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第四章「偏愛の城」
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「摂津は……、心変わりせぬか?」
十兵衛は、太若丸と乱のほうにちらりと視線をやったあと、「まことに申し訳ありませぬ」と頭を下げた。
「再三使者を送っておりまするが、城門を固く閉め、これを城内に入れず。あげくに、娘を送り返してきました」
「うむ……、弾正殿や別所同様、摂津も望みなしか……、ああは言うたが、毛利や大坂方との決戦を前に、あまり無駄な戦はしとうはない。何か、手はあるか、十兵衛」
「されば………………」、十兵衛は腕を組み、天を見上げる ―― この仕草、久しぶりに見た、懐かしい………………、「荒木殿が頼りにする家臣、中川殿と高山殿を切り崩してはいかがでしょうや?」
中川清秀、高山重友は、ともに村重の家臣である。
「なるほど、如何にする?」
「中川殿は……、勇猛果敢、その戦い方はまさに鬼……、義に反することには少々短気なところがございますが、機に敏いところがございます、そこをよくよく言いくるめて話をすればよいかと。高山殿は……、幼き頃に洗礼とかを受けた生粋の吉利支丹と聞き及びまする。これを伴天連に無益な戦はするなと説得させれば、本人の信仰心故、従うかと」
「うむ、名案なり! 流石は十兵衛じゃ!」
確かに!
「して、中川の説得には誰を遣わす?」
「古田殿」
「うむ、左介か!」
古田左介重然(ふるた・さかい・しげなり:のちの織部(おりべ))の妻が、中川清秀の妹せんであり、清秀とは義兄弟である。
「うむ、手配任せる。伴天連も、早々に呼んで来い!」
「畏まり候」
と、十兵衛が席を立とうとすると、
「待て待て、話はまだある」
殿の聊か疲れたような顔つきに、十兵衛は戸惑いながら座った。
「五郎左は……、まるで〝猿〟の家臣じゃな」
「惟住殿のお考えだけではないように思われまするが」
そのことかと言った表情で、十兵衛は口を開いた。
「勘九郎か……」、殿は珍しくため息を吐く、「あれは、まことに〝うつけ〟よのう。〝猿回し〟が、〝猿〟に回されて如何にする? 此度は、天下(近畿)周辺の一大事ぞ! 家臣のひとりやふたり、捨てる覚悟もできんか? 織田家のために死んでくれと、ひと言いえんのか? 儂なら言うぞ! 普段から家臣らと良き関係を築いておかんから、そういうことになる」
「まだ、お若いゆえ、そのあたりは……、それに、忠臣ならば、それを守らんとするも、また主の役目かと?」
「〝猿〟の忠義とは、儂か? 勘九郎か?」
それには十兵衛は答えなかった。
「ときに……、七兵衛はどうじゃ?」
突然話が変わったので、聊か戸惑いながら、
「郡内での評判も上々、領民の営みに心を砕き、寺の再建にも力を入れておられまする」
信長の実弟信行の忘れ形見であり、十兵衛の娘婿となった津田(織田)七兵衛信澄は、養父磯野員昌から譲り受けた高島郡(実際は、信長が員昌から召し上げたのだが)に入り、領民のために汗水流して働いているようだ。
先の比叡山攻めの煽りを受けて焼失した大善寺も、別院を建てて復興しようとしている。
「うむ……、七兵衛のほうが、当主に相応しいか?」
「一国の当主としては。されど、織田家の主を務められるかどうかは、別の話になるかと」
信忠から、信澄に代えるか?
