本能寺燃ゆ

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第五章「盲愛の寺」

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「で?」

「はぁ?」

 また、この繰り返し。

「その武田は如何なっておる?」

「はぁ………………」

「この雛を自慢するために、子作りに励むおぬしをわざわざ呼ぶわけがなかろう」

 殿は、乱から受け取った懐紙で手を拭きながら座敷にあがり、腰を下ろした。

 信忠も座り、

「されば、越後のほうが収まってからは特に動きはなく、ただ相模とは隙間風は吹いているようで………………」

「詳しく!」

 越後の上杉輝虎うえすぎてるとら(法名不識庵謙信ふしきあんけんしん)の後継争い ―― 甥である上杉景勝かげかつ北条氏康ほうじょううじやすの実子で養子となった上杉景虎かげとらの争い ―― で揺れた越後は、この弥生に景勝が越後を掌握したことで終息した(御館の乱)。

 甲斐の現当主武田勝頼たけだかつよりは、越後入りまでして途中これの仲介に入り、和議まで持ち込んだが、徳川家康の田中城侵攻に慌てて帰国、その後和議は破綻した。

 経緯が複雑である。

 最初は景虎から助力を願われた実家の北条氏が、他の戦に忙殺して動けず、勝頼に助力を願った。

 武田方は二万の兵で越後に向かうが、景勝側も果敢に応戦。

 もたもたしていると、北条側から疑心を抱かれる。

 そこに、景勝から勝頼に和議の仲立ちをしてくれと依頼される。

 北条氏への不信感と、徳川の脅威から、これをそうそうに引き受け、双方の和議にまで持ち込んだ。

 が、和議の破綻後に景虎側が破れ、越後は景勝のものとなった。

 北条家としてみれば、景虎が破れ自害したのは、助力の約束を反故にした武田のせいだと思うだろう。

 武田家にしてみれば、そもそも北条家自らが援軍を送るのが筋で、代わりに出張ってやったのに、この言われよう、しかも当代で生きるか死ぬかは己の運次第、そんなこと知るか………………という思いだろう。

 だが、それでもまだ徳川や織田、上杉らからの脅威もあるので、手は結んでいるようだが………………

 殿は、信忠の話を聞いて、顎に手をやり、何事か考えていた。

「甲斐を………………、攻めまするか?」

 信忠の言葉に、殿は手を振った。

「いや、西国がこの状況では、いまは難しかろう」

「ならば、何用で?」

「うむ……、五徳ごとくから便りがきてな」

 五徳は、信長の次女である。

 徳川家康の嫡男松平信康まつだいらのぶやすに嫁いでいる。

「なにか、甲斐や相模の件でも?」

「いや、単なる愚痴じゃ。三郎殿(信康)のご母堂(築山殿)が、五徳と三郎殿の仲を引き裂こうとしておるとか、ご母堂が贅沢な暮らしをしているとか、三郎殿も素行が悪く、鷹狩の獲物がとれなかった腹いせに法師を切ってしまったとか………………」

「左様なことを?」

「元気があって良いではないかと返してやった。儂なら、法師だけでなく、その辺に歩いていた連中も全て叩き斬っておるぞと」

「戯言を……、しかし、嫁入り先がそれでは、五徳があまりにも可哀そうでは」

 殿は、鼻で笑う。

「なに、五徳も後継ぎに恵まれず、焦っておるのよ。郷に入れば、郷に従え、嫁入りとはそういうものじゃろう」

「左様ではございまするが………………」、信忠は妹のことを心配しているようだ、「で、それと甲斐や相模のことが何か?」

「うむ、五徳の従者から、別の便りもあってな。どうも、甲斐につくか、相模につくかで、羽林(家康)殿と三郎殿で揉めておるらしい」

「ほう、それはそれは」

「羽林殿は相模に、三郎殿は甲斐に……と。まあ、それ以外にも三郎殿のご母堂のこともあるらしいが………………」

 書状には、築山殿の屋敷によからぬ輩が出入りしておるとか。

「よからぬ輩?」

「なんでも、滅敬げんきょうとうかいう医師らしいが、これが甲斐の浪人とか」

「それは、武田と内通しておるのでは?」

 信忠が疑うのも当然だ。

「そうでもないらしい。従者がいろいろと調べまわったそうだが、そういった素振りはないらしい。ただ治療というて、ご母堂の屋敷に泊まることも多いとか」

「なにやら、謀りごとの匂いが………………」

 殿は苦笑する。

「おぬしには分らんか? ご母堂といっても、まだ四十手前ぞ? 夫が相手をしなくなれば、女盛りの体を持てあまそうが?」

 言われたことが分らず、信忠はぽかんとしていたが、しばらくして耳まで真っ赤になった。

「そ、そういうものですか?」

「そういうものじゃ。その辺分らねば、おぬしも将来女で苦労するぞ」

 信忠は、赤面しながらも首を傾げている。

「まあ、夫婦の間が冷めているとはいえ、正妻が他に男を作っては、羽林殿も面子がないわな。家臣たちにも、顔向けができんであろう。夫婦や親子のことじゃから、口出しはせぬが………………、娘の嫁入り先でもあるし、東海を任せていることでもある、甲斐を取り込むか、相模を取り込むかは、織田家の問題でもあるからな、その辺だけははっきりとさせておかねばならぬ」

「御意に」
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