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第五章「盲愛の寺」
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「それで、勝敗はいずれに?」
書状にも書かれているが、殿の目の間に座った信澄自ら口を開いた。
「はっ、なおも法華側が答えにもたついていたので、判者の鉄叟殿から失笑され………………」
これを見に来ていた浄土門徒らも釣られて大笑いしたらしい。
それを勝負ありと見たのか、玉念が徐に立ち上がり、扇子を開いて舞い踊ったとか……………仏門にいるものが舞いなど踊らぬが、周りのものには、そのように見えたらしい。
これが切っ掛けで、浄土側が勝ったと門徒らが暴れだし、法華の宗徒と喧嘩になった。
最後は、浄土の門徒らが法華の宗徒を追い出して、日珖らの法衣を剥ぎ取り、これを打ち据え、法華の経典類もすべて引き裂いてしまったとか。
「おぬしらは、それを黙ってみておったのか?」
「いえ、そのようなことは。止めに入ろうはしましたが………………」
門徒の勢いに押されたようだ。
法華の僧侶たちは這う這うの体で逃げ出したが、信澄らは、まだ信長の裁きが終わっておらぬと、これらを追い、捕らえたとのこと。
殿は、首を傾げ、
「これは……、勝敗はついておるのか?」
と、信澄に問う。
信澄も、「いや……」と、首を傾げる。
貞安の『〝妙〟を捨てるのか? 捨てないのか?』という問いかけに、法華側がもたついただけ。
判者もそれを笑っただけで、浄土側の勝ちとは言っていない。
それを恰も浄土側が勝ったように玉念が振る舞い、それに焚きつけられた門徒たちが暴れただけ………………ともとれる。
「で、第四の〝妙〟とはなんぞ?」
と、殿は話の核心をつく。
信澄は答えられない。
後ろに控えている長頼や秀一、秀政、家定らも、そっぽを向いている。
こうなると、必ず殿は………………
「第四の〝妙〟とはなんじゃ、太若丸?」
やっぱり!
〝妙〟とは………………いとも不思議で、優れて美しい………………この世に表すことの難しいこと………………要は、衆庶では絶対に知りえることのできないことである ―― 〝妙覚〟といえば仏の真の悟りをさす。
となると、〝妙〟とは仏の教え ―― 説法、または経典を指すのであろう。
〝方座〟とは、教えを説く僧侶の座る場所 ―― すなわち釈尊の説法 ―― これの第四の〝妙〟とは、四番目の説法 ―― すなわち〝般若時〟の説法のことであろう。
仏典は、あまりにも数が多い。
しかも、それぞれによって釈尊の教えが違う。
が、その全てが正しい………………と云われている。
そうなると、この違いは何か?
考えた末、これは釈尊が悟りを開き、涅槃に入るまでに教えが徐々により真理へと変わっていったのだろう………………と、釈尊の生涯を五つに分け、数ある経典を振り分けている ―― 〝華厳時〟〝鹿苑時〟〝方等時〟〝般若時〟〝法華涅槃時〟のいわゆる『五時』である。
法華宗が信奉する『法華経』類は、〝法華涅槃時〟にあたる。
ということは、第四の〝妙〟を捨てるとは、その前の〝般若時〟にあたる教え ―― 『経典』を捨てるのかと、貞安は訊ねたことになる。
が、〝般若時〟にあたる経典は『大般若経』らであり、浄土宗が基本とする経典は『阿弥陀経』『観無量寿経』であるから〝方等時〟にあたるはず………………
法華と浄土が問答をしているのだから、〝般若時〟ではあるまい。
となると、第四の〝妙〟ではなく、『第三の〝妙〟を捨てるのか? 捨てないのか?』と訊ねなければならなかったのではないか?
ならば、日珖らが戸惑ったのも分かる。
仮に、日珖らが法華以前の教えは方便だからと言ったことに対して、『ならば、その全てを捨てるのか?』という意味ならば、『方座四時の〝妙〟』、または『爾前の〝妙〟』と言えばよい。
ここを曖昧に問いただすは、明らかに相手を惑わす、下種な言い方だが、揚げ足取りの意地汚い問いである………………と、太若丸は感じる。
いや、これは経典ではなく、その教えの中身を意味しているかもしれない。
すなわち、『八教』のうちの『化法四教』である。
『八教』は、『化義四教』と『化法四教』に分かれる。
『化義四教』は、その教え方 ―― 説法の仕方であり、〝頓教〟〝漸教〟〝秘密教〟〝不定教〟と教え方が変わっていく。
対する『化法四教』は、〝蔵教〟〝通教〟〝別教〟〝円教〟であり、これは中身の変化 ―― 釈尊の教えがより深みを増していくのであり、第四の〝円教〟が最大の真理となる。
この『八教』も、『五時』にあてはめるが、『化法四教』のすべてがあてはまるのが、〝方等時〟のみである。
もしかして貞安は、『〝円教〟を捨てるのか? 捨てないのか?』と問うたのか?
