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第五章「盲愛の寺」
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翌朝、雨が上がると伊丹に向けて出陣。
有岡を包囲する砦を陣中見舞いしたあと、そのまま京へと帰還した。
その翌日、正親町季秀の家来が、加賀の一向門徒から大坂本願寺へと向かっていた使番を捕まえたと報せが入った。
殿は、これに大喜びし、早速このものを処断した。
滞りなく終わったと村井貞勝から聞き受け、ついでに
「あの女も処断いたしました」
太若丸は、しばし呆然とした後、女は静かに逝ったかと訊ねた。
貞勝は苦笑する。
「いや~、なんとも肝っ玉の据わった女子というか………………、それまで只管念仏を唱えておったのですが、いざその段になると、かっと目を見開いて、『尾張の大うつけが! お前のせいで、この世は地獄や! 地獄に落ちろ、大魔王!』と叫びましてな………………」
これを聞いた殿は、
「大魔王か! それは良い! 女、よく言うたな!」
と、大いに笑っていたが………………
「なるほど、大魔王は良い。これより儂は、大魔王を名乗るかのう。して太若丸、一番強い大魔王はなんというやつじゃ?」
また面倒な問いを……………と、思いながら太若丸は考える。
仏道でいえば………………第六天魔王波旬か?
「その第六天魔王とは如何に?」
六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天)の天における最下部の六欲天 ―― 天界にあって、いまだ煩悩に捉われる六層(四大王衆天、忉利天、夜摩天、兜卒天、化楽天、他化自在天)のうち、その最上位にあたる第六天 ―― 他化自在天に君臨する魔王。
他人の所業を奪って自らの快楽とする ―― 仏道の修業を邪魔する魔王とも、釈迦や比丘、阿闍梨などに変化して仏道を破壊する魔王ともいわれている。
「ほう、仏道を破壊する魔王か……、良いではないか、良いではないか」と、酷く喜んでいる、「しかし、天といえども煩悩だらけじゃのう」
天といえども、三界のうちの最下層 ―― 欲界の一部である。
天は、人の世から近い、いまだ煩悩に捉われる欲界から、一部の煩悩を排するが、肉体からは離れられない色界、さらにすべての煩悩を排し、この肉体からも離れる無色界とあがっていく。
「なんじゃ? 天の一番上は、何もないのか?」
何もないというわけではなく、戦もなく、餓えもなく、そして生きる上での悩みも、苦しみもない世の中………………と、いったほうがよろしいかと。
「それが〝極楽〟か?」
極楽は、また違う ―― 阿弥陀の浄土 ―― 一切の煩悩や穢れから離れ、三悪道(地獄・餓鬼・畜生)もない、仏や菩薩が住む世。
「そこはもちろん、良い女や稚児がおり、美味い飯が食え、美味い酒が飲め、己のやりたいことが何でもできて、ずっと愉快に暮らせるのじゃろう?」
太若丸は首を傾げる………………それは……また違うと思うが………………だが、そう思っている人は多いのではなかろうか?
「〝極楽〟であろう? 〝楽しみ〟を極めるというではないか?」
〝楽〟は、美味いものが食え、美味い酒が飲め、男や女が喜んで目合う ―― その〝楽〟ではない。
己が解脱し、衆生にそれを説く〝楽〟である。
そういった世の中に入ることが〝極楽〟であって、決して酒池肉林の世を指すわけではない。
が、やはりこの世の地獄から逃れるために、そのような世に憧れるのだろう。
阿弥陀を信奉している連中も、勘違いしているものが多いのではないか ―― というよりも、この教えを多く広めようと、あえて勘違いさせているようなところも見られるが………………
「なんじゃ、儂は〝極楽〟というから、面白きところかと思うておったわ。そんな〝極楽〟、何が面白いのじゃ?」
面白いとか、そうではないとか、そこではないのだが………………
「それならば、その……、なんと言うたかの? 第六天であるか? 天であるが、煩悩のある世のほうが数段良いではないか、それこそが〝極楽〟であろう?」
まあ……、そこはなんとも………………。
「よし!」、信長はぽんと膝を叩く、「これより儂は、第六天魔王じゃ! 儂は、この世を全て平らげ、すべてのものが美味い飯を食え、美味い酒を飲め、すきなときに目合える〝極楽〟を作ってやるぞ!」
そのような世が、果たしてこようか………………
有岡を包囲する砦を陣中見舞いしたあと、そのまま京へと帰還した。
その翌日、正親町季秀の家来が、加賀の一向門徒から大坂本願寺へと向かっていた使番を捕まえたと報せが入った。
殿は、これに大喜びし、早速このものを処断した。
滞りなく終わったと村井貞勝から聞き受け、ついでに
「あの女も処断いたしました」
太若丸は、しばし呆然とした後、女は静かに逝ったかと訊ねた。
貞勝は苦笑する。
「いや~、なんとも肝っ玉の据わった女子というか………………、それまで只管念仏を唱えておったのですが、いざその段になると、かっと目を見開いて、『尾張の大うつけが! お前のせいで、この世は地獄や! 地獄に落ちろ、大魔王!』と叫びましてな………………」
これを聞いた殿は、
「大魔王か! それは良い! 女、よく言うたな!」
と、大いに笑っていたが………………
「なるほど、大魔王は良い。これより儂は、大魔王を名乗るかのう。して太若丸、一番強い大魔王はなんというやつじゃ?」
また面倒な問いを……………と、思いながら太若丸は考える。
仏道でいえば………………第六天魔王波旬か?
