422 / 498
第五章「盲愛の寺」
35
しおりを挟む
「それで、当代の北条相模守(氏政)という男は如何様に?」
「北条家は領土を拡大する傍ら、やはり他所者という意識が強いのか、その昔から領民をまとるために善政を敷き、その掌握に努めてまいりました。相模守も、この教えをよくよく守り、領民からの信望も篤いと聞き及びまする。先代(氏康)の戦功に隠れがちですが、戦の方もなかなかと存じまする」
「うむ……、いまの北条と戦をしても勝ち目はなしか?」
「勝負はときの運と申しまするが……、天下周辺や西国が斯様な状況では、無用な戦は避けるべきかと」
「うむ……、右衛門尉は如何に?」
「某は……、動くときかと……」
「その心は?」
信盛は、慎重に言葉を選びながら話す。
「北条と徳川、これがまとまりますると、面倒なことになりまする。いまは織田家に良い顔をしても、こちらが不利となれば、すぐさま旗を翻すやもしれませぬ。桶狭間の後のことを考えれば。そうなる前に、順次潰しておいた方が得策かと………………」
「羽林と、戦をすると?」
信盛は、静かに頷いた。
「しかし、如何様に? 西国が斯様な状況で、そなたの大坂もいまだ落ちぬではないか。これで、兵が動かせるか?」
信包が尋ねる。
「武田に助力を願いましょう。武田は、常陸の佐竹とも手を結ぶように動いておりまする。さらに安房の里見にも話を伝えておるようで、着々と北条、徳川を包囲しておりまする。某に兵をくだされば、この機に乗じ、関東を平らげて見せましょう」
「大仰な」、殿は苦笑する、「が、武田と与するというか?」
「昨日の敵は、今日の友。武田は、いまや上杉とも同盟を結んでおりまする。武田と結めば、必然上杉とも………………」
「しかし、おぬしが大坂を離れて、誰が大坂を攻める?」
「倅だけで十分!」、信盛は胸を張る、「むしろ、ときをかければ、大坂方や毛利が、徳川・北条と手を結び、こちらも動きが取れなくなりましょう。その前に、一気に決着をつけた方が良いかと」
殿は、信盛の言葉に頷き、しばらく考えたのち、十兵衛に顔を向けた。
「十兵衛は、やはり戦を避けるべきと考えるか?」
「いずれは……、徳川・北条とやりあわねばならぬでしょうが、いまは避けるべきかと。特に、北条の居城である小田原は、これも荒木の有岡と並んで堅牢と聞きまする。以前に、上杉が関東勢とともに十万の兵で囲んでも落とせなかったと。これにときを取られるますると、その方が我らの足元が危うくなりましょう。ここは、徳川と北条の同盟を認め、我らとも同盟を結んだうえで、関東の地盤を安定させ、一は摂津、二は播磨、次に大坂、越前、西国へと抑え、余力ができたところで、関東へと軸を移した方が無難かと」
「そんなことをしておると、年を取るぞ」、信盛は笑う、「それでなくとも、某も、そなたも良い年だ。大殿にご奉公できるのも、あと幾ばくか」
見た目は昔と変わりはない ―― といえば、嘘になる、少し皺も増え、鬢にも白いものがちらほらと見えだした、それでも、まだあの頃の美しさは変わらぬ ―― そんな十兵衛も、五十の大台に乗ってしまった。
確かに、あと何年生きられようか?
その間に、天下の大将軍として号令をかけられようか?
その時、太若丸は傍にいられようか?
「右衛門尉は、百まで生きようが」
と、殿は笑われる。
そうだ、十兵衛も百まで生きる。
生きて生きて、生き抜いて、必ずや将軍となる。
その時のために、吾は生きているのだと太若丸は心に決めている。
「しかし……、右衛門尉は戦、十兵衛は同盟を認めるか………………、して、三十郎(信包)は?」
「某は、西国は斯様な状況でなかなか動きませぬが、この状況下で貧乏公方(足利義昭)や毛利らが東国と結ぶと面倒なことになりましょう。ですが、兵を送るまでの余力はありませぬ。かと言って、同盟を認めると、あとあと面倒なことになろうかと。ここは、徳川と北条をなるべく分断させるように図られては?」
「間者を送る?」
信包は頷く。
殿は、珍しく腕組みをして考えている。
足元がおぼつかないなか、東で騒ぎを起こされては面倒だ ―― 徳川と武田が戦になれば、こちらも助太刀に出さねばならぬであろう、それよりは武田と和与を図って、東国に絶妙な緊張感を与えておいた方が得策だ、………………というのが、殿の考えだろう。
