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第五章「盲愛の寺」
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寺門を潜ると、先ほどまでの喧騒が嘘のように消え失せ、御山のような静けさに、正直ほっとした。
竹箒を使う小僧が見える ―― 掃除をしているのか、剣術稽古をしているのか………………ともかく、箒が大きすぎて、どうやら振り回されているようだ。
小僧に近づき、お借りしていた経典を返しに来たと伝えると、頬を赤らめ、しばらく呆然と見上げた後、夢から覚めたように慌てて奥へと引っ込んだ。
再び戻ってきた小僧から、「奥へ」と、通された。
人の持つすべての〝慾〟をそぎ落としたような、頬骨の浮き上がった、だが柔和な顔の僧侶が、
「もうお読みで?」
と、ひどく驚いていた。
大変興味深い経典であったこと、少し分らぬところがあったと伝えると、その問いに丁寧に答えてくれ、
「呑み込みがよろしい、流石は御山で学ばれたことはある」
と、次の経典を貸してくれた。
小僧の持ってきたお茶を啜り、城を見上げながら、しばし雑談に耽った。
「しかし、上様もえらく豪勢な城をお造りになられた。まさに、極楽浄土とはこのことですな」
と、笑っている………………少々、嘲笑が入っているような気もするが。
「拙僧が来たときは、まだ小高い山のようで、周囲には町家がそれなりにできはじめた程度であったが、いまでは通りも歩けぬほどの人、人、人、随分な賑わいでございまする」
確かに、城を造る前はただの漁村。
それが城を造り始めてから職人が集まり、それを目当てにした商人や女が集まり、河原ものもぞろぞろと集まり、芸達者なものたちが芸を見せ、人が集まれば説法の良き機会と僧侶も続々と入ってきて………………いまでは都も凌ぐ賑わいである。
「御山があのようになってから、いまではこの対岸がそれに代わるのではないかと、僧の間でも専らの噂………………」
なるほど、それで僧があれほど多いのですねと、道すがら随分の僧侶を見かけたなと感じた。
「ああ、あれは………………」
相手は苦笑している。
何事かと問うてみると、
「実は此度、上野の哀愍寺 (浄運寺)から玉念上人をお呼びしたのですが……………」
とある辻で説法を説いたらしい。
その話に、多くの人々は感心して耳を傾けていたそうだが、二人の若者が茶々を入れたらしい。
その二人は、法華の宗徒であった。
霊誉玉念は浄土宗である。
『僧籍ではない、お若いおふたりに何を申しても、仏法の真意は御分かりにはなるまい。おふたりが、これぞと思われる法華の僧をお呼びくだされ。さすればお答えいたしましょう』
と、法華宗に遣いを出したそうだ。
『売られた喧嘩を買わぬは、坊主が廃る!』と言ったかどうかは分らぬが、それなら白黒はっきりしてやろうと、京から法華宗の僧侶が数人下ってきたらしい。
それだけなら、これほど大げさにはならなかったが、これを聞きつけた天下(畿内)周辺の浄土宗、法華宗の僧侶が、『いまこそ決着をつけてやろう!』と、意気込んで続々と安土に来ているらしい。
これに便乗して、他の宗派の僧侶までやってくる始末。
物見遊山で来る僧侶もいて、安土はかっての御山のように僧侶で溢れ返っているとか………………
玉念も七日間滞在のつもりであったが、ことが大きくなったので十一日も延ばしたとか。
それで、この一件、殿は?