鶴の一声ならば、みな従おうが………………いや、今の状況なら、織田家の大混乱は必至 ―― そこを他家に狙わる可能性もある。
十兵衛も、その点を危惧しているようだ。
「当主を……、代えられまするか? されば………………」
「心配すな」、殿は笑われる、「別段、織田家の当主が、天下を治めねばならぬ通りはあるまい。織田家は織田家、天下は天下? 違うか?」
「左様お考えならば………………」
殿は、しばらく考えた後、
「勘九郎には、岐阜をやった。七兵衛にも、そろそろ城を持たせてやりたい。十兵衛、これもそちが差配せよ」
「承り候」
「毛利、大坂を征する前に、ことによれば、ひと戦せねばならぬかのう?」
「左様なことにならないことを願いまするが………………」
「儂の邪魔をするようならば、身内であっても始末せねばなるまいて。それが、望まぬ戦でもな。そのとき………………」、殿は十兵衛をじっと見つめた、「そなたは、どちらにつく?」
十兵衛は、太若丸に視線を寄こした後、にこりと微笑んだ。
「天下に!」
流石は十兵衛である。
殿は………………にんまりと笑っている。
十兵衛は、太若丸と乱のほうにちらりと視線をやったあと、「まことに申し訳ありませぬ」と頭を下げた。
「再三使者を送っておりまするが、城門を固く閉め、これを城内に入れず。あげくに、娘を送り返してきました」
「うむ……、弾正殿や別所同様、摂津も望みなしか……、ああは言うたが、毛利や大坂方との決戦を前に、あまり無駄な戦はしとうはない。何か、手はあるか、十兵衛」
「されば………………」、十兵衛は腕を組み、天を見上げる ―― この仕草、久しぶりに見た、懐かしい………………、「荒木殿が頼りにする家臣、中川殿と高山殿を切り崩してはいかがでしょうや?」
中川清秀、高山重友は、ともに村重の家臣である。
「なるほど、如何にする?」
「中川殿は……、勇猛果敢、その戦い方はまさに鬼……、義に反することには少々短気なところがございますが、機に敏いところがございます、そこをよくよく言いくるめて話をすればよいかと。高山殿は……、幼き頃に洗礼とかを受けた生粋の吉利支丹と聞き及びまする。これを伴天連に無益な戦はするなと説得させれば、本人の信仰心故、従うかと」
「うむ、名案なり! 流石は十兵衛じゃ!」
確かに!
「して、中川の説得には誰を遣わす?」
「古田殿」
「うむ、左介か!」
古田左介重然(ふるた・さかい・しげなり:のちの織部(おりべ))の妻が、中川清秀の妹せんであり、清秀とは義兄弟である。
「うむ、手配任せる。伴天連も、早々に呼んで来い!」
「畏まり候」
と、十兵衛が席を立とうとすると、
「待て待て、話はまだある」
殿の聊か疲れたような顔つきに、十兵衛は戸惑いながら座った。
「五郎左は……、まるで〝猿〟の家臣じゃな」
「惟住殿のお考えだけではないように思われまするが」
そのことかと言った表情で、十兵衛は口を開いた。
「勘九郎か……」、殿は珍しくため息を吐く、「あれは、まことに〝うつけ〟よのう。〝猿回し〟が、〝猿〟に回されて如何にする? 此度は、天下(近畿)周辺の一大事ぞ! 家臣のひとりやふたり、捨てる覚悟もできんか? 織田家のために死んでくれと、ひと言いえんのか? 儂なら言うぞ! 普段から家臣らと良き関係を築いておかんから、そういうことになる」
「まだ、お若いゆえ、そのあたりは……、それに、忠臣ならば、それを守らんとするも、また主の役目かと?」
「〝猿〟の忠義とは、儂か? 勘九郎か?」
それには十兵衛は答えなかった。
「ときに……、七兵衛はどうじゃ?」
突然話が変わったので、聊か戸惑いながら、
「郡内での評判も上々、領民の営みに心を砕き、寺の再建にも力を入れておられまする」
信長の実弟信行の忘れ形見であり、十兵衛の娘婿となった津田(織田)七兵衛信澄は、養父磯野員昌から譲り受けた高島郡(実際は、信長が員昌から召し上げたのだが)に入り、領民のために汗水流して働いているようだ。
先の比叡山攻めの煽りを受けて焼失した大善寺も、別院を建てて復興しようとしている。
「うむ……、七兵衛のほうが、当主に相応しいか?」
「一国の当主としては。されど、織田家の主を務められるかどうかは、別の話になるかと」
信忠から、信澄に代えるか?
鶴の一声ならば、みな従おうが………………いや、今の状況なら、織田家の大混乱は必至 ―― そこを他家に狙わる可能性もある。
十兵衛も、その点を危惧しているようだ。
「当主を……、代えられまするか? されば………………」
「心配すな」、殿は笑われる、「別段、織田家の当主が、天下を治めねばならぬ通りはあるまい。織田家は織田家、天下は天下? 違うか?」
「左様お考えならば………………」
殿は、しばらく考えた後、
「勘九郎には、岐阜をやった。七兵衛にも、そろそろ城を持たせてやりたい。十兵衛、これもそちが差配せよ」
「承り候」
「毛利、大坂を征する前に、ことによれば、ひと戦せねばならぬかのう?」
「左様なことにならないことを願いまするが………………」
「儂の邪魔をするようならば、身内であっても始末せねばなるまいて。それが、望まぬ戦でもな。そのとき………………」、殿は十兵衛をじっと見つめた、「そなたは、どちらにつく?」
十兵衛は、太若丸に視線を寄こした後、にこりと微笑んだ。
「天下に!」
流石は十兵衛である。
殿は………………にんまりと笑っている。
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