「北条家は領土を拡大する傍ら、やはり他所者という意識が強いのか、その昔から領民をまとるために善政を敷き、その掌握に努めてまいりました。相模守も、この教えをよくよく守り、領民からの信望も篤いと聞き及びまする。先代(氏康)の戦功に隠れがちですが、戦の方もなかなかと存じまする」
「うむ……、いまの北条と戦をしても勝ち目はなしか?」
「勝負はときの運と申しまするが……、天下周辺や西国が斯様な状況では、無用な戦は避けるべきかと」
「うむ……、右衛門尉は如何に?」
「某は……、動くときかと……」
「その心は?」
信盛は、慎重に言葉を選びながら話す。
「北条と徳川、これがまとまりますると、面倒なことになりまする。いまは織田家に良い顔をしても、こちらが不利となれば、すぐさま旗を翻すやもしれませぬ。桶狭間の後のことを考えれば。そうなる前に、順次潰しておいた方が得策かと………………」
「羽林と、戦をすると?」
信盛は、静かに頷いた。
「しかし、如何様に? 西国が斯様な状況で、そなたの大坂もいまだ落ちぬではないか。これで、兵が動かせるか?」
信包が尋ねる。
「武田に助力を願いましょう。武田は、常陸の佐竹とも手を結ぶように動いておりまする。さらに安房の里見にも話を伝えておるようで、着々と北条、徳川を包囲しておりまする。某に兵をくだされば、この機に乗じ、関東を平らげて見せましょう」
「大仰な」、殿は苦笑する、「が、武田と与するというか?」
「昨日の敵は、今日の友。武田は、いまや上杉とも同盟を結んでおりまする。武田と結めば、必然上杉とも………………」
「しかし、おぬしが大坂を離れて、誰が大坂を攻める?」
「倅だけで十分!」、信盛は胸を張る、「むしろ、ときをかければ、大坂方や毛利が、徳川・北条と手を結び、こちらも動きが取れなくなりましょう。その前に、一気に決着をつけた方が良いかと」
殿は、信盛の言葉に頷き、しばらく考えたのち、十兵衛に顔を向けた。
「十兵衛は、やはり戦を避けるべきと考えるか?」
「いずれは……、徳川・北条とやりあわねばならぬでしょうが、いまは避けるべきかと。特に、北条の居城である小田原は、これも荒木の有岡と並んで堅牢と聞きまする。以前に、上杉が関東勢とともに十万の兵で囲んでも落とせなかったと。これにときを取られるますると、その方が我らの足元が危うくなりましょう。ここは、徳川と北条の同盟を認め、我らとも同盟を結んだうえで、関東の地盤を安定させ、一は摂津、二は播磨、次に大坂、越前、西国へと抑え、余力ができたところで、関東へと軸を移した方が無難かと」
「そんなことをしておると、年を取るぞ」、信盛は笑う、「それでなくとも、某も、そなたも良い年だ。大殿にご奉公できるのも、あと幾ばくか」
見た目は昔と変わりはない ―― といえば、嘘になる、少し皺も増え、鬢にも白いものがちらほらと見えだした、それでも、まだあの頃の美しさは変わらぬ ―― そんな十兵衛も、五十の大台に乗ってしまった。
確かに、あと何年生きられようか?
その間に、天下の大将軍として号令をかけられようか?
その時、太若丸は傍にいられようか?
「右衛門尉は、百まで生きようが」
と、殿は笑われる。
そうだ、十兵衛も百まで生きる。
生きて生きて、生き抜いて、必ずや将軍となる。
その時のために、吾は生きているのだと太若丸は心に決めている。
「しかし……、右衛門尉は戦、十兵衛は同盟を認めるか………………、して、三十郎(信包)は?」
「某は、西国は斯様な状況でなかなか動きませぬが、この状況下で貧乏公方(足利義昭)や毛利らが東国と結ぶと面倒なことになりましょう。ですが、兵を送るまでの余力はありませぬ。かと言って、同盟を認めると、あとあと面倒なことになろうかと。ここは、徳川と北条をなるべく分断させるように図られては?」
「間者を送る?」
信包は頷く。
殿は、珍しく腕組みをして考えている。
足元がおぼつかないなか、東で騒ぎを起こされては面倒だ ―― 徳川と武田が戦になれば、こちらも助太刀に出さねばならぬであろう、それよりは武田と和与を図って、東国に絶妙な緊張感を与えておいた方が得策だ、………………というのが、殿の考えだろう。
0
お気に入りに追加
26
あなたにおすすめの小説


