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第四章「偏愛の城」
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間もなくして、十兵衛から報せが届く。
村重が、『旗を翻す意図はなし』と釈明のために、安土に向かうとのこと。
「うむ、上々! 流石は十兵衛じゃ」
殿は安堵された。
「ですが、また旗を翻さぬよう、何か手を打っておかれたほうが良いのでは?」
また乱が出過ぎた真似をする。
おぬしは口を慎めと視線を送るが、乱は気が付いても、にこりと微笑むだけ。
「荒木様のご母堂様を、こちらにお呼びになられては?」
つまり、村重の母を人質として差し出せというのだ。
「そこまですることもあるまい」と、信盛は眉を潜める、「それでは大殿が、荒木殿を信用しておらぬというのと同じではないか。荒木殿も、良い気はすまい」
「ですが荒木様は、主君である池田民部少輔(勝正)様を追放し、弟の左衛門尉様(知正)を池田氏当主に据えたはよいですが、その弟君さえも己の家臣にしてしまうようなお方ですよ? そんな方に信がおけまするか?」
信盛が、乱をきっと睨みつける。
殿も、信を置いている村重のことを悪く言われたのだから、乱に怒るかと思ったが………………
「まあ、それは当代の習わし。無能な主君であれば、家臣に馬鹿にされて当然であろうからな」
と、さして怒ることもない。
殿は、まことに乱には甘い!
「まあ、しかし、乱丸の言う通りじゃ、別に人質として預かるわけではないが、摂津の御母堂に、一度安土にお越しになり、相撲や舟遊びを楽しまれてはと伝えよ」
これを知った村重は、びっくり仰天。
『大殿は、某のことを信用されておらぬ。大殿の性格上、このまま安土に向かっても、弁明も聞かれず、処罰されるだけであろう』
すぐさま踵を返して、再び有岡城へと籠ったらしい。
折角、十兵衛や友閑、重元らが説得して、ようやく連れ出したというのに………………
『誰が、そのようなうつけたことを言い出したのか? まさか、あの小姓ではあるまい?』
と、十兵衛から少々苛立たしそうな書状が届いた。
流石に、これは殿にはお見せできなかったが………………
「うむ……、流石に人質をとるのはまずったか? 仕方あるまい、こちらから出向いて話をきいてやろう」
殿は、神戸(織田)信孝、稲葉一鉄、不破光治、丸毛長照を留守居役として安土に置き、自らは荒木征伐として京の二条邸まで進出した。
すわ戦かと、家臣たちだけでなく、京の町衆も身構えた。
だが殿は、
「もう一度、摂津の話をようよう聞いて、説得せよ。ちょうどよい機会じゃ、〝猿〟の動向も気になる。あれにも説得に向かわせろ。仮に、摂津とともに有岡城に籠れば、すべての差し金は〝猿〟であったと分かる。」
と、十兵衛と友閑、これに秀吉を加えて、再び村重の説得を試みた。
まただ………………
松永久秀といい、別所長治といい、明らかに殿から心が離れているものを引き留めようとする。
彼らにそれほどの魅力があるのか?
確かに、武勇に優れている。
天下をまとめるうえで、重要な土地を治めている。
久秀は一代で大和一国を支配下におさめ、天下を伺う様子までみせた。
別所氏は、祖父の就治が主家である赤松家を凌駕し、東播磨八郡を治めるまで勢力を拡大、孫の長治がこれをよくよく治めていた。
村重は、乱の言う通り主君池田家をその配下に置いてしまった。
みな、己の力で生き延びる道を切り開いてきたものたちだ。
殿もそうである。
織田家も、斯波家尾張の守護代、しかも弾正忠家はその守護代である清州織田家の配下 ―― これを信長の父信秀がひっくり返した。
殿は、そういったものたちに、意を通じるものがあるのかもしれない。
そういえば、浅井長政にも、己の妹を嫁として嫁がせるなど特別に目をかけていた ―― 彼の一族も、近江守護京極氏の家臣から這い上がってきた ―― 残念ながら、これも殿を裏切ってしまったが………………
古い名や名家を自慢して、狂乱の世になんら対処もできないものたちよりも、己自身で道を開いていったものたちを、殿が好まれるのは当然であろう。
だが、そういったものたちは、己の後ろ盾 ―― 名家という誇りや家同士の繋がりというものが少ないので、生き残るためには、ときに主君でも裏切らねばなるまい。
それが愚鈍の主君ならなおのことだが、たとえ気が合っていても、勝負に出なければならないこともある。
殿は、その辺も重々察しておられようが、それでも旗を翻したものを、もう一度風を起こしてこちらに靡かせようとする。
なぜ?
彼らの代わりならば、いまの殿の周りにはいかほどもいように………………
織田家は裏切りものが多いという世間体の気にしてか?
それとも、信を置いていたものに裏切られたということに対する、己の自尊心が許さないのか?