日珖らが答えられなかったときに、『法華の妙を汝らは知らずや?』と問うているのは、〝法華涅槃時〟には〝円教〟のみがあてはまるので、恐らくはこれで間違いないであろう。
日珖らは、『方便四十余年未顕真実(釈尊が法華を説く前の四十数年に説いてきた諸々の教えは仮のもので、いまだ真実をあらわしたものではない、すなわち法華に目覚めた十年の教えが真実である)』と言ったので、貞安は『それならば、〝方等時〟にもあり、〝法華涅槃時〟にもある最大の真理たる〝円教〟も捨てるのか? 捨てないのか?』と、問うたのだろう。
いずれにしろ、初めの問いではそこが不明確だったので、日珖らは答えに窮したのであろう。
これは………………貞安の問いが曖昧で、日珖らに同情の余地がある………………ともいえる。
だが、日珖らが『方座第四の〝妙〟とは何ぞ?』と突っぱねればよいだけである。
その不確かな問いが明確になるまで、徹底してこの問いに答えるのを無視し、貞安に明確な問いを言わせれば良いだけ。
問答とは、そういうもの。
御山(比叡山延暦寺)の学僧など、どのような問いや返答がこようとも、答えに窮することなく喧々囂々やりあっていた。
それが正しいかどうかなど関係ない。
例え、その人が正しくとも、その答えにつまれば負けである。
要は、口が上手く、頭の回転が速い………………ずる賢いともいうが、声も大きく、態度もでかいものが勝つのである。
となると、どのような状況にあっても、答えられなかった日珖らの負けである………………………………と、太若丸は思ったことを言ってみた。
ちなみに、〝法華涅槃時〟の〝円教〟は、それ以外の〝円教〟よりも、もっとも純粋な真理であるとも説かれるので、日珖が『爾前を捨て、法華の〝妙〟のみが真実なり(以前の〝円教〟を捨て、〝法華涅槃時〟の〝円教〟のみが真実である)』と答えれば、話は違ってきたやもしれぬが………………まあ、仮の話をしても、今更詮無きことだが。
太若丸の話を聞いて殿は、
「貞安とやら、随分と頭が切れるではないか」
と、にやりと笑った。
「まあ、儂としては、問答でどっちが勝とうが興味もないが………………、儂の足元で斯様な騒ぎを起こすとこが気に食わん。七兵衛(信澄)、この一件にかかわったものを全て浄厳院に集めよ、儂も行く!」
書状にも書かれているが、殿の目の間に座った信澄自ら口を開いた。
「はっ、なおも法華側が答えにもたついていたので、判者の鉄叟殿から失笑され………………」
これを見に来ていた浄土門徒らも釣られて大笑いしたらしい。
それを勝負ありと見たのか、玉念が徐に立ち上がり、扇子を開いて舞い踊ったとか……………仏門にいるものが舞いなど踊らぬが、周りのものには、そのように見えたらしい。
これが切っ掛けで、浄土側が勝ったと門徒らが暴れだし、法華の宗徒と喧嘩になった。
最後は、浄土の門徒らが法華の宗徒を追い出して、日珖らの法衣を剥ぎ取り、これを打ち据え、法華の経典類もすべて引き裂いてしまったとか。
「おぬしらは、それを黙ってみておったのか?」
「いえ、そのようなことは。止めに入ろうはしましたが………………」
門徒の勢いに押されたようだ。
法華の僧侶たちは這う這うの体で逃げ出したが、信澄らは、まだ信長の裁きが終わっておらぬと、これらを追い、捕らえたとのこと。
殿は、首を傾げ、
「これは……、勝敗はついておるのか?」
と、信澄に問う。
信澄も、「いや……」と、首を傾げる。
貞安の『〝妙〟を捨てるのか? 捨てないのか?』という問いかけに、法華側がもたついただけ。
判者もそれを笑っただけで、浄土側の勝ちとは言っていない。
それを恰も浄土側が勝ったように玉念が振る舞い、それに焚きつけられた門徒たちが暴れただけ………………ともとれる。
「で、第四の〝妙〟とはなんぞ?」
と、殿は話の核心をつく。
信澄は答えられない。
後ろに控えている長頼や秀一、秀政、家定らも、そっぽを向いている。
こうなると、必ず殿は………………
「第四の〝妙〟とはなんじゃ、太若丸?」
やっぱり!
〝妙〟とは………………いとも不思議で、優れて美しい………………この世に表すことの難しいこと………………要は、衆庶では絶対に知りえることのできないことである ―― 〝妙覚〟といえば仏の真の悟りをさす。
となると、〝妙〟とは仏の教え ―― 説法、または経典を指すのであろう。
〝方座〟とは、教えを説く僧侶の座る場所 ―― すなわち釈尊の説法 ―― これの第四の〝妙〟とは、四番目の説法 ―― すなわち〝般若時〟の説法のことであろう。
仏典は、あまりにも数が多い。
しかも、それぞれによって釈尊の教えが違う。
が、その全てが正しい………………と云われている。
そうなると、この違いは何か?
