本能寺燃ゆ

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第四章「偏愛の城」

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「俺もよくは知らんが……、あいつらがいうには、『隣の人を愛しなさい』ということらしい」

 隣の人を愛する ―― つまり、好きになるということか?

 それだけ?

 隣の人を好きになればいいのか?

 これはまた、簡単な。

「それは、あくまでもたとえで……、なんだ、つまりこの世の人々をすべて好きになれ、そうすれば死んで極楽浄土に行けるとな」

 それは……、難しいのでは?

 気の合う人もいれば、合わない人もいるもんだし………………太若丸にも苦手な相手はいる。

 十兵衛や八郎だって、そうであろう。

 殿は………………、絶対に極楽にはいけないな。

 気の合わない相手を、どうしても好きになれというのは、少々難しい。

 第一、この世の人すべてがお互いに好き同士になれば、戦などなくなるのでは?

「そういうことだ。そうすれば、この世が極楽浄土 ―― なぜ死んで極楽浄土に行く必要がある? この世が極楽浄土になれば、それで十分、そのために必死で生き抜いているのだと ―― 十兵衛は言っておる」

 その通り!

 流石は十兵衛である!

「それは、ここの殿様も同じだろう?」

 殿も、そのようなことを申されていた ―― 儂が、この世を極楽浄土にするのだと………………

「あいつらにとっては、生きていることが駄目らしい」

 どういうことで?

「あいつらが言うには、なんでも俺たちは神様が己の姿を似せて作ったらしい」

 そんな馬鹿な!

 八郎殿が、神様?

「そうだぞ、俺は神様に似てるんだ」と、八郎は笑う、「まあ、それは戯言として、この世の人はすべて神様が作ったということだ」

 この秋津島には様々な神様や仏様がいるが、どれも人と同じ姿をしていても、人を作る神様などいない。

 じゃあ、人が悪さをするのは、神様が悪いからではないか?

「いや、人はそのあとで悪さをしたらしい。神様が食っちゃいかんという実を、黙って食ったからとか……、そんなことを言っておったな」

 そんなことで、罰せられるのですか?

 器の小さな神様ですね。

「確かにな!」と、八郎は笑った、「まあ、そんなわけで、その実を食ってから人はその罪をつぐなうために、ひたすらあいつらのいう神様ってやつを拝まなければならぬらしい。そうしなければ、死んで極楽に行けぬからと」

 どこかの教えと、あまり変わらないような………………『南無阿弥陀仏』と唱えれば、たとえ悪人でも極楽に行けるとか………………

「人が悪いのなら、なぜ神はその人をのさばらせるのか? そいつら全員殺して地獄に落とし、善良な人々を救えばよいではないか、なぜ己からそれをなさぬ。人というものを作ったのは、己自身ではないか、その責を棚に上げ、己を崇め奉れとは唾棄すべきこと。それは、上座に腰を下ろし、下界を見下ろしながら、下民どもが何かしておるぞと、己は何もせずに笑っている公家や坊主と同じではないかと………………と、十兵衛は憤っておったな。まあ、やつらの前ではにこにこと笑って話を聞いていたが」

 それは、十兵衛のいうとおりだ。

 殿も、同じだと思う ―― むしろ殿なら、伴天連連中の前で、はっきりというと思うが。

「それに、死んだ奴が、生き返るというのも、どうも胡散臭いらしい」

 それは鬼ですか?

「ここじゃ、そう思うだろう。だが、そいつはこの世の罪ってやつを全部背負って、磔にあって死んだらしい。だが、何日だったかな……、そいつは生き返ったらしいぞ」

 やはり鬼ではないですか!

「そいつの教えが、これらしい」

 その人は、まだ生きているのですか?

 というか、その人はなぜ極楽に行かなかったので?

 行けなかったのですか?

「いや、なんか、この世にその教えを広めるために生き返ったとか言っていたかな? いや、生き返るというよりも、そいつが神とひとつになったとか言ってたな」

 それは仏様と同じでは?

