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第五章「盲愛の寺」
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「まあ、左様でござりまするが………………」、信盛は苦笑しながら話を進めた、「ともかく、人質生活から、大殿のお陰で急に松平家の先行きも明るくなったものですから………………」
殿が、桶狭間で今川義元を討ち取ることで、足枷のなくなった元康(家康の旧名)は、今川から離反して松平家として独立、織田家と同盟を組むこととなった。
表向き同盟といっても、織田家と松平家ではその力に天と地との差がある ―― 松平家が織田家の下に入ったというべきで、あくまで煩い三河武士を黙らすための方便に過ぎない。
「斯様な三河以来からの家臣団を抱えておりまするので、あれもなかなかの胆力の持ち主といいまするか、人質生活で家臣らとの縁が薄かった分、それをまとめるのに相当気を使っておると思われまする」
「儂も気をつかっておるぞ」
殿の戯言に、信盛や信包は大笑い。
しばし、和やかな雰囲気のなかで、再び信盛が口を開く。
「ともかく、本来であれば人質として、下手をすれば首を飛ばされていたやもしれませぬし、一介の国人が、いまや三州・遠州の両国を抱えるようになったのですから、これを守らんとしてできうる限りの手を尽くすのは当然かと」
「織田に旗を翻し、北条につく……か?」
「どちらにつくということでは、ありまするまい。昔からの松平のやり方、三州を守るために、織田にも、今川にも良い顔をしたように」
「八方美人ということでありましょうな」
信包の言葉に、信盛は頷く。
「今川が北条になっただけのこと。三州・遠州 ―― これを守らんとすれば、織田にも、北条にも良い顔をしておらねばなりますまい」
「北条は如何に?」
「北条家は……」、信盛の代わりに答えたのは十兵衛であった、「その興りは伊勢新九郎(後の早雲)、もともと室町殿の幕臣でありましたが、これが駿河に下り、今川家の内紛に乗じて一家を興しました」
駿河の守護職であった今川義忠が亡くなり、義忠の正室であった新九郎の姉の子龍王丸と、義忠の従兄弟である小鹿範満の間で跡目争いが起こった。
幕府は、この内紛を調停せんと伊勢新九郎盛時をおくる。
盛時は、幼少であった龍王丸が元服するまでは、範満が当主となり、その後家督を譲るということで内紛を収め、京に戻った。
が、範満側は、龍王丸が元服しても家督を譲らない。
盛時は再び下って、駿河館にいた範満を討ち、龍王丸を当主の座につけた ―― 今川氏親である。
この功績により、盛時は氏親より所領を与えられ、盛時も氏親の後見のような形で駿河に居座ってしまう。
そのまま関東の混乱に乗じて、伊豆、相模と勢力を拡大。
息子の氏綱から北条を名乗り、さらに領国を広げていき、三代目氏康、四代目氏政らが、武蔵・下総一帯にまで勢力を伸ばしていった。
いまや、関東の雄である。
「得宗家(執権北条氏)とは血のつながりはないのか?」
「ございません」
十兵衛は首を振る。
「何故、北条を名乗った?」
「それは……、恐らくは権威付けかと思われまする」
関東勢から見れば、伊勢家は他所者 ―― これが吾妻全域に勢力を伸ばしていくのを、いい顔をして見ているわけがない。
しかも、堀越公方である足利茶々丸を滅ぼしたのだから、なおのこと。
氏綱も、関東で地盤を築くためには、〝北条〟を名乗った方が得策であると考えたのであろう。
北条氏の本姓は桓武平氏であり、伊勢氏も桓武平氏維衡流である。
同族という思いがあったのだろう。
ちなみに、織田家の本姓は藤原氏であったが、いまは平氏を名乗っている。
案外、いい加減なものである。
殿が、桶狭間で今川義元を討ち取ることで、足枷のなくなった元康(家康の旧名)は、今川から離反して松平家として独立、織田家と同盟を組むこととなった。
表向き同盟といっても、織田家と松平家ではその力に天と地との差がある ―― 松平家が織田家の下に入ったというべきで、あくまで煩い三河武士を黙らすための方便に過ぎない。
「斯様な三河以来からの家臣団を抱えておりまするので、あれもなかなかの胆力の持ち主といいまするか、人質生活で家臣らとの縁が薄かった分、それをまとめるのに相当気を使っておると思われまする」
「儂も気をつかっておるぞ」
殿の戯言に、信盛や信包は大笑い。
しばし、和やかな雰囲気のなかで、再び信盛が口を開く。
「ともかく、本来であれば人質として、下手をすれば首を飛ばされていたやもしれませぬし、一介の国人が、いまや三州・遠州の両国を抱えるようになったのですから、これを守らんとしてできうる限りの手を尽くすのは当然かと」
「織田に旗を翻し、北条につく……か?」
「どちらにつくということでは、ありまするまい。昔からの松平のやり方、三州を守るために、織田にも、今川にも良い顔をしたように」
「八方美人ということでありましょうな」
信包の言葉に、信盛は頷く。
「今川が北条になっただけのこと。三州・遠州 ―― これを守らんとすれば、織田にも、北条にも良い顔をしておらねばなりますまい」
「北条は如何に?」
「北条家は……」、信盛の代わりに答えたのは十兵衛であった、「その興りは伊勢新九郎(後の早雲)、もともと室町殿の幕臣でありましたが、これが駿河に下り、今川家の内紛に乗じて一家を興しました」
駿河の守護職であった今川義忠が亡くなり、義忠の正室であった新九郎の姉の子龍王丸と、義忠の従兄弟である小鹿範満の間で跡目争いが起こった。
幕府は、この内紛を調停せんと伊勢新九郎盛時をおくる。
盛時は、幼少であった龍王丸が元服するまでは、範満が当主となり、その後家督を譲るということで内紛を収め、京に戻った。
が、範満側は、龍王丸が元服しても家督を譲らない。
盛時は再び下って、駿河館にいた範満を討ち、龍王丸を当主の座につけた ―― 今川氏親である。
この功績により、盛時は氏親より所領を与えられ、盛時も氏親の後見のような形で駿河に居座ってしまう。
そのまま関東の混乱に乗じて、伊豆、相模と勢力を拡大。
息子の氏綱から北条を名乗り、さらに領国を広げていき、三代目氏康、四代目氏政らが、武蔵・下総一帯にまで勢力を伸ばしていった。
いまや、関東の雄である。
「得宗家(執権北条氏)とは血のつながりはないのか?」
「ございません」
十兵衛は首を振る。
「何故、北条を名乗った?」
「それは……、恐らくは権威付けかと思われまする」
関東勢から見れば、伊勢家は他所者 ―― これが吾妻全域に勢力を伸ばしていくのを、いい顔をして見ているわけがない。
しかも、堀越公方である足利茶々丸を滅ぼしたのだから、なおのこと。
氏綱も、関東で地盤を築くためには、〝北条〟を名乗った方が得策であると考えたのであろう。
北条氏の本姓は桓武平氏であり、伊勢氏も桓武平氏維衡流である。
同族という思いがあったのだろう。
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