考えた末、これは釈尊が悟りを開き、涅槃に入るまでに教えが徐々により真理へと変わっていったのだろう………………と、釈尊の生涯を五つに分け、数ある経典を振り分けている ―― 〝華厳時〟〝鹿苑時〟〝方等時〟〝般若時〟〝法華涅槃時〟のいわゆる『五時』である。
法華宗が信奉する『法華経』類は、〝法華涅槃時〟にあたる。
ということは、第四の〝妙〟を捨てるとは、その前の〝般若時〟にあたる教え ―― 『経典』を捨てるのかと、貞安は訊ねたことになる。
が、〝般若時〟にあたる経典は『大般若経』らであり、浄土宗が基本とする経典は『阿弥陀経』『観無量寿経』であるから〝方等時〟にあたるはず………………
法華と浄土が問答をしているのだから、〝般若時〟ではあるまい。
となると、第四の〝妙〟ではなく、『第三の〝妙〟を捨てるのか? 捨てないのか?』と訊ねなければならなかったのではないか?
ならば、日珖らが戸惑ったのも分かる。
仮に、日珖らが法華以前の教えは方便だからと言ったことに対して、『ならば、その全てを捨てるのか?』という意味ならば、『方座四時の〝妙〟』、または『爾前の〝妙〟』と言えばよい。
ここを曖昧に問いただすは、明らかに相手を惑わす、下種な言い方だが、揚げ足取りの意地汚い問いである………………と、太若丸は感じる。
いや、これは経典ではなく、その教えの中身を意味しているかもしれない。
すなわち、『八教』のうちの『化法四教』である。
『八教』は、『化義四教』と『化法四教』に分かれる。
『化義四教』は、その教え方 ―― 説法の仕方であり、〝頓教〟〝漸教〟〝秘密教〟〝不定教〟と教え方が変わっていく。
対する『化法四教』は、〝蔵教〟〝通教〟〝別教〟〝円教〟であり、これは中身の変化 ―― 釈尊の教えがより深みを増していくのであり、第四の〝円教〟が最大の真理となる。
この『八教』も、『五時』にあてはめるが、『化法四教』のすべてがあてはまるのが、〝方等時〟のみである。
もしかして貞安は、『〝円教〟を捨てるのか? 捨てないのか?』と問うたのか?
日珖らが答えられなかったときに、『法華の妙を汝らは知らずや?』と問うているのは、〝法華涅槃時〟には〝円教〟のみがあてはまるので、恐らくはこれで間違いないであろう。
日珖らは、『方便四十余年未顕真実(釈尊が法華を説く前の四十数年に説いてきた諸々の教えは仮のもので、いまだ真実をあらわしたものではない、すなわち法華に目覚めた十年の教えが真実である)』と言ったので、貞安は『それならば、〝方等時〟にもあり、〝法華涅槃時〟にもある最大の真理たる〝円教〟も捨てるのか? 捨てないのか?』と、問うたのだろう。
いずれにしろ、初めの問いではそこが不明確だったので、日珖らは答えに窮したのであろう。
これは………………貞安の問いが曖昧で、日珖らに同情の余地がある………………ともいえる。
だが、日珖らが『方座第四の〝妙〟とは何ぞ?』と突っぱねればよいだけである。
その不確かな問いが明確になるまで、徹底してこの問いに答えるのを無視し、貞安に明確な問いを言わせれば良いだけ。
問答とは、そういうもの。
御山(比叡山延暦寺)の学僧など、どのような問いや返答がこようとも、答えに窮することなく喧々囂々やりあっていた。
それが正しいかどうかなど関係ない。
例え、その人が正しくとも、その答えにつまれば負けである。
要は、口が上手く、頭の回転が速い………………ずる賢いともいうが、声も大きく、態度もでかいものが勝つのである。
となると、どのような状況にあっても、答えられなかった日珖らの負けである………………………………と、太若丸は思ったことを言ってみた。
ちなみに、〝法華涅槃時〟の〝円教〟は、それ以外の〝円教〟よりも、もっとも純粋な真理であるとも説かれるので、日珖が『爾前を捨て、法華の〝妙〟のみが真実なり(以前の〝円教〟を捨て、〝法華涅槃時〟の〝円教〟のみが真実である)』と答えれば、話は違ってきたやもしれぬが………………まあ、仮の話をしても、今更詮無きことだが。
太若丸の話を聞いて殿は、
「貞安とやら、随分と頭が切れるではないか」
と、にやりと笑った。
「まあ、儂としては、問答でどっちが勝とうが興味もないが………………、儂の足元で斯様な騒ぎを起こすとこが気に食わん。七兵衛(信澄)、この一件にかかわったものを全て浄厳院に集めよ、儂も行く!」
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