「当主直々の話じゃ、これを無碍にするわけにもいかないので、丁重にもてなし、返事はまたの機会にと誤魔化して送り返した」
「左様でござりましたか……、それで大殿は、この件、如何様に?」
「どうすればよい、十兵衛? 天下に覇を唱えるならば、この話、受けるべきや? 否や?」
十兵衛は一瞬驚き、問い返した。
「天下に……、覇を唱えるならばで……、ございますか?」
殿の口から、正面切って『天下に覇を』と言われたのだから、面食らったのであろう。
その気持ち、よくよく分かる。
太若丸も、『天下に覇を』などという言葉、初めて聞いた。
よく『この世に極楽を……』などとは言っていたが、殿が『天下に覇を唱える』と口にしたのは、これが初めてではあるまいか。
それほど、重要なことなのだろう。
これに簡単に答えることはできないと、十兵衛も慎重に言葉を探している。
「この前……、右衛門尉も申しておったが、おぬしらも良い歳、儂も同じじゃ。人間五十年、儂も、もう手の届くところまできた。これまでもたもたしておったが、いまからはそうはいかん。ちょっとした過ちが、大きな損失を招き、天下が遠のくやもしれん」
「それは、重々承知いたしております」
「ならば、この話、受けるべきや? 否や?」
十兵衛は考えている。
いつもは、殿の言葉にぽんぽんと答える十兵衛であるが、よほどのことでも、例の腕組みで天井をしばらく眺めて、唐突に口を開くのだが、いまは眉間に皺をよせ、じっと床を見つめている。
当然だ。
殿の『天下に覇を唱える』は、十兵衛が『天下に覇を唱える』というのと同じ。
殿は、織田家の行く先と天下の行く先を同じに見ていない。
織田家は織田家、天下は天下 ―― 織田家の跡取りが天下人である必要もない、天下人は、それにふさわしい武将がなればよい ―― これが殿の考えだろう。
だとすれば、殿の後釜は、十兵衛である。
天下を前にして、これを十分に考えるのは当然であろう。
「天下に覇を唱えるのでしたら……」、ようやく口を開いた、「この話、受け入れぬほうがよろしいかと」
0
お気に入りに追加
26
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/essay.png?id=5ada788558fa89228aea)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
1333
干支ピリカ
歴史・時代
鎌倉幕府末期のエンターテイメントです。
(現在の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』から、100年ちょい後の話です)
鎌倉や京都が舞台となります。心躍る激しい合戦や、ぞくぞくするようなオドロオドロしい話を目指そうと思いましたが、結局政治や謀略の話が多くなりました。
主役は足利尊氏の弟、直義です。エキセントリックな兄と、サイケデリックな執事に振り回される、苦労性のイケメンです。
ご興味を持たれた方は是非どうぞ!
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
大航海時代 日本語版
藤瀬 慶久
歴史・時代
日本にも大航海時代があった―――
関ケ原合戦に勝利した徳川家康は、香木『伽羅』を求めて朱印船と呼ばれる交易船を東南アジア各地に派遣した
それはあたかも、香辛料を求めてアジア航路を開拓したヨーロッパ諸国の後を追うが如くであった
―――鎖国前夜の1631年
坂本龍馬に先駆けること200年以上前
東の果てから世界の海へと漕ぎ出した、角屋七郎兵衛栄吉の人生を描く海洋冒険ロマン
『小説家になろう』で掲載中の拙稿「近江の轍」のサイドストーリーシリーズです
※この小説は『小説家になろう』『カクヨム』『アルファポリス』で掲載します
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
【完結】電を逐う如し(いなづまをおうごとし)――磯野丹波守員昌伝
糸冬
歴史・時代
浅井賢政(のちの長政)の初陣となった野良田の合戦で先陣をつとめた磯野員昌。
その後の働きで浅井家きっての猛将としての地位を確固としていく員昌であるが、浅井家が一度は手を携えた織田信長と手切れとなり、前途には様々な困難が立ちはだかることとなる……。
姉川の合戦において、織田軍十三段構えの陣のうち実に十一段までを突破する「十一段崩し」で勇名を馳せた武将の一代記。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
故郷、甲賀で騒動を起こし、国を追われるようにして出奔した
若き日の滝川一益と滝川義太夫、
尾張に流れ着いた二人は織田信長に会い、織田家の一員として
天下布武の一役を担う。二人をとりまく織田家の人々のそれぞれの思惑が
からみ、紆余曲折しながらも一益がたどり着く先はどこなのか。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
永き夜の遠の睡りの皆目醒め
七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。
新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。
しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。
近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。
首はどこにあるのか。
そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。
※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
本能のままに
揚羽
歴史・時代
1582年本能寺にて織田信長は明智光秀の謀反により亡くなる…はずだった
もし信長が生きていたらどうなっていたのだろうか…というifストーリーです!もしよかったら見ていってください!
※更新は不定期になると思います。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる