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第五章「盲愛の寺」
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信盛の話では、松平の祖は関東の名も知れぬ侍で、これが時宗の僧侶となって放浪中に三河松平郷の松平氏の娘婿となり、松平親氏と名乗ったのが始まりらしい、その後息子泰親、孫信光が三河一帯に支配地域を拡大していく。
信光の孫で、安祥城にいた分家筋の松平長親が宗家に代わって勢力を伸ばすが、内紛が続き、これをまとめることができたのが、長親の孫で、家康の祖父となる清康と父広忠である。
「松平親子とは、大殿のお父上(信秀)とよくよく戦いましてな、某もよくお供したものです」
尾張と三河は隣同士 ―― これが戦をするのは当代の必然 ―― 領地争いでよく戦ったそうだ。
徐々に織田家の力が強くなり、さらに東から遠江・駿河の今川氏の進出もあって、三河での松平氏の力も弱まっていく。
あげく、信秀が広忠の拠点である岡崎城を落としてしまう。
進退窮まった広忠は、息子を織田家の人質として送ることで、この難を逃れた ―― のちの家康である。
巷間には、もとより今川家との盟約で猶子(本当は人質)として送るつもりであったが、戸田康光(家康の継母の父)の手引きで織田家へと送られたと喧伝されているが、まあ、広忠が生き残るために織田家に嫡男を差し出した話が広がると、家臣や領民に領主に対する不信が広がろうと、斯様な噂を流したのであろう。
ともかく、家康は織田家の家臣加藤図書助順盛の屋敷で二年の人質生活を送る。
その後、信広の死後に今川家へと送られ、六年余りの人質生活を送った。
「儂は、幼いころの羽林とは面識がなかったが、幼少の羽林は如何であったか?」
「なんと申しますか………………」、信盛は微妙な顔をする、「子どものようでないというか、大人というか、年寄というか………………」
「なんじゃ、そりゃ?」
「老成している……ということですか?」
十兵衛が尋ねる。
信盛が頷く。
「人質生活が長すぎて、先行きを諦めておるというか、人生を達観しておるというか、子どもながらに何を考えておるかよう分からん男でしたな」
「子どもですからな、何も考えておらなんだでは?」
信包の言葉に、信盛は首を振る。
「これが、ときに何かを企むような鋭い目つきを見せるものですからな………………」
太若丸は、ふと家康の顔を思い描いた。
顎の張った、四角張った、目も鼻も大きな、狛犬のような人であった。
初めて会ったときは、何を考えているか、というか何も考えていないような、呆けた顔をしていたが、長篠・設楽の戦で殿と家康の陣幕を訪れた際、頻りに親指の爪を噛みながら、何事か考えていた姿は………………
「某もなんとなく気味が悪うて」
確かに不気味であった。
「大殿のお父上などは『気色の悪いガキじゃ。よいか、このガキを絶対によそに出すなよ』と言われたほどで………………」
「そんなガキを、なぜ今川に譲った?」
「それは大殿が………………」
「儂が?」
信長の父信秀は、たびたび西三河まで侵出し、駿河の今川氏と激突していた。
岡崎の西に位置する安祥の城代に、信長の異母兄信広を置いていた。
信広は、駿河勢の攻撃を幾度となく食い止め、ときに松平家の重臣本多忠高(忠勝の父)を討ち取るなどの功績をあげている。
だが、天文十八(一五四九)年十一月に、太原雪斎率いる大軍に破れ、生け捕りにされる。
このとき、信広との交換条件として出されたのが、竹千代(家康)である。
「某はお止めしましたが、大殿はこれを喜んで………………」
殿も、思い当たったようだ。
あっとした顔をしている。
「あのきは……、ほれ、兄上のほうが大事で……」
このとき、当主信秀は病床にあり、信長がその代わりを務めていた。
信長は、この話に乗った。
父の右腕として戦場を駆ける異母兄は、弟からしてみれば憧憬の存在であり、その優秀さと武人としての勇敢さは、いまの織田家にとっても、また、これから信長が家督を継いだ以降の織田家にとっても必要な存在であった。
庶子でなければ、信長が織田家当主になることなどなかったはずだ。
「父上にも相談したぞ」
信秀も、己を補佐する存在として織田家を支える存在としても、また信長を支える存在としても、信広のことを憂いていたのであろう。
いや、病に倒れる前の信秀ならば、竹千代の存在と信広の存在を秤にかけて、どちらが織田家に不幸をもたらすかを考慮してみれば、迷わず信広を見捨てていただろう。
信長に同意したのは、
「お父上も病に伏せられ、親子の情には勝てなかったということでしょうな」
ともかく、信広と竹千代の人質交換はなった。
信秀の死後、家督争いで揉めることはあったが、その後信広は異母弟に陰日向となって仕え、いまの織田家の礎を築いたのだから、この人質交換は幸か不幸かでいえば、前者であろう。