「その第六天魔王とは如何に?」
六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天)の天における最下部の六欲天 ―― 天界にあって、いまだ煩悩に捉われる六層(四大王衆天、忉利天、夜摩天、兜卒天、化楽天、他化自在天)のうち、その最上位にあたる第六天 ―― 他化自在天に君臨する魔王。
他人の所業を奪って自らの快楽とする ―― 仏道の修業を邪魔する魔王とも、釈迦や比丘、阿闍梨などに変化して仏道を破壊する魔王ともいわれている。
「ほう、仏道を破壊する魔王か……、良いではないか、良いではないか」と、酷く喜んでいる、「しかし、天といえども煩悩だらけじゃのう」
天といえども、三界のうちの最下層 ―― 欲界の一部である。
天は、人の世から近い、いまだ煩悩に捉われる欲界から、一部の煩悩を排するが、肉体からは離れられない色界、さらにすべての煩悩を排し、この肉体からも離れる無色界とあがっていく。
「なんじゃ? 天の一番上は、何もないのか?」
何もないというわけではなく、戦もなく、餓えもなく、そして生きる上での悩みも、苦しみもない世の中………………と、いったほうがよろしいかと。
「それが〝極楽〟か?」
極楽は、また違う ―― 阿弥陀の浄土 ―― 一切の煩悩や穢れから離れ、三悪道(地獄・餓鬼・畜生)もない、仏や菩薩が住む世。
「そこはもちろん、良い女や稚児がおり、美味い飯が食え、美味い酒が飲め、己のやりたいことが何でもできて、ずっと愉快に暮らせるのじゃろう?」
太若丸は首を傾げる………………それは……また違うと思うが………………だが、そう思っている人は多いのではなかろうか?
「〝極楽〟であろう? 〝楽しみ〟を極めるというではないか?」
〝楽〟は、美味いものが食え、美味い酒が飲め、男や女が喜んで目合う ―― その〝楽〟ではない。
己が解脱し、衆生にそれを説く〝楽〟である。
そういった世の中に入ることが〝極楽〟であって、決して酒池肉林の世を指すわけではない。
が、やはりこの世の地獄から逃れるために、そのような世に憧れるのだろう。
阿弥陀を信奉している連中も、勘違いしているものが多いのではないか ―― というよりも、この教えを多く広めようと、あえて勘違いさせているようなところも見られるが………………
「なんじゃ、儂は〝極楽〟というから、面白きところかと思うておったわ。そんな〝極楽〟、何が面白いのじゃ?」
面白いとか、そうではないとか、そこではないのだが………………
「それならば、その……、なんと言うたかの? 第六天であるか? 天であるが、煩悩のある世のほうが数段良いではないか、それこそが〝極楽〟であろう?」
まあ……、そこはなんとも………………。
「よし!」、信長はぽんと膝を叩く、「これより儂は、第六天魔王じゃ! 儂は、この世を全て平らげ、すべてのものが美味い飯を食え、美味い酒を飲め、すきなときに目合える〝極楽〟を作ってやるぞ!」
そのような世が、果たしてこようか………………
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