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第四章「偏愛の城」
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「さて、高山殿が落ちたとなると、摂津の懐刀中川はいかにでる?」
中川瀬兵衛清秀も、摂津の国人池田氏の配下にあった。
父の清重が婿養子となり、中川を名乗る ―― その前の名は高山である ―― 友重の父友照とは兄弟である。
すなわち、中川清秀と高山友重は従兄弟だ。
足利義昭が三好三人衆に襲われた際には(本圀寺の変)、義昭に加勢し、一度は敗れるも、翌朝の奇襲で大活躍し、三好勢を追い詰めた。
摂津守護職の和田氏、池田氏、伊丹氏が衰えていくと、村重の家臣として躍進する。
和田惟政との合戦の際、村重方が二千五百、惟政が千と優位であったが、惟政が戦上手で、何か奇策があるのではと攻めるのを躊躇していた。
これを清秀が、『紀伊入道(惟政)がそんな小細工はしまい。いますぐ攻めかかれ!』と鼓舞して、村重方に大勝利をもたらしたとか。
村重が、一度は信長に首を垂れようとしたときは、これを翻したのが清秀である………………いわゆる猛将だ。
いまは茨木城主として、織田側と対峙している。
これと戦うことになれば、多大なる被害は免れまい。
殿は、十兵衛の進言に従い、義兄弟の古田重然に福富秀勝、下石頼重、野々村正成を同行させ、説得に向かわせた。
十一月十八日、殿は惣持寺まで出向き、その立地を見て、
「うむ、越前衆に太田を退かせ、ここに砦を築かせよ。茨木の口は七兵衛(津田信澄)に抑えさせよ!」
二十三日に再び惣持寺を視察し、翌日には刀根山に陣中見舞いに訪れた。
その夜半から雪になり、意外に大降りとなった。
殿は、焚火にあたりながら、『金平糖』で濁酒を一杯やっていた。
近習が、青白い顔をしてやってきた。
頭には、うっすらと雪が積もっている。
「申し上げます」、声が震えている、「御味方、茨木に入りました」
「うむ、でかした!」
重然の説得が効いたようだ。
茨木城には清秀のほかに、石田伊予・渡辺勘太夫らが籠っていたが、清秀がこれらを追い出し、織田方を招き入れたという。
「左介らは、そのまま城将として城を守れ! 中川殿には、後ほど褒美を取らすと伝えよ!」
その言葉通り、中川清秀には黄金三十枚、その家臣ら三人に黄金六枚と着物を贈った。
あわせて友重にも、さらに金子二十枚、その家臣二人に金子四枚と着物を贈っている。
殿が郡山から古池田に陣を移した二十七日の夕刻、信忠ら連枝衆を集め、有岡攻めの策を練っていたところに清秀が挨拶にやってきた。
朝からの強い風のせいか、それとも村重から離反したことがやはり気に食わないのか、終始しかめっ面だった。
清秀は、褒美の礼を述べたが、
「実を申しますと………………」
と、渋い顔で話し出した。
「此度の一件、すべて荒木殿に報せております」
殿は離反の条件として、十二万石の加増と殿の娘鶴姫を清秀の嫡男秀政に嫁入りさせるとした。
これを全て村重に報せたらしい。
その段階まで、清秀は村重から離れる意思はなかったようだ。
「して、摂津はなんと?」
「荒木殿は………………」
友重が離れると、摂津衆も続々と寝返っている、これ以上は中川殿に迷惑はかけられん、よき条件じゃ、胸を張って織田方につかれよ………………使番からの返答を聞いて、清秀は覚悟を決めたそうだ。
「うむ、やはり摂津よのう、無駄に死なすには惜しい」
清秀は、がばりと両手をつき、
「此度の荒木殿の離反は、すべて某の責。荒木殿を引き留めたのも某でござりまするし、大坂方に兵糧を運び入れていたのも、某の家臣ら、門徒として已むに已まれぬ憐憫の情に突き動かされたため。責めならば、某が受けまするゆえ、何卒荒木殿に寛大な処分をお願い仕り候」
