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第四章「偏愛の城」
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さっそく伴天連たちが、佐久間信盛、羽柴秀吉、松井夕閑、大津長昌とともに高槻城に向かった。
十一月十四日までには太田の砦が完成し、不破光治、前田利家、佐々成政、原政茂、金森長近、日野根弘就・盛就兄弟の越前衆がここに着陣。
滝川一益、惟住(丹羽)長秀、蜂屋頼隆、氏家直通、安藤守就、稲葉一鉄、十兵衛の部隊に、武藤舜秀、羽柴秀吉、長岡(細川)藤孝の部隊が加わり、伊丹へ前進、舜秀が先鋒として敵と遭遇すると、首級四つをあげて突破、その一帯を焼き払い、刀根山に着陣。
蜂屋頼隆、惟住(丹羽)長秀、蒲生賢秀は見野村の南に砦を築き、織田信忠、北畠信意(織田信雄)、神戸信孝(織田信孝)の連枝衆は小野原に陣幕を構えた。
翌十五日には、殿が安満から郡山へ移動。
その翌日………………
「高山様が、単身参陣なされました」
金平糖をじっくりと舐めているところに、近習が慌ててやってきた。
「なんと! 自ら出向いてきたと? 苦しゅうない、通せ!」
殿の前に出てきたのは、頭を丸め、紙衣一枚を羽織っただけのみすぼらしい男だった。
「たか……、やま殿か?」
「高山右近にござりまする」
上げた顔は青白いが、鋭い眼差しは武将のそれだ。
「その身なり、どうなされた?」
「某の覚悟にござりまする」
「覚悟じゃと?」
高山家は、摂津の国人であった。
高山右近友重の父図書友照の代から三好氏の配下にあったが、その勢力が衰え、義昭が将軍となると、彼の側近であった和田惟政が、池田勝正、伊丹親興とともに摂津守護に任じられ、その下に組み込まれた。
だが惟政の死後、当主となった息子の惟長に疎まれ、殺されそうになる。
このとき助け船を出したのが、池田家を乗っ取り勢いにのっていた荒木村重で、村重の助力で和田氏を滅ぼし、高槻城を居城とした。
その村重が、織田を裏切った。
裏切りなど、当代なら常のこと ―― それで村重は摂津一国を有し、高山家も高槻城を奪ったのだ。
だが、信長を敵に回して勝てるのか?
当初、友重は村重に『織田家を敵に回して勝ち目はない』と、殿に旗を翻すつもりはないとの弁明を促した。
その一方で、荒木家の中で高山家が孤立しないように、村重に恭順の姿勢を示すために妹や息子も人質として出した。
村重は一時考え直したようだが、結局は徹底抗戦を主張した中川清秀らに引っ張られた。
『御母堂様を人質に出せなど、織田は我らを信用しておらん! このような主のもとで戦ができようか! 合戦じゃ!』
やはり、あれが拙かったようだ。
友重は迷った。
高山親子は敬虔な切支丹である。
切支丹として、正しい行いはどちらか?
なにより高山家として、荒木家につく方が今後有利か、それとも織田家につく方が有利か………………武将として迷うのは当然だ。
父友照は、村重につくべしと言っている ―― これに同意する家臣も多い。
織田側から『城を明け渡さねば、伴天連ども全員磔にする!』という脅しが、友照の信仰心を逆なでしたらしい ―― 前線の部隊が、殿の承諾なしにそのような脅し文句を使ったようだが………………
友重は、織田についた方が、高山家に有利と思っている………………それに同調する家臣もいた。
悩んだ友重は、懇意にしている宣教師オルガティノに助言を願う。
彼の答えは、『織田につくのが正しいことだ。あとは祈り、考えなさい』であった。
右近のもつ切支丹の名(洗礼名)は、ジェスト ―― 向こうの言葉で『正しい行いをする人』らしい。
信長が派遣した宣教師の説得も効いたようだ。
だからといって、露骨に織田側につくと村重に申し訳ない。
人質も危ない。
父の怒りも分かる。
どちらか一方につくことが、『正しい行い』か?
