本能寺燃ゆ

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第四章「偏愛の城」

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「さてと……」、殿は立ち上がり、腰をとんとんと叩きながら、「右馬允に、ああは言うたが、皐月とは長いな……、それまで何をするか……」

 摂津とか、播磨、大坂や毛利の件がありますが………………と、言いそうになったが、それは黙っておいた。

 摂津、播磨は、目立った動きがない。

 荒木村重は有岡城に、別所長治は三木城には籠ったまま。

 足軽連中の小競り合いはあるが、にらみ合いが続く。

 大坂方や毛利方も、これらに助太刀する動きも見られない。

 あまりにも暇な殿は、

「鷹狩でも行くか」

 と、如月の十八日に、京の二条城に上洛。

 二十一日、二十八日と東山で鷹狩をし、月の明けた二日にも、賀茂でも鷹狩を催した。

 四日には、信忠ら連枝衆が新年の挨拶にと上洛、次の日に信忠を伴って伊丹へと赴く道すがら、そこでも鷹狩を催した。

 殿は、信忠が賀茂川の岸辺と池の上に築いた砦を視察して、十四日には多田の谷で、三十日には蓑雄で鷹狩。

 毎日のように鷹狩をしていたが、殿は疲れさえみせない。

 むしろ、以前よりも肌艶が良くなったような気がする。

 食欲も旺盛で、大盛飯を三杯ぺろりと平らげ、酒も軽くと一升空けたかと思うと、夜も激しく、太若丸と乱のほうが疲れてしまうほどだ。

「なんじゃ、なんじゃ、若いそちらがへたばってどうする? 儂を見てみい、ほれ」

 殿の『無明火』はまだ煌々と燃え続けている。

「年をとると、気力も、食欲も、あっちも衰えるというが、儂はまだまだじゃな」

 と、ひどく喜んでいる。

 その間に、高槻城の城番であった大津長昌が亡くなったとの報せがあった ―― 三月十三日、病死であったという。

 これには、殿もがっくりと肩を落とされた。

「伝十郎(長昌)がか…………………、惜しいことをした」

 大津長昌は、殿の馬廻りであった。

 戦場での場数を踏まそうと、検視役に任じることが多かったが、此度は初めて城番となった。

 まだまだこれからの逸材であった。

 妻は、惟住(丹羽)長秀の妹、子はなかった。

 四月一日に、ちょっとした事件が起こった。

 信忠の小姓 ―― 佐治新太郎さじしんたろう金森甚七郎かなもりじんしちろうが諍いになり、刃傷沙汰に及んだという。

 甚七郎は刺殺され、新太郎は切腹して果てたという。

 二十歳にも満たない小姓連中の、武人の鏡のような振る舞いに、多くの人々が感心したそうだが、殿はそれを聞いたとき、

「不始末だな」

 と、信忠を叱責した。

「何事もなく、ただ砦を囲んでおるだけだから、そういった鬱憤が溜まってくる。適度に発散してやらねば、また誰ぞが同じことを繰り返すぞ」

 確かに、兵糧攻めの兵や足軽連中は、見張り以外は、飯を食って、糞をして、寝るだけだ。

 日がな一日、ぼーっとしているのだが、それも飽きてしまう。

 となると、誰かがちょいと賽子をなどを持ち出して、『丁か、半か』と始めてしまう。

 はじめは銭を賭けているが、負けが込み、熱くなって降りられなくなると、武具まで賭けるものがでてくる………………しまいには、家に残した女房子どもまでも賭けにして………………

 武具をとられては、何しに戦場に来ているのかと、戦場での博打は禁じているが、守るやつなどいない。

 やがてそれで喧嘩に発展し、刃傷沙汰など日常茶飯事。

 まあ、喧嘩の理由がそれだけでなく、飯をとられたとか、武具を盗まれたとか、お気に入りの女や稚児をとられたとか…………………端から見れば、呆れてしまうことばかり。

 此度の新太郎と甚七郎が、いかなる理由で諍いになったのかは分らぬが、戦場での活躍も、気の発散もできない若い連中が、そのような騒動を起こすことは当たり前で、

「発散する場所を与えてやるのも、大将として大事なことだぞ」

 というのが、殿の考えである。

「儂は、闇雲に鷹狩をおるわけではないぞ」

 なるほど、鷹狩と称して、お付きのものたちにも発散場を与えているということか。

 だが、付き合わされているほうは、殿の親心を知らず、『やれやれ、また鷹狩か………………』などと思っているものも多く、顔に出ていたのだろう。

「なんじゃ、鷹狩だけでは面白くないか? なら、別のことで憂さ晴らしをするか?」

 と、馬廻組と小姓衆を馬に乗せ、殿はお弓衆に交じって、合戦ごっこをすることになった。

 馬に乗ったものたちを、お弓衆のなかに突撃させ、お弓衆はこれに左右から石を投げつける。

 これは、多少効果があったようだ。

 馬に乗ったものたちも、石を投げつけるものたちも、まるで子どものときにやった石合戦のように、歓声をあげたり、怒声をあげたりして、楽しんでいる。

 殿も、「それ、あっちじゃ! ほれ!」と、大きな石を投げつけている。

『綺麗な顔に傷がついてはならぬ』と、太若丸と乱は遠慮するように言われたが、乱は、

「そんな石ころなど、簡単に避けて見せますよ」

 と、ひらりと馬に乗った。

 その言葉通り、乱はひらりとひらりと、投げつけられる石ころを巧みに避けていく。

「どうされました、殿、まったく当たりませぬぞ」

 と、わざと殿の前に躍り出て、挑発する。

「こやつめ、ぬかしおったな!」

 と、殿も嬉々として石を投げつける。

 戻ってきたときは、みな汗だくになっていた。

「どうじゃ、気は晴れたか?」

 と殿が聞くと、馬廻組やお弓衆たちは、陽気に「おう!」と気勢をあげた。

 人をまとめあげるこの力 ―― 流石である。

 家臣たちも憂さ晴らしできただろうが、殿も昨今の長昌の件があったので、十分な気晴らしができたようだ。

 この石合戦、よほど気に入ったのか、そのあとも何度かやった。
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