「うむ、責めを受けると申されるか」
「武人に二言なし!」
「ならば! 太若丸、刀を寄こせ!」
太若丸は、刀を手渡す。
この場で手打ちにする気か………………清秀も眉を怒らせ、首を差し出す。
殿は刀を抜いて、清秀の首にあてがった………………ふっと、殿は笑われた。
「中川殿、顔を上げられい。これほどの武人の首を切っては、後世の笑いものになろうて。その武人としての矜恃をもって、今後も働かれたい」
と、殿は手にしていた太刀を清秀に授けた。
これには、清秀もいたく感動し、
「ありがたき幸せ」
と、涙ながらに受け取った。
「これほど立派な武人がいようか! おぬしらも、中川殿のような武人を鑑にせよ! それ、おぬしらも、中川殿に何か贈らんか!」
信忠たちは、突然のことに目を白黒させていた。
「されば……」
と、信澄が持っていた刀を贈る。
「うむ、流石は七兵衛!」
と、殿は褒める。
「それならば、某は………………」
次男信意(信雄)は秘蔵の馬を、三男の信孝も真似をして馬を贈る。
嫡男で織田家当主の信忠は、これも手元にあった刀を渡そうとしたが、
「殿、それは………………」、宿老林秀貞が止めた、「それは贈り物には………………、それよりも、こちらの長船のほうが?」
信忠は、秀貞が手にした長船長光の刀を見て、渋い顔をしている。
「佐渡守(秀貞)のいうとおりじゃ、勘九郎、そんな刀が中川殿の矜恃と釣り合うか? それにせい」
と、殿の言われ、しぶしぶ長船長光の刀を受け渡した。
「織田家当主として、それだけか?」
と、促され、さらに馬も贈った。
清秀は、感涙しながら帰っていった。
「そんな吝嗇なことではいかんぞ、勘九郎。織田家の当主として恥をかくのはそなたぞ」
「失礼いたしました」
と、頭を下げていたが、いささか機嫌が悪そうだった。
まあ、嫡男として弟たちの前で、そして当主として家臣たちの前で恥をかかされたのだから、当然か。
中川瀬兵衛清秀も、摂津の国人池田氏の配下にあった。
父の清重が婿養子となり、中川を名乗る ―― その前の名は高山である ―― 友重の父友照とは兄弟である。
すなわち、中川清秀と高山友重は従兄弟だ。
足利義昭が三好三人衆に襲われた際には(本圀寺の変)、義昭に加勢し、一度は敗れるも、翌朝の奇襲で大活躍し、三好勢を追い詰めた。
摂津守護職の和田氏、池田氏、伊丹氏が衰えていくと、村重の家臣として躍進する。
和田惟政との合戦の際、村重方が二千五百、惟政が千と優位であったが、惟政が戦上手で、何か奇策があるのではと攻めるのを躊躇していた。
これを清秀が、『紀伊入道(惟政)がそんな小細工はしまい。いますぐ攻めかかれ!』と鼓舞して、村重方に大勝利をもたらしたとか。
村重が、一度は信長に首を垂れようとしたときは、これを翻したのが清秀である………………いわゆる猛将だ。
いまは茨木城主として、織田側と対峙している。
これと戦うことになれば、多大なる被害は免れまい。
殿は、十兵衛の進言に従い、義兄弟の古田重然に福富秀勝、下石頼重、野々村正成を同行させ、説得に向かわせた。
十一月十八日、殿は惣持寺まで出向き、その立地を見て、
「うむ、越前衆に太田を退かせ、ここに砦を築かせよ。茨木の口は七兵衛(津田信澄)に抑えさせよ!」
二十三日に再び惣持寺を視察し、翌日には刀根山に陣中見舞いに訪れた。
その夜半から雪になり、意外に大降りとなった。
殿は、焚火にあたりながら、『金平糖』で濁酒を一杯やっていた。
近習が、青白い顔をしてやってきた。
頭には、うっすらと雪が積もっている。
「申し上げます」、声が震えている、「御味方、茨木に入りました」