ならば………………友重は鎧を脱いで剃髪し、たったひとりで高槻城を出て、殿のもとに参ったようだ。
なるほど、鎧を脱ぐということは、織田家にも荒木家にも与せずという意思表示だ。
その一方で、頭を丸めて殿のもとに来たのは、殿に恭順を示したことになる。
まことに、上手い策である。
殿は、友重の行いをいたく喜ばれ、
「うむ、高山殿の覚悟、しかと拝見した。そのなりでは寒かろう。また、これほどの武将を歩いて帰らせたとなると、儂の恥じゃ」
と、着ていた小袖を渡され、埴原新右衛門が献上した馬まで与えられた。
「出家する身には、恐れ多い品々です」
と、友重は断ろうとしたが、
「出家することは許しませぬぞ、高山殿。今後も武将として、領民のため、伴天連連中のために、一生懸命働かれい」
高山家は許され、その領地と信仰までも安堵された瞬間であった。
その後、友重には摂津芥川郡も加増された。
十一月十四日までには太田の砦が完成し、不破光治、前田利家、佐々成政、原政茂、金森長近、日野根弘就・盛就兄弟の越前衆がここに着陣。
滝川一益、惟住(丹羽)長秀、蜂屋頼隆、氏家直通、安藤守就、稲葉一鉄、十兵衛の部隊に、武藤舜秀、羽柴秀吉、長岡(細川)藤孝の部隊が加わり、伊丹へ前進、舜秀が先鋒として敵と遭遇すると、首級四つをあげて突破、その一帯を焼き払い、刀根山に着陣。
蜂屋頼隆、惟住(丹羽)長秀、蒲生賢秀は見野村の南に砦を築き、織田信忠、北畠信意(織田信雄)、神戸信孝(織田信孝)の連枝衆は小野原に陣幕を構えた。
翌十五日には、殿が安満から郡山へ移動。
その翌日………………
「高山様が、単身参陣なされました」
金平糖をじっくりと舐めているところに、近習が慌ててやってきた。
「なんと! 自ら出向いてきたと? 苦しゅうない、通せ!」
殿の前に出てきたのは、頭を丸め、紙衣一枚を羽織っただけのみすぼらしい男だった。
「たか……、やま殿か?」
「高山右近にござりまする」
上げた顔は青白いが、鋭い眼差しは武将のそれだ。
「その身なり、どうなされた?」
「某の覚悟にござりまする」
「覚悟じゃと?」
高山家は、摂津の国人であった。
高山右近友重の父図書友照の代から三好氏の配下にあったが、その勢力が衰え、義昭が将軍となると、彼の側近であった和田惟政が、池田勝正、伊丹親興とともに摂津守護に任じられ、その下に組み込まれた。
だが惟政の死後、当主となった息子の惟長に疎まれ、殺されそうになる。
このとき助け船を出したのが、池田家を乗っ取り勢いにのっていた荒木村重で、村重の助力で和田氏を滅ぼし、高槻城を居城とした。
その村重が、織田を裏切った。
裏切りなど、当代なら常のこと ―― それで村重は摂津一国を有し、高山家も高槻城を奪ったのだ。
だが、信長を敵に回して勝てるのか?
当初、友重は村重に『織田家を敵に回して勝ち目はない』と、殿に旗を翻すつもりはないとの弁明を促した。
その一方で、荒木家の中で高山家が孤立しないように、村重に恭順の姿勢を示すために妹や息子も人質として出した。
村重は一時考え直したようだが、結局は徹底抗戦を主張した中川清秀らに引っ張られた。
『御母堂様を人質に出せなど、織田は我らを信用しておらん! このような主のもとで戦ができようか! 合戦じゃ!』
やはり、あれが拙かったようだ。
友重は迷った。
高山親子は敬虔な切支丹である。
切支丹として、正しい行いはどちらか?
なにより高山家として、荒木家につく方が今後有利か、それとも織田家につく方が有利か………………武将として迷うのは当然だ。
父友照は、村重につくべしと言っている ―― これに同意する家臣も多い。
織田側から『城を明け渡さねば、伴天連ども全員磔にする!』という脅しが、友照の信仰心を逆なでしたらしい ―― 前線の部隊が、殿の承諾なしにそのような脅し文句を使ったようだが………………
友重は、織田についた方が、高山家に有利と思っている………………それに同調する家臣もいた。
悩んだ友重は、懇意にしている宣教師オルガティノに助言を願う。
彼の答えは、『織田につくのが正しいことだ。あとは祈り、考えなさい』であった。
右近のもつ切支丹の名(洗礼名)は、ジェスト ―― 向こうの言葉で『正しい行いをする人』らしい。
信長が派遣した宣教師の説得も効いたようだ。
だからといって、露骨に織田側につくと村重に申し訳ない。
人質も危ない。
父の怒りも分かる。
どちらか一方につくことが、『正しい行い』か?
ならば………………友重は鎧を脱いで剃髪し、たったひとりで高槻城を出て、殿のもとに参ったようだ。
なるほど、鎧を脱ぐということは、織田家にも荒木家にも与せずという意思表示だ。
その一方で、頭を丸めて殿のもとに来たのは、殿に恭順を示したことになる。
まことに、上手い策である。
殿は、友重の行いをいたく喜ばれ、
「うむ、高山殿の覚悟、しかと拝見した。そのなりでは寒かろう。また、これほどの武将を歩いて帰らせたとなると、儂の恥じゃ」
と、着ていた小袖を渡され、埴原新右衛門が献上した馬まで与えられた。
「出家する身には、恐れ多い品々です」
と、友重は断ろうとしたが、
「出家することは許しませぬぞ、高山殿。今後も武将として、領民のため、伴天連連中のために、一生懸命働かれい」
高山家は許され、その領地と信仰までも安堵された瞬間であった。
その後、友重には摂津芥川郡も加増された。
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