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第五章「盲愛の寺」
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「皆様方、よき話だと一様にお喜びのことで」
「結構、結構!」
「されど、何故、お屋敷を譲るのかと訝しむ方もおられ………………」
それは当然であろう。
帝(正親町天皇)に、男児は東宮しかいない。
これに新邸を献上するということは、東宮 ―― 次の帝を抱え込むということ ―― つまり、以降の政を信長の思いのままにできるということ。
『東海の田舎者に、そこまで許すのか!』
という、やんごとなき方々のご意見もごもっともであろう。
だが、いまや朝廷は殿がいなくては立ち回らない。
実際のところ、東宮は銭がなくて元服の儀式もできなかったのを、殿が出してこれをなしたのだから、文句は言えまい。
「帝も良いお年、それを考えれば、いつ何時東宮にお鉢が回ってくるとも限らん。今のうちに抱えられるものは抱え込んでおけとな………………というのが、十兵衛の話じゃ」
なるほど、これは十兵衛の差し金か。
「このことは、やんごとなき方々には内密じゃぞ」
「それは、もう………………、その一件に関しましては某のほうで適当にあしらっておきまする。ただ……、そうなりますると、また聊かこちらのほうが………………」
貞勝は、人差し指と親指で丸を作る ―― 銭である。
「東宮様が御移りになるということでしたら、それなりの儀が執り行われましょうし、立太の義もまだとのことで、必然その話にもなりましょうし、そうなりますると、いま宮中で話にあがりまするのが、帝が東宮様に位を譲られるということで、その儀の費用や、その帝が移られる次の屋敷の費用などと………………、色々と入用になりましょう」
「それだけですむのか? そうなるとまた、やんごとなき皆様の土産だなんだと、何かと配らねばならぬのではないか?」
「左様で………………」
殿は、大きなため息を吐く。
「何故、朝廷は斯様に金がかかる!」
「左様な場所でござりまするので………………」
「戦もせん、政もいまや神仏に祈るのみ、ことがあれば蹴鞠だ歌会だと遊びことばかり! 家柄と名だけで、どうにかゆく世の中ではないぞ!」
「御尤もで」
「それも含めて、東宮がここに住めば、ここを御所となせばよし、帝は退位なされても、そのままいまの御所に住めば良いこと、そういったことも考えておるのじゃ、儂は」
「それが………………、やんごとなき皆様に通用するか、どうか………………」
「通用させる! 有無を言わせん! 天下を平らげたら、そいつら全員始末してやる!」
殿の厳しい形相に、貞勝もいささか困惑している。
「それは……、まあ、そうなれば一番でよろしいのでしょうが………………、ただ、向こうから何かしらあるかと………………」
「何かしらとは?」
「征夷大将軍とか………………」
「征夷大将軍なら、おるではないか、鞆の浦に」
武家の棟梁としての征夷大将軍は、いまだ足利義昭である。
天下を治める力がなくとも、まだその位にいる。
朝廷も補任したままだ ―― 帝が令すれば、すぐにでも解任できるはずだ ―― それをしないということは………………
「朝廷も、儂と貧乏公方を天秤にかけておるということであろう」
「左様なことは………………」
「それに、新しい官職で儂が喜ぶとでも?」、殿は鼻で笑う、「安く見られたものだ」
「なんとも……………」、これ以上話すと面倒だと思ったのか、貞勝は次に話を移した、「次に……、座頭らからの訴えのあった一件ですが、滞りなく処断いたしました」
「結構、結構!」
「されど、何故、お屋敷を譲るのかと訝しむ方もおられ………………」
それは当然であろう。
帝(正親町天皇)に、男児は東宮しかいない。
これに新邸を献上するということは、東宮 ―― 次の帝を抱え込むということ ―― つまり、以降の政を信長の思いのままにできるということ。
『東海の田舎者に、そこまで許すのか!』
という、やんごとなき方々のご意見もごもっともであろう。
だが、いまや朝廷は殿がいなくては立ち回らない。
実際のところ、東宮は銭がなくて元服の儀式もできなかったのを、殿が出してこれをなしたのだから、文句は言えまい。
「帝も良いお年、それを考えれば、いつ何時東宮にお鉢が回ってくるとも限らん。今のうちに抱えられるものは抱え込んでおけとな………………というのが、十兵衛の話じゃ」
なるほど、これは十兵衛の差し金か。
「このことは、やんごとなき方々には内密じゃぞ」
「それは、もう………………、その一件に関しましては某のほうで適当にあしらっておきまする。ただ……、そうなりますると、また聊かこちらのほうが………………」
貞勝は、人差し指と親指で丸を作る ―― 銭である。
「東宮様が御移りになるということでしたら、それなりの儀が執り行われましょうし、立太の義もまだとのことで、必然その話にもなりましょうし、そうなりますると、いま宮中で話にあがりまするのが、帝が東宮様に位を譲られるということで、その儀の費用や、その帝が移られる次の屋敷の費用などと………………、色々と入用になりましょう」
「それだけですむのか? そうなるとまた、やんごとなき皆様の土産だなんだと、何かと配らねばならぬのではないか?」
「左様で………………」
殿は、大きなため息を吐く。
「何故、朝廷は斯様に金がかかる!」
「左様な場所でござりまするので………………」
「戦もせん、政もいまや神仏に祈るのみ、ことがあれば蹴鞠だ歌会だと遊びことばかり! 家柄と名だけで、どうにかゆく世の中ではないぞ!」
「御尤もで」
「それも含めて、東宮がここに住めば、ここを御所となせばよし、帝は退位なされても、そのままいまの御所に住めば良いこと、そういったことも考えておるのじゃ、儂は」
「それが………………、やんごとなき皆様に通用するか、どうか………………」
「通用させる! 有無を言わせん! 天下を平らげたら、そいつら全員始末してやる!」
殿の厳しい形相に、貞勝もいささか困惑している。
「それは……、まあ、そうなれば一番でよろしいのでしょうが………………、ただ、向こうから何かしらあるかと………………」
「何かしらとは?」
「征夷大将軍とか………………」
「征夷大将軍なら、おるではないか、鞆の浦に」
武家の棟梁としての征夷大将軍は、いまだ足利義昭である。
天下を治める力がなくとも、まだその位にいる。
朝廷も補任したままだ ―― 帝が令すれば、すぐにでも解任できるはずだ ―― それをしないということは………………
「朝廷も、儂と貧乏公方を天秤にかけておるということであろう」
「左様なことは………………」
「それに、新しい官職で儂が喜ぶとでも?」、殿は鼻で笑う、「安く見られたものだ」
「なんとも……………」、これ以上話すと面倒だと思ったのか、貞勝は次に話を移した、「次に……、座頭らからの訴えのあった一件ですが、滞りなく処断いたしました」
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