「うむ、でかした!」
重然の説得が効いたようだ。
茨木城には清秀のほかに、石田伊予・渡辺勘太夫らが籠っていたが、清秀がこれらを追い出し、織田方を招き入れたという。
「左介らは、そのまま城将として城を守れ! 中川殿には、後ほど褒美を取らすと伝えよ!」
その言葉通り、中川清秀には黄金三十枚、その家臣ら三人に黄金六枚と着物を贈った。
あわせて友重にも、さらに金子二十枚、その家臣二人に金子四枚と着物を贈っている。
殿が郡山から古池田に陣を移した二十七日の夕刻、信忠ら連枝衆を集め、有岡攻めの策を練っていたところに清秀が挨拶にやってきた。
朝からの強い風のせいか、それとも村重から離反したことがやはり気に食わないのか、終始しかめっ面だった。
清秀は、褒美の礼を述べたが、
「実を申しますと………………」
と、渋い顔で話し出した。
「此度の一件、すべて荒木殿に報せております」
殿は離反の条件として、十二万石の加増と殿の娘鶴姫を清秀の嫡男秀政に嫁入りさせるとした。
これを全て村重に報せたらしい。
その段階まで、清秀は村重から離れる意思はなかったようだ。
「して、摂津はなんと?」
「荒木殿は………………」
友重が離れると、摂津衆も続々と寝返っている、これ以上は中川殿に迷惑はかけられん、よき条件じゃ、胸を張って織田方につかれよ………………使番からの返答を聞いて、清秀は覚悟を決めたそうだ。
「うむ、やはり摂津よのう、無駄に死なすには惜しい」
清秀は、がばりと両手をつき、
「此度の荒木殿の離反は、すべて某の責。荒木殿を引き留めたのも某でござりまするし、大坂方に兵糧を運び入れていたのも、某の家臣ら、門徒として已むに已まれぬ憐憫の情に突き動かされたため。責めならば、某が受けまするゆえ、何卒荒木殿に寛大な処分をお願い仕り候」
「うむ、責めを受けると申されるか」
「武人に二言なし!」
「ならば! 太若丸、刀を寄こせ!」
太若丸は、刀を手渡す。
この場で手打ちにする気か………………清秀も眉を怒らせ、首を差し出す。
殿は刀を抜いて、清秀の首にあてがった………………ふっと、殿は笑われた。
「中川殿、顔を上げられい。これほどの武人の首を切っては、後世の笑いものになろうて。その武人としての矜恃をもって、今後も働かれたい」
と、殿は手にしていた太刀を清秀に授けた。
これには、清秀もいたく感動し、
「ありがたき幸せ」
と、涙ながらに受け取った。
「これほど立派な武人がいようか! おぬしらも、中川殿のような武人を鑑にせよ! それ、おぬしらも、中川殿に何か贈らんか!」
信忠たちは、突然のことに目を白黒させていた。
「されば……」
と、信澄が持っていた刀を贈る。
「うむ、流石は七兵衛!」
と、殿は褒める。
「それならば、某は………………」
次男信意(信雄)は秘蔵の馬を、三男の信孝も真似をして馬を贈る。
嫡男で織田家当主の信忠は、これも手元にあった刀を渡そうとしたが、
「殿、それは………………」、宿老林秀貞が止めた、「それは贈り物には………………、それよりも、こちらの長船のほうが?」
信忠は、秀貞が手にした長船長光の刀を見て、渋い顔をしている。
「佐渡守(秀貞)のいうとおりじゃ、勘九郎、そんな刀が中川殿の矜恃と釣り合うか? それにせい」
と、殿の言われ、しぶしぶ長船長光の刀を受け渡した。
「織田家当主として、それだけか?」
と、促され、さらに馬も贈った。
清秀は、感涙しながら帰っていった。
「そんな吝嗇なことではいかんぞ、勘九郎。織田家の当主として恥をかくのはそなたぞ」
「失礼いたしました」
と、頭を下げていたが、いささか機嫌が悪そうだった。
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