本能寺燃ゆ

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第五章「盲愛の寺」

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 突然のお成りに、住職の明感らだけでなく、法華の日珖らも酷く驚いていた ―― 己らがしたことが、ここまで大きくなるとは思っていなかったのだろう。

 殿は、玉念と貞安に扇を贈り、大いに褒めたたえた ―― すなわち、浄土側の勝ちである。

 判者の鉄叟には、労をねぎらい東波の杖を贈った。

「して、此度斯様な騒ぎになったのは、法華の宗徒である何某らが玉念殿に喧嘩を売ったことがはじまりであるらしいが………………」

 喧嘩を売ったなど滅相もないと法華の宗徒たちが慌てて首を振ったが、殿のひと睨みでみな口を閉じた。

「そのふたりをここに連れ出せ!」

 件のふたりとは、建部紹智たてべしょうち大脇伝介おおわきでんすけである。

 引き出されたのは伝介のみ、紹智は逃げ失せたらしい。

「たとえ一国一郡の主といえども、斯様なことをすべきではないのに、おぬしはただの塩売りでないか! 此度は玉念殿の来訪にあたり、安土全体でご長老の宿を引き受け、それをお支えしなければならぬ身でありながら、人にそそのかれて問答を挑み、京・安土に喧騒を巻き起こすは、不届き千万! 即刻その首を刎ね!」

 伝介は命乞いするも、長頼らに寺の外へと引きずり出された。

 しばらくして、ぎゃっという叫び声が響いた。

 僧侶たちは、念仏を唱えている。

 殿は、それを見て、にやりと笑う。

「七兵衛、逃げたもうひとりも何としても捕まえ、首を刎ね!」

「畏まり候」

「さてと、次は…………………」、畏まる日珖らに目をやり、ぐるりと見渡して、「この中に、妙国寺の普伝というものがおるとか?」

 法華の僧侶たちは、みな縮こまっている。

 次は己かもしれないと、目も合わせない。

「普伝はおるか!」

 と、殿が声を張り上げると、日珖たちの視線が一番後ろに………………他の僧侶に隠れるようにして、背中を丸め、顔を隠した男がひとり。

「おぬしが普伝か、七兵衛からの報せを聞いたとき、どこぞで聞いた名であると思うておったが………………」

 ああ、前関白近衛前久このえまえひさが、都で騒動を起こしているといっていたやつか!

「おぬし、都で人々から金品を巻き上げておるらしいな」

「め、滅相もござりませぬ」

 普伝は、千切れんばかりに首を振る。

「嘘を申せ! 京都所司代からの調べがあがっておる。此度も、この安土の人々を誑かし金品を巻き上げようとしたのであろう!」

「とんでもござりませぬ、決してそのようなことは」、普伝は唇をわなわなと震わせながら答える、「此度の問答で勝てば、一生分の銭をやろうと〝こやつら〟に唆され………………」

「〝こやつら〟じゃと?! 野良の分際で、灌頂を受けた僧らを〝こやつら〟呼ばわりか! それで銭を受け取り、所司代に無断で安土までやってきたというか! 不届き千万! それにおぬし、日珖殿らが問答をしている間は口を開かず、勝ちそうになればしゃしゃり出ようと待ち構え、負けそうになれば一目散に逃げようとしたそうではないか! 斯様な卑怯なこと、まことにもって怪しからぬ! このものの首も刎ねい!」

 普伝も、寺の外に引き摺り落され、ぎゃぎゃと泣きわめいていたが、これも最後に物凄い悲鳴をあげたかと思うと、急に静かになった。

 すると、門の外から何やらころころと転がってきた。

 恐怖に引き攣った普伝の首である。

 それを見た僧侶らは、みな卒倒しそうだった。

「さて、日珖殿らの番であるが………………、大体において、儂らは戦々と日々命を懸けて働いておるのに、そなたらは大層豪奢な寺庵に住み、贅を尽くしておるとは如何なものか? にも関わらず、一切学問もせず、〝妙〟の一字も答えられぬとは、片腹痛し!」

 日珖たちは、普伝と同じような目にあうのかと、項垂れていた。

 それを見た殿は、鼻で笑い、

「だが、法華の皆々様は口が達者でいらっしゃる。のちのち、この問答で負けたなどとは言わぬであろう。そうであるならば、法華を捨て、玉念殿のもとに弟子入りするか、それが嫌ならば、此度の一件、負けを認め、以後他の僧侶や門徒らに問答をふっかけぬと約する書面を出せ」

 日珖たちは驚いている ―― それは出来かねるという顔だ。

 が、乱がすすっと進み出て、日珖の耳元で何やら囁いた。

 それを聞いた日珖は目を大きく見開き、「仰せのままに」と慌てて頭を下げた。

 また、何を言ったのだ?

 太若丸が睨みつけると、乱はまるで桜の花びらのような桃色の舌をぺろっと出し、傍にきて耳打ちした。

「仰せのとおりになされませぬと、普伝のようになりまするぞ」

 と。

 まあ、今回はそれで法華側が折れたのだから、乱の余計な口出しも良しとするか。

 ともかく、法華は、殿と浄土側に対して、『此度の問答で負けた』こと、『以後他の宗派を非難しない』こと、さらに『日珖らは、上様の御許しがでるまで、一度門跡を離れる』ことを書状に約して、安土を去っていった。

 件の紹智は堺まで逃げていたようだが、これも捕らえられ、即座に首を刎ねられたらしい。
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