ここまで大事になったので、殿がどう反応するか………………まあ、お怒りになるのは確実だろう。
「お耳には?」
首を振る。
そのような報せもあがってこないし、殿の口からも聞かない。
「おや、それは……」、当惑している、「上様のことですから、もうお耳にでも入っているのかと………………、まあ、拙僧からいうのもあれですし………………、それならば、申し訳ございませんが、中西殿からこの一件、お伝えくださらぬか」
あい分かりましたと受けた。
「まあ、この件のことだけでありませんが、上様にはときにはこちらにお遊びにお越しくだされとお伝えください」
その一件も承りましたと、浄厳院をあとにした。
竹箒を使う小僧が見える ―― 掃除をしているのか、剣術稽古をしているのか………………ともかく、箒が大きすぎて、どうやら振り回されているようだ。
小僧に近づき、お借りしていた経典を返しに来たと伝えると、頬を赤らめ、しばらく呆然と見上げた後、夢から覚めたように慌てて奥へと引っ込んだ。
再び戻ってきた小僧から、「奥へ」と、通された。
人の持つすべての〝慾〟をそぎ落としたような、頬骨の浮き上がった、だが柔和な顔の僧侶が、
「もうお読みで?」
と、ひどく驚いていた。
大変興味深い経典であったこと、少し分らぬところがあったと伝えると、その問いに丁寧に答えてくれ、
「呑み込みがよろしい、流石は御山で学ばれたことはある」
と、次の経典を貸してくれた。
小僧の持ってきたお茶を啜り、城を見上げながら、しばし雑談に耽った。
「しかし、上様もえらく豪勢な城をお造りになられた。まさに、極楽浄土とはこのことですな」
と、笑っている………………少々、嘲笑が入っているような気もするが。
「拙僧が来たときは、まだ小高い山のようで、周囲には町家がそれなりにできはじめた程度であったが、いまでは通りも歩けぬほどの人、人、人、随分な賑わいでございまする」
確かに、城を造る前はただの漁村。
それが城を造り始めてから職人が集まり、それを目当てにした商人や女が集まり、河原ものもぞろぞろと集まり、芸達者なものたちが芸を見せ、人が集まれば説法の良き機会と僧侶も続々と入ってきて………………いまでは都も凌ぐ賑わいである。
「御山があのようになってから、いまではこの対岸がそれに代わるのではないかと、僧の間でも専らの噂………………」
なるほど、それで僧があれほど多いのですねと、道すがら随分の僧侶を見かけたなと感じた。
「ああ、あれは………………」
相手は苦笑している。
何事かと問うてみると、
「実は此度、上野の哀愍寺 (浄運寺)から玉念上人をお呼びしたのですが……………」
とある辻で説法を説いたらしい。
その話に、多くの人々は感心して耳を傾けていたそうだが、二人の若者が茶々を入れたらしい。
その二人は、法華の宗徒であった。
霊誉玉念は浄土宗である。
『僧籍ではない、お若いおふたりに何を申しても、仏法の真意は御分かりにはなるまい。おふたりが、これぞと思われる法華の僧をお呼びくだされ。さすればお答えいたしましょう』
と、法華宗に遣いを出したそうだ。
『売られた喧嘩を買わぬは、坊主が廃る!』と言ったかどうかは分らぬが、それなら白黒はっきりしてやろうと、京から法華宗の僧侶が数人下ってきたらしい。
それだけなら、これほど大げさにはならなかったが、これを聞きつけた天下(畿内)周辺の浄土宗、法華宗の僧侶が、『いまこそ決着をつけてやろう!』と、意気込んで続々と安土に来ているらしい。
これに便乗して、他の宗派の僧侶までやってくる始末。
物見遊山で来る僧侶もいて、安土はかっての御山のように僧侶で溢れ返っているとか………………
玉念も七日間滞在のつもりであったが、ことが大きくなったので十一日も延ばしたとか。
それで、この一件、殿は?
ここまで大事になったので、殿がどう反応するか………………まあ、お怒りになるのは確実だろう。
「お耳には?」
首を振る。
そのような報せもあがってこないし、殿の口からも聞かない。
「おや、それは……」、当惑している、「上様のことですから、もうお耳にでも入っているのかと………………、まあ、拙僧からいうのもあれですし………………、それならば、申し訳ございませんが、中西殿からこの一件、お伝えくださらぬか」
あい分かりましたと受けた。
「まあ、この件のことだけでありませんが、上様にはときにはこちらにお遊びにお越しくだされとお伝えください」
その一件も承りましたと、浄厳院をあとにした。
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