「俺もよう分らん! あいつら、俺があれやこれやと聞くと、その教えを信じるんじゃないかと思って、しつこく迫ってきてな、もうそれ以上は聞かなんだ」

 左様ですか………………でも、随分お詳しい。

「やつらと……、というか南蛮人連中と商いをするからな。なら、あいつらの信じている神様というのやらも知っておかねば、あいつらがどういった考えで動くのか分らんからな。これも、商いのためだ」

 なるほど、八郎にとっては伴天連を含めた南蛮人は、あくまで商いで生きていくための手段に過ぎないようだ。

「あいつら、俺に言ったのさ、『では、あなたの信じる神は何ですか? この国の神ですか? 仏ですか?』などと聞きやがるから、言ってやったんだよ。俺の信じる神様は、これだと」

 八郎は、親指と人差し指の先を合わせて輪っかを作る………………でしょうね………………

「きんきら光る神様ほど、ありがたいものはないからな」

 と、八郎は『金平糖』を鷲掴みにし、口に放り込んだ。

 ばりばりとした音を聞きながら皿を見ると、もうない。

 殿のために、少し残しておこうかと思ったのだが………………

「大丈夫だ。あいつらも土産に持ってきてる」

 その二人が戻ってきた。

 笑顔だということは、良い話ができたということだろう。

「どうだ、首尾は?」

 八郎が尋ねると、ひとりの伴天連がちょっと変なところがあるが、太若丸にもわかる言葉で話した。

 殿からは、高山友重を懐柔せよと言われたらしい。

 もし懐柔できれば、どこでも好きなところに、伴天連の寺を建て、教えを広げてもよいと。

 もし断れば、伴天連全員、大八島から追い出すと。

「で、引き受けたのか?」

 伴天連は笑顔で頷いた。

「その顔だと、よほど自信があるのか?」

 織田様は、いまや京の王とおなじぐらいの力を持っている、この人がひと言令すれば、その通りになる、これはこの島で我々の立場を確実にし、教えを大いに広める良い機会だ、高山様は敬虔な信徒であり、我らが諭せば、必ずや聞き入れてくれるであろう、これを引き受けぬ通りがあろうか………………と、伴天連は自信満々に言った。

「そうか、なら良かった。じゃあ俺も、お前さんらにくっついて一儲けさせてもらおうかな」

 伴天連は、苦笑いしていた。

 太若丸は、土産として干し柿を包み、伴天連連中の分も含めて、八郎に渡した。

「お前とは、何かしら縁があるのかもしれんな。まあ、また会うこともあるだろう、ちゃお!」

 と、八郎は去っていった。

 相変わらず忙しい人である………………ちゃお?

 奥へと入ると、殿も随分嬉しそうだ。

 目の前には、皿に『金平糖』が山盛りだ ―― なるほど!

「あの方々から頂きました」、乱の手にも袋がふたつ、「太若丸様の分もありますよ」

「太若丸、濁酒の仕度じゃ! 久しぶりの『金平糖』じゃ、一杯やるぞ!」

 殿は、金平糖をひと摘まみし、それを舌の上にのせて、ゆっくりと舐める ―― 満面の笑みである。

 太若丸は、八郎からもらった香炉を置き、さっそく濁酒の仕度にかかった。

「ん? 太若丸、その香炉をどうした?」

 流石は目ざとい。

「うむうむ……」、殿はその香炉を手に取ると、しげしげと眺める、「なかなか良い品じゃな。うむ、良いぞ!」

 随分物欲しげな表情だ。

 頂き物ですが、よろしければ………………というと、

「なに! 良いのか!」

 殿は、まるで子どものように目を輝かせる。

「うむうむ、素晴らしい! 太若丸、はよう濁酒じゃ、濁酒! こいつを眺めながら、『金平糖』を舐めなめ濁酒を飲む! くうぅ~、これ以上の極楽があろうか! はよう仕度をせい!」

 苦笑しながらも、急いで酒の仕度をはじめた。
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