本能寺燃ゆ

hiro75

文字の大きさ
上 下
390 / 498
第五章「盲愛の寺」

しおりを挟む
 ふと殿が顔をあげると、

「おう、太若丸、帰ったか。明感殿のご機嫌は如何であったか?」

 と、聞いてきた。

 お変わりなく、お元気そうで………………と答えると、

「それは何よりじゃ」

 と、再び絵図に視線を移した。

 明感殿が、ときには遊びにお越しくだされと申されておりましたと、無難な方を伝えると、

「左様か」

 と、随分そっけない。

 それから、しばらく殿の様子を伺い、ここぞと思った際に、例の一件を伝えた。

 はじめは酷く驚かれたいたようだが、最後まで話を聞くと、苦笑していた。

「そのような諍い事……、むかしから云うではないか、『触らぬ〝坊主〟に祟りなし』と」

 それは『神』では?

「坊主同士の喧嘩に、変に仲立ちせんほうがええ、碌な目に合わん」

 まあ、確かにそうだが………………御山を焼いた人が、言うことか?

「儂は、そんな喧嘩に構っておる暇はない、誰にどこの屋敷をやるかを考えるだけで手一杯じゃ」

 と、殿は顎に手をやり、再び頭を捻る。

 ならば、この話はここまでと思って座を立とうとすると、

「とは言うても……、儂の足元でいらぬ騒ぎを起こされるのも面倒だ。それに、家臣らにも法華のものも多い。血の気の多い連中がかかわると騒ぎが大きくなる。九右衛門」

 傍に控えていた菅屋久右衛門長頼すがやきゅうえもんながよりを呼んだ。

「此度の一件、儂のほうで何とか取りまとめるので、これ以上の騒ぎにはせぬようにと、双方に伝えよ」

 長頼は、すぐさま階段を駆け下りていった。

 それと入れ替わるように、長谷川藤五郎秀一はせがわとうごろうひでかずが上がってきた。

 長頼とぶつかりそうになって、駆け下りていったその背中をきっとにらみつけたあと、ごほんと咳ばらいをして調子を整えてから口を開いた。

「北畠様の使者より、近々こちらへ出向き、今後の勢州一帯の差配について、大殿と諸々計らいたいとの旨」

 絵図から顔をあげた殿は、眉を顰めた。

 秀一は、いらぬことを言ってしまったかと、決まり悪そうな顔をしている。

「勢州一帯の差配? そういえば、前に会ったときに左様なことを言っておったな。竹(秀一)、北畠とはなんぞ?」

 秀一は、言われた意味がよく分らず、戸惑っている。

「太若丸!」

 代わりに、こちらが矛先になった。

 伊勢の国司にござりまする………………と答えると、殿でなく、なぜか乱のほうが満面の笑みで見つめてきた。

 北畠氏は、伊勢国司の名門 ―― 国司というのが有名無実な当代であっても、北畠氏は伊勢国司としてその勢力を誇った。

 伊勢周辺を抑えるためには、そこに取り入るのが最良と、殿は次男を北畠具房きたばたけともふさの養子として入れた ―― 要は、乗っ取りである。

「伊勢の国司が、その一件で儂の手を煩わすとは如何なる料簡か! 左様なこともできずに、北畠家の当主としてなんとする! 二度と勢州の件を持ち出すなと、使番を追い返せ!」

 秀一は、驚いた様子で、畏まり候と頭を下げた。

 が、一向に席を立たない。

「なんじゃ? まだ何かあるのか?」

 先の一件があるので、秀一は言いぬくそうに口を開いた。

「はっ……、次は徳川殿よりの使者で……」

「言うてみい!」

「此度、三男竹千代君の誕生祝にと多くの御品を頂き痛み入ると、その返礼の品を近々お贈りしたいと」

 それを聞いて、殿もようやく元の顔に戻った。

羽林うりん(右近衛権少将の唐名)殿も、律儀よのう。使番に申し付けよ、礼などいらぬと」

「はっ、ただ、それ以外にも何やら計りたきことあるとのことで、近々酒井左衛門尉(忠次ただつぐ)を遣わすと」

 殿は、しばし考えたあと、

「うむ、あい分かった」

 ようやく秀一が立とうとすると、

「竹(秀一)、おぬし、仙千代せんちよ万見重元まんみしげもと)の屋敷に移したが、どうじゃ、住み心地は?」

「は?」、突然聞かれたので、秀一は戸惑っていた、「はあ……、快適にござりまする。これも、大殿のお陰で………………」

「仙千代のやつが、化けて出てこなんだか?」

 と、殿は笑う。

「左様なことは………………」

 と、秀一は慌てて首を振っていた。

 それを見て、けらけらと笑う。

「戯言よ、戯言。まあ、仙千代の一件もあって、おぬしには住みずらいやもしれぬが、儂が、おぬしにあの屋敷をやった意味は分かるな?」

「重々」

「ならばよし」

 と、殿は満面の笑みで返した。

 秀一は、それを見てほっと胸を撫でおろし、下がっていった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

1333

干支ピリカ
歴史・時代
 鎌倉幕府末期のエンターテイメントです。 (現在の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』から、100年ちょい後の話です)  鎌倉や京都が舞台となります。心躍る激しい合戦や、ぞくぞくするようなオドロオドロしい話を目指そうと思いましたが、結局政治や謀略の話が多くなりました。  主役は足利尊氏の弟、直義です。エキセントリックな兄と、サイケデリックな執事に振り回される、苦労性のイケメンです。  ご興味を持たれた方は是非どうぞ!

【完結】電を逐う如し(いなづまをおうごとし)――磯野丹波守員昌伝

糸冬
歴史・時代
浅井賢政(のちの長政)の初陣となった野良田の合戦で先陣をつとめた磯野員昌。 その後の働きで浅井家きっての猛将としての地位を確固としていく員昌であるが、浅井家が一度は手を携えた織田信長と手切れとなり、前途には様々な困難が立ちはだかることとなる……。 姉川の合戦において、織田軍十三段構えの陣のうち実に十一段までを突破する「十一段崩し」で勇名を馳せた武将の一代記。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
故郷、甲賀で騒動を起こし、国を追われるようにして出奔した 若き日の滝川一益と滝川義太夫、 尾張に流れ着いた二人は織田信長に会い、織田家の一員として 天下布武の一役を担う。二人をとりまく織田家の人々のそれぞれの思惑が からみ、紆余曲折しながらも一益がたどり着く先はどこなのか。

永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。 新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。 しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。 近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。 首はどこにあるのか。 そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。 ※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

本能のままに

揚羽
歴史・時代
1582年本能寺にて織田信長は明智光秀の謀反により亡くなる…はずだった もし信長が生きていたらどうなっていたのだろうか…というifストーリーです!もしよかったら見ていってください! ※更新は不定期になると思います。

大航海時代 日本語版

藤瀬 慶久
歴史・時代
日本にも大航海時代があった――― 関ケ原合戦に勝利した徳川家康は、香木『伽羅』を求めて朱印船と呼ばれる交易船を東南アジア各地に派遣した それはあたかも、香辛料を求めてアジア航路を開拓したヨーロッパ諸国の後を追うが如くであった ―――鎖国前夜の1631年 坂本龍馬に先駆けること200年以上前 東の果てから世界の海へと漕ぎ出した、角屋七郎兵衛栄吉の人生を描く海洋冒険ロマン 『小説家になろう』で掲載中の拙稿「近江の轍」のサイドストーリーシリーズです ※この小説は『小説家になろう』『カクヨム』『アルファポリス』で掲載します

処理中です...