本能寺燃ゆ

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第四章「偏愛の城」

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 明けて天正七(一五七九)年、その年の正月は、ほとんどの武将が有岡にくぎ付けになっているため、挨拶もない、随分と寂しいものになった。

 その中で、九鬼嘉隆が挨拶にやってきた。

 辺りをきょろきょろと見渡し、

「ありゃ、誰もおらんのですな」

 と、一人だけだったので、随分落ち着きなさげだった。

「おぬしも律儀よのう、わざわざ挨拶などよいのに」

「そうはいきませぬ。ご無礼を働いては」

「それなら、挨拶にもこぬやつらは、全員無礼者じゃな」

 殿はけらけらと笑うが、嘉隆は、

「いや、それは………………」

 と、頭を掻いている。

「なに、挨拶など良いと言ったのだ。折角有岡を囲んだばかりで、大将が留守をしては、下々のものの士気にかかわると思うてな。儂らが砦で水粥を啜っておるのに、大将は餅を食って、酒を飲んでおるでは、士気もあがるまい」

「ごもっともで」

「それで、挨拶はすなと言うた。それに、大将の留守の間に、摂津が動いては面倒であるしな。まあ、あれだけ取り囲めば、摂津は動けまいし、大坂も手出しができまい。しばらくは動きもなく暇になろうて。儂も、大坂や摂津に構っておられんからな」

「ほう、それでは此度は何処と戦を? その際は、拙者も是非に!」

 嘉隆の鼻息が荒い。

 殿は、苦笑して手をふる。

「戦ではない」

 と、ちらっと外に目をやる。

 嘉隆は、訳が分からず首を傾げる。

 殿は、「見せてやれ」と、太若丸と乱に言った。

 ふたりで、障子を開け放った。

 雪で真っ白に染まった、水墨画のような景色の中で、まるで天空に浮かぶ大伽藍のように、そこだけ煌々と輝いている。

「こ、これは極楽じゃ!」

 嘉隆は叫んだ。

 まさに、その通り!

 殿も、満面の笑みだ。

「そうじゃろう、儂の自慢の城じゃ!」

「いやはや、これほどのものとは………………」

 嘉隆の開いた口が塞がらない。

「天下にひとつとない七層建じゃ。六層目を八面とし、天守には金をこれでもかと貼り付けてやった」

 殿は、本当に可笑しそうにけたけたと笑う。

「なるほど、きらきらと輝いているのは、そのせいですか………………」

「きらきらしとるのは、外だけではないぞ、内側も金ぴかじゃ! 天守は光乗こうじょう(後藤光乗)に、六層目より下は躰阿弥たいあみ(躰阿弥永勝ながかつ)に造らせた」

「ほう………………」

「狩野殿(狩野永徳かのうえいとく)にも、絵を描いてもらっておってな、楽しみじゃ」

「ほう………………」

「普請奉行の次郎左(木村次郎左衛門尉高重)も、大工棟梁の岡部(岡部又右衛門)も、塗師頭の刑部ぎょうぶ、白銀屋の宮西みやにし(宮西遊左衛門ゆうざえもん)も、よき仕事をしてくれておる、終わったら、たんまりと褒美を取らせねばなるまいな」

「ほう………………」

 先ほどから、嘉隆は口をぽかんと開けたまま、まな返事ばかり。

「なんじゃ、おぬし? どこか具合でも悪いのか?」

「あっ、いえいえ」、嘉隆はまるで夢から覚めたように、慌てて首を振った、「いや、その………………、こんなお城をみたことがありませんで、まるで夢のようで………………、その光乗殿とか、狩野殿とか、拙者のような田舎者でも聞いたことがあるようなものの名が、殿の口から次々にあがりまするので、まことに夢心地で………………、いやはや、田舎者にはいささか刺激が強すぎまするというか………………」

 殿は、かかかかっと高笑いした。

「なんじゃ、田舎が恋しいのであるまいか? それで、ぼーっと呆けておるのじゃろう」

「いえ、決してそのようなことは………………」

「右馬允、しばらく大坂も摂津も動くまい、田舎に帰って、女房子どもの顔を見てくるがよい」

「ま、まことに宜しいのですか?」

 嘉隆の顔が、ぱっと明るくなる ―― この人、相変わらず顔に出る。

「なんじゃ、やっぱり田舎が恋しいのではないか」

「いや、そんな………………」

 嘉隆は恥ずかしそうにぽりぽりと頭を掻き、そんな嘉隆を見て、殿は大いに笑われた。

 なんとも穏やかな正月である。

 嘉隆は、照れを誤魔化すように、

「それで………………、お城はいつ頃入られるのですか?」

「うむ、良き日取りは……、いつであったかな、太若丸?」

 聞かれたので、吉日は皐月の十一日と答えた。

「うむ、儂は今でも入ってよいと思うのじゃがな、次郎左や岡部らが、いやその日にお移りは日が悪いございます、吉日は………………と、煩くてな」

 いつもは、『竹箒も五百羅漢』と笑っている殿だが、そういった神事を大事にする棟梁から言われては、己にとって大切な城でもあるしと、色々と吉日を占わせたようだ。

 太若丸にも、吉日はいつかと聞かれた。

 御山で習った知識や暇なときに読んでいた書物の知識から導き出したのが、五月十一日である。

 しかして、他の卜占師や岡部らが伝えてきた日取りも五月十一日。

 これが当たった時は、殿も両目を見開いて、

『うむ、見事じゃ、太若丸!』

 と、お褒めの言葉をいただいた。

 乱も、

『流石でございまする』

 と、尊敬の眼差しを向けていた。

 流石に、その時は気持ちがよかったが………………

「五月とは、まだ先ですな」

 嘉隆は、遠い目をする。

「なに、皐月など、あっというまじゃ! 天守に上がれるようになれば、おぬしも見に来るがよい、なんなら、女子どもも連れてきても良いぞ」

「まことでございまするか? ありがたき幸せ!」

 と、嘉隆は意気揚々と帰っていった。
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