1333
干支ピリカ
歴史・時代
鎌倉幕府末期のエンターテイメントです。
(現在の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』から、100年ちょい後の話です)
鎌倉や京都が舞台となります。心躍る激しい合戦や、ぞくぞくするようなオドロオドロしい話を目指そうと思いましたが、結局政治や謀略の話が多くなりました。
主役は足利尊氏の弟、直義です。エキセントリックな兄と、サイケデリックな執事に振り回される、苦労性のイケメンです。
ご興味を持たれた方は是非どうぞ!

大航海時代 日本語版
藤瀬 慶久
歴史・時代
日本にも大航海時代があった―――
関ケ原合戦に勝利した徳川家康は、香木『伽羅』を求めて朱印船と呼ばれる交易船を東南アジア各地に派遣した
それはあたかも、香辛料を求めてアジア航路を開拓したヨーロッパ諸国の後を追うが如くであった
―――鎖国前夜の1631年
坂本龍馬に先駆けること200年以上前
東の果てから世界の海へと漕ぎ出した、角屋七郎兵衛栄吉の人生を描く海洋冒険ロマン
『小説家になろう』で掲載中の拙稿「近江の轍」のサイドストーリーシリーズです
※この小説は『小説家になろう』『カクヨム』『アルファポリス』で掲載します

【完結】電を逐う如し(いなづまをおうごとし)――磯野丹波守員昌伝
糸冬
歴史・時代
浅井賢政(のちの長政)の初陣となった野良田の合戦で先陣をつとめた磯野員昌。
その後の働きで浅井家きっての猛将としての地位を確固としていく員昌であるが、浅井家が一度は手を携えた織田信長と手切れとなり、前途には様々な困難が立ちはだかることとなる……。
姉川の合戦において、織田軍十三段構えの陣のうち実に十一段までを突破する「十一段崩し」で勇名を馳せた武将の一代記。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
故郷、甲賀で騒動を起こし、国を追われるようにして出奔した
若き日の滝川一益と滝川義太夫、
尾張に流れ着いた二人は織田信長に会い、織田家の一員として
天下布武の一役を担う。二人をとりまく織田家の人々のそれぞれの思惑が
からみ、紆余曲折しながらも一益がたどり着く先はどこなのか。

永き夜の遠の睡りの皆目醒め
七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。
新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。
しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。
近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。
首はどこにあるのか。
そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。
※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

本能のままに
揚羽
歴史・時代
1582年本能寺にて織田信長は明智光秀の謀反により亡くなる…はずだった
もし信長が生きていたらどうなっていたのだろうか…というifストーリーです!もしよかったら見ていってください!
※更新は不定期になると思います。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる