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第五章「盲愛の寺」
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ふと殿が顔をあげると、
「おう、太若丸、帰ったか。明感殿のご機嫌は如何であったか?」
と、聞いてきた。
お変わりなく、お元気そうで………………と答えると、
「それは何よりじゃ」
と、再び絵図に視線を移した。
明感殿が、ときには遊びにお越しくだされと申されておりましたと、無難な方を伝えると、
「左様か」
と、随分そっけない。
それから、しばらく殿の様子を伺い、ここぞと思った際に、例の一件を伝えた。
はじめは酷く驚かれたいたようだが、最後まで話を聞くと、苦笑していた。
「そのような諍い事……、むかしから云うではないか、『触らぬ〝坊主〟に祟りなし』と」
それは『神』では?
「坊主同士の喧嘩に、変に仲立ちせんほうがええ、碌な目に合わん」
まあ、確かにそうだが………………御山を焼いた人が、言うことか?
「儂は、そんな喧嘩に構っておる暇はない、誰にどこの屋敷をやるかを考えるだけで手一杯じゃ」
と、殿は顎に手をやり、再び頭を捻る。
ならば、この話はここまでと思って座を立とうとすると、
「とは言うても……、儂の足元でいらぬ騒ぎを起こされるのも面倒だ。それに、家臣らにも法華のものも多い。血の気の多い連中がかかわると騒ぎが大きくなる。九右衛門」
傍に控えていた菅屋久右衛門長頼を呼んだ。
「此度の一件、儂のほうで何とか取りまとめるので、これ以上の騒ぎにはせぬようにと、双方に伝えよ」
長頼は、すぐさま階段を駆け下りていった。
それと入れ替わるように、長谷川藤五郎秀一が上がってきた。
長頼とぶつかりそうになって、駆け下りていったその背中をきっとにらみつけたあと、ごほんと咳ばらいをして調子を整えてから口を開いた。
「北畠様の使者より、近々こちらへ出向き、今後の勢州一帯の差配について、大殿と諸々計らいたいとの旨」
絵図から顔をあげた殿は、眉を顰めた。
秀一は、いらぬことを言ってしまったかと、決まり悪そうな顔をしている。
「勢州一帯の差配? そういえば、前に会ったときに左様なことを言っておったな。竹(秀一)、北畠とはなんぞ?」
秀一は、言われた意味がよく分らず、戸惑っている。
「太若丸!」
代わりに、こちらが矛先になった。
伊勢の国司にござりまする………………と答えると、殿でなく、なぜか乱のほうが満面の笑みで見つめてきた。
北畠氏は、伊勢国司の名門 ―― 国司というのが有名無実な当代であっても、北畠氏は伊勢国司としてその勢力を誇った。
伊勢周辺を抑えるためには、そこに取り入るのが最良と、殿は次男を北畠具房の養子として入れた ―― 要は、乗っ取りである。
「伊勢の国司が、その一件で儂の手を煩わすとは如何なる料簡か! 左様なこともできずに、北畠家の当主としてなんとする! 二度と勢州の件を持ち出すなと、使番を追い返せ!」
秀一は、驚いた様子で、畏まり候と頭を下げた。
が、一向に席を立たない。
「なんじゃ? まだ何かあるのか?」
先の一件があるので、秀一は言いぬくそうに口を開いた。
「はっ……、次は徳川殿よりの使者で……」
「言うてみい!」
「此度、三男竹千代君の誕生祝にと多くの御品を頂き痛み入ると、その返礼の品を近々お贈りしたいと」
それを聞いて、殿もようやく元の顔に戻った。
「羽林(右近衛権少将の唐名)殿も、律儀よのう。使番に申し付けよ、礼などいらぬと」
「はっ、ただ、それ以外にも何やら計りたきことあるとのことで、近々酒井左衛門尉(忠次)を遣わすと」
殿は、しばし考えたあと、
「うむ、あい分かった」
ようやく秀一が立とうとすると、
「竹(秀一)、おぬし、仙千代(万見重元)の屋敷に移したが、どうじゃ、住み心地は?」
「は?」、突然聞かれたので、秀一は戸惑っていた、「はあ……、快適にござりまする。これも、大殿のお陰で………………」
「仙千代のやつが、化けて出てこなんだか?」
と、殿は笑う。
「左様なことは………………」
と、秀一は慌てて首を振っていた。
それを見て、けらけらと笑う。
「戯言よ、戯言。まあ、仙千代の一件もあって、おぬしには住みずらいやもしれぬが、儂が、おぬしにあの屋敷をやった意味は分かるな?」
「重々」
「ならばよし」
と、殿は満面の笑みで返した。
秀一は、それを見てほっと胸を撫でおろし、下がっていった。
「おう、太若丸、帰ったか。明感殿のご機嫌は如何であったか?」
と、聞いてきた。
お変わりなく、お元気そうで………………と答えると、
「それは何よりじゃ」
と、再び絵図に視線を移した。
明感殿が、ときには遊びにお越しくだされと申されておりましたと、無難な方を伝えると、
「左様か」
と、随分そっけない。
それから、しばらく殿の様子を伺い、ここぞと思った際に、例の一件を伝えた。
はじめは酷く驚かれたいたようだが、最後まで話を聞くと、苦笑していた。
「そのような諍い事……、むかしから云うではないか、『触らぬ〝坊主〟に祟りなし』と」
それは『神』では?