残念なことに、天正二(一五七四)年長島の戦で亡くなってしまったが。
「まあ、なんだ、今更過ぎたことを言うても仕方があるまい」
殿は、己の都合が悪くなると素知らぬ顔をする。
信光の孫で、安祥城にいた分家筋の松平長親が宗家に代わって勢力を伸ばすが、内紛が続き、これをまとめることができたのが、長親の孫で、家康の祖父となる清康と父広忠である。
「松平親子とは、大殿のお父上(信秀)とよくよく戦いましてな、某もよくお供したものです」
尾張と三河は隣同士 ―― これが戦をするのは当代の必然 ―― 領地争いでよく戦ったそうだ。
徐々に織田家の力が強くなり、さらに東から遠江・駿河の今川氏の進出もあって、三河での松平氏の力も弱まっていく。
あげく、信秀が広忠の拠点である岡崎城を落としてしまう。
進退窮まった広忠は、息子を織田家の人質として送ることで、この難を逃れた ―― のちの家康である。
巷間には、もとより今川家との盟約で猶子(本当は人質)として送るつもりであったが、戸田康光(家康の継母の父)の手引きで織田家へと送られたと喧伝されているが、まあ、広忠が生き残るために織田家に嫡男を差し出した話が広がると、家臣や領民に領主に対する不信が広がろうと、斯様な噂を流したのであろう。
ともかく、家康は織田家の家臣加藤図書助順盛の屋敷で二年の人質生活を送る。
その後、信広の死後に今川家へと送られ、六年余りの人質生活を送った。
「儂は、幼いころの羽林とは面識がなかったが、幼少の羽林は如何であったか?」
「なんと申しますか………………」、信盛は微妙な顔をする、「子どものようでないというか、大人というか、年寄というか………………」
「なんじゃ、そりゃ?」
「老成している……ということですか?」
十兵衛が尋ねる。
信盛が頷く。
「人質生活が長すぎて、先行きを諦めておるというか、人生を達観しておるというか、子どもながらに何を考えておるかよう分からん男でしたな」
「子どもですからな、何も考えておらなんだでは?」
信包の言葉に、信盛は首を振る。
「これが、ときに何かを企むような鋭い目つきを見せるものですからな………………」
太若丸は、ふと家康の顔を思い描いた。
顎の張った、四角張った、目も鼻も大きな、狛犬のような人であった。
初めて会ったときは、何を考えているか、というか何も考えていないような、呆けた顔をしていたが、長篠・設楽の戦で殿と家康の陣幕を訪れた際、頻りに親指の爪を噛みながら、何事か考えていた姿は………………
「某もなんとなく気味が悪うて」
確かに不気味であった。
「大殿のお父上などは『気色の悪いガキじゃ。よいか、このガキを絶対によそに出すなよ』と言われたほどで………………」
「そんなガキを、なぜ今川に譲った?」
「それは大殿が………………」
「儂が?」
信長の父信秀は、たびたび西三河まで侵出し、駿河の今川氏と激突していた。
岡崎の西に位置する安祥の城代に、信長の異母兄信広を置いていた。
信広は、駿河勢の攻撃を幾度となく食い止め、ときに松平家の重臣本多忠高(忠勝の父)を討ち取るなどの功績をあげている。
だが、天文十八(一五四九)年十一月に、太原雪斎率いる大軍に破れ、生け捕りにされる。
このとき、信広との交換条件として出されたのが、竹千代(家康)である。
「某はお止めしましたが、大殿はこれを喜んで………………」
殿も、思い当たったようだ。
あっとした顔をしている。
「あのきは……、ほれ、兄上のほうが大事で……」
このとき、当主信秀は病床にあり、信長がその代わりを務めていた。
信長は、この話に乗った。
父の右腕として戦場を駆ける異母兄は、弟からしてみれば憧憬の存在であり、その優秀さと武人としての勇敢さは、いまの織田家にとっても、また、これから信長が家督を継いだ以降の織田家にとっても必要な存在であった。
庶子でなければ、信長が織田家当主になることなどなかったはずだ。
「父上にも相談したぞ」
信秀も、己を補佐する存在として織田家を支える存在としても、また信長を支える存在としても、信広のことを憂いていたのであろう。
いや、病に倒れる前の信秀ならば、竹千代の存在と信広の存在を秤にかけて、どちらが織田家に不幸をもたらすかを考慮してみれば、迷わず信広を見捨てていただろう。
信長に同意したのは、
「お父上も病に伏せられ、親子の情には勝てなかったということでしょうな」
ともかく、信広と竹千代の人質交換はなった。
信秀の死後、家督争いで揉めることはあったが、その後信広は異母弟に陰日向となって仕え、いまの織田家の礎を築いたのだから、この人質交換は幸か不幸かでいえば、前者であろう。
残念なことに、天正二(一五七四)年長島の戦で亡くなってしまったが。
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