それとも、愚鈍な主であると、信じたくないのか………………
「儂は、それほどうつけな主かの?」
と、寂しそうにつぶやいておられたが。
太若丸からみれば、殿は大変立派な主であると思うが、まあ、聊か突拍子もなく、また短気なところもあるが………………
いずれにしろ、殿は有岡城から良き報せを、いまかいまかと待ちわびていた。
村重が、『旗を翻す意図はなし』と釈明のために、安土に向かうとのこと。
「うむ、上々! 流石は十兵衛じゃ」
殿は安堵された。
「ですが、また旗を翻さぬよう、何か手を打っておかれたほうが良いのでは?」
また乱が出過ぎた真似をする。
おぬしは口を慎めと視線を送るが、乱は気が付いても、にこりと微笑むだけ。
「荒木様のご母堂様を、こちらにお呼びになられては?」
つまり、村重の母を人質として差し出せというのだ。
「そこまですることもあるまい」と、信盛は眉を潜める、「それでは大殿が、荒木殿を信用しておらぬというのと同じではないか。荒木殿も、良い気はすまい」
「ですが荒木様は、主君である池田民部少輔(勝正)様を追放し、弟の左衛門尉様(知正)を池田氏当主に据えたはよいですが、その弟君さえも己の家臣にしてしまうようなお方ですよ? そんな方に信がおけまするか?」
信盛が、乱をきっと睨みつける。
殿も、信を置いている村重のことを悪く言われたのだから、乱に怒るかと思ったが………………
「まあ、それは当代の習わし。無能な主君であれば、家臣に馬鹿にされて当然であろうからな」
と、さして怒ることもない。
殿は、まことに乱には甘い!
「まあ、しかし、乱丸の言う通りじゃ、別に人質として預かるわけではないが、摂津の御母堂に、一度安土にお越しになり、相撲や舟遊びを楽しまれてはと伝えよ」
これを知った村重は、びっくり仰天。
『大殿は、某のことを信用されておらぬ。大殿の性格上、このまま安土に向かっても、弁明も聞かれず、処罰されるだけであろう』
すぐさま踵を返して、再び有岡城へと籠ったらしい。
折角、十兵衛や友閑、重元らが説得して、ようやく連れ出したというのに………………
『誰が、そのようなうつけたことを言い出したのか? まさか、あの小姓ではあるまい?』
と、十兵衛から少々苛立たしそうな書状が届いた。
流石に、これは殿にはお見せできなかったが………………
「うむ……、流石に人質をとるのはまずったか? 仕方あるまい、こちらから出向いて話をきいてやろう」
殿は、神戸(織田)信孝、稲葉一鉄、不破光治、丸毛長照を留守居役として安土に置き、自らは荒木征伐として京の二条邸まで進出した。
すわ戦かと、家臣たちだけでなく、京の町衆も身構えた。
だが殿は、
「もう一度、摂津の話をようよう聞いて、説得せよ。ちょうどよい機会じゃ、〝猿〟の動向も気になる。あれにも説得に向かわせろ。仮に、摂津とともに有岡城に籠れば、すべての差し金は〝猿〟であったと分かる。」
と、十兵衛と友閑、これに秀吉を加えて、再び村重の説得を試みた。
まただ………………
松永久秀といい、別所長治といい、明らかに殿から心が離れているものを引き留めようとする。
彼らにそれほどの魅力があるのか?
確かに、武勇に優れている。
天下をまとめるうえで、重要な土地を治めている。
久秀は一代で大和一国を支配下におさめ、天下を伺う様子までみせた。
別所氏は、祖父の就治が主家である赤松家を凌駕し、東播磨八郡を治めるまで勢力を拡大、孫の長治がこれをよくよく治めていた。
村重は、乱の言う通り主君池田家をその配下に置いてしまった。
みな、己の力で生き延びる道を切り開いてきたものたちだ。
殿もそうである。
織田家も、斯波家尾張の守護代、しかも弾正忠家はその守護代である清州織田家の配下 ―― これを信長の父信秀がひっくり返した。
殿は、そういったものたちに、意を通じるものがあるのかもしれない。
そういえば、浅井長政にも、己の妹を嫁として嫁がせるなど特別に目をかけていた ―― 彼の一族も、近江守護京極氏の家臣から這い上がってきた ―― 残念ながら、これも殿を裏切ってしまったが………………
古い名や名家を自慢して、狂乱の世になんら対処もできないものたちよりも、己自身で道を開いていったものたちを、殿が好まれるのは当然であろう。
だが、そういったものたちは、己の後ろ盾 ―― 名家という誇りや家同士の繋がりというものが少ないので、生き残るためには、ときに主君でも裏切らねばなるまい。
それが愚鈍の主君ならなおのことだが、たとえ気が合っていても、勝負に出なければならないこともある。
殿は、その辺も重々察しておられようが、それでも旗を翻したものを、もう一度風を起こしてこちらに靡かせようとする。
なぜ?
彼らの代わりならば、いまの殿の周りにはいかほどもいように………………
織田家は裏切りものが多いという世間体の気にしてか?
それとも、信を置いていたものに裏切られたということに対する、己の自尊心が許さないのか?
それとも、愚鈍な主であると、信じたくないのか………………
「儂は、それほどうつけな主かの?」
と、寂しそうにつぶやいておられたが。
太若丸からみれば、殿は大変立派な主であると思うが、まあ、聊か突拍子もなく、また短気なところもあるが………………
いずれにしろ、殿は有岡城から良き報せを、いまかいまかと待ちわびていた。
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