「坊主同士の喧嘩に、変に仲立ちせんほうがええ、碌な目に合わん」
まあ、確かにそうだが………………御山を焼いた人が、言うことか?
「儂は、そんな喧嘩に構っておる暇はない、誰にどこの屋敷をやるかを考えるだけで手一杯じゃ」
と、殿は顎に手をやり、再び頭を捻る。
ならば、この話はここまでと思って座を立とうとすると、
「とは言うても……、儂の足元でいらぬ騒ぎを起こされるのも面倒だ。それに、家臣らにも法華のものも多い。血の気の多い連中がかかわると騒ぎが大きくなる。九右衛門」
傍に控えていた菅屋久右衛門長頼を呼んだ。
「此度の一件、儂のほうで何とか取りまとめるので、これ以上の騒ぎにはせぬようにと、双方に伝えよ」
長頼は、すぐさま階段を駆け下りていった。
それと入れ替わるように、長谷川藤五郎秀一が上がってきた。
長頼とぶつかりそうになって、駆け下りていったその背中をきっとにらみつけたあと、ごほんと咳ばらいをして調子を整えてから口を開いた。
「北畠様の使者より、近々こちらへ出向き、今後の勢州一帯の差配について、大殿と諸々計らいたいとの旨」
絵図から顔をあげた殿は、眉を顰めた。
秀一は、いらぬことを言ってしまったかと、決まり悪そうな顔をしている。
「勢州一帯の差配? そういえば、前に会ったときに左様なことを言っておったな。竹(秀一)、北畠とはなんぞ?」
秀一は、言われた意味がよく分らず、戸惑っている。
「太若丸!」
代わりに、こちらが矛先になった。
伊勢の国司にござりまする………………と答えると、殿でなく、なぜか乱のほうが満面の笑みで見つめてきた。
北畠氏は、伊勢国司の名門 ―― 国司というのが有名無実な当代であっても、北畠氏は伊勢国司としてその勢力を誇った。
伊勢周辺を抑えるためには、そこに取り入るのが最良と、殿は次男を北畠具房の養子として入れた ―― 要は、乗っ取りである。
「伊勢の国司が、その一件で儂の手を煩わすとは如何なる料簡か! 左様なこともできずに、北畠家の当主としてなんとする! 二度と勢州の件を持ち出すなと、使番を追い返せ!」
秀一は、驚いた様子で、畏まり候と頭を下げた。
が、一向に席を立たない。
「なんじゃ? まだ何かあるのか?」
先の一件があるので、秀一は言いぬくそうに口を開いた。
「はっ……、次は徳川殿よりの使者で……」
「言うてみい!」
「此度、三男竹千代君の誕生祝にと多くの御品を頂き痛み入ると、その返礼の品を近々お贈りしたいと」
それを聞いて、殿もようやく元の顔に戻った。
「羽林(右近衛権少将の唐名)殿も、律儀よのう。使番に申し付けよ、礼などいらぬと」
「はっ、ただ、それ以外にも何やら計りたきことあるとのことで、近々酒井左衛門尉(忠次)を遣わすと」
殿は、しばし考えたあと、
「うむ、あい分かった」
ようやく秀一が立とうとすると、
「竹(秀一)、おぬし、仙千代(万見重元)の屋敷に移したが、どうじゃ、住み心地は?」
「は?」、突然聞かれたので、秀一は戸惑っていた、「はあ……、快適にござりまする。これも、大殿のお陰で………………」
「仙千代のやつが、化けて出てこなんだか?」
と、殿は笑う。
「左様なことは………………」
と、秀一は慌てて首を振っていた。
それを見て、けらけらと笑う。
「戯言よ、戯言。まあ、仙千代の一件もあって、おぬしには住みずらいやもしれぬが、儂が、おぬしにあの屋敷をやった意味は分かるな?」
「重々」
「ならばよし」
と、殿は満面の笑みで返した。
秀一は、それを見てほっと胸を撫でおろし、下がっていった。
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