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第四章「偏愛の城」
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信盛が慌ててやってきた。
「大殿からの報せに驚き、慌てて調べてまいりましたが……、荒木殿が、内密に兵糧を運び込んでいるようなこと、全くございません」
と、言い切った。
「そはまことか?」
「某や甚九郎(佐久間信栄)が、鼠一匹出入りができぬよう、大坂方を取り囲んでおります。海上の九鬼殿も同じかと」
自信満々である ―― 総大将としては、当たり前であろう。
「うむ」
殿は頷いておられたが、
「まことでございまするか?」
声をあげたのは、乱である。
「何を?」
珍しく信盛が、乱を睨みつけた。
「いえ、佐久間様が一生懸命にお働きなのは存じておりますが、果たして他の方はいかがかと………………」
「そなたは、甚九郎や某の家臣らが不正を働いておるというか?」
十兵衛が、こちらをちらちらと見ている。
『あれを、どうにかしてください』
という目をしている。
どうにかと言われても………………太若丸には、どうにもできない………………
「そうは申しておりません。ただ、大坂を囲まれてから幾月立ちますのに、なかなか兵糧が尽きずに、落ちませぬなと思いまして」
「戦とは、そなたが頭の中で思い描いておるのほど容易いものではないわ!」
信盛の怒声が響き渡る。
場が、静まり返った。
これほど信盛が激昂するのも珍しい。
というか、織田家臣団の中で比較的温厚な信盛を怒らせる乱のほうが、明らかに悪い。
信盛のいうとおり、戦とは、頭で描いた通りにはいかない………………生き方も、同じである。
乱は、それが分かるには、まだ幼いか………………
いや、殿の傍にいて、己が偉いと勘違いしているのかもしれない………………
場の雰囲気を破ったのは、殿である。
からからと笑い、
「右衛門尉の言うとおりじゃ、戦は思い通りにはいかぬ、のう、右衛門尉。許せ、乱丸はまだ幼き故」
「滅相もござりませぬ。某も、大殿の前で不躾な振る舞い、お許しくだされ。森殿も許されよ」
「乱丸も、右衛門尉に詫びよ」
「こちらこそ、不躾なことを申しました、お許しくだされ」
兎も角、その場は収まった。
「これで、摂津への疑いも晴れた。これで、心置きなく丹波へと赴け、十兵衛」
「はっ……」
「なんじゃ? まだ疑っておるのか? おぬしも疑り深いのう? 〝猿〟には警戒せよと申したが、摂津を警戒する必要はないぞ」
「左様でござりまするが………………」
「まだ、なんぞあるか?」
「荒木殿には、他にもよからぬ噂が………………」
十兵衛が、丹波の赤鬼こと荻野直正の居城黒井城を囲んだ際、味方についていた丹波衆の波多野秀治が突然離反し、後ろから攻められ、多くの将兵を死なせてしまった。
自らも、這う這うの体で京へと退かなければならなかった。
秀治の反旗は、村重が仕向けたのではないかと………………というのが、丹波の荒木氏らの話である。
荒木氏は、その昔波多野氏から枝分かれした一門でもある。
殿は、聊か呆れ顔である。
「丹波が混乱しても、摂津の得にもならんではないか」
「山城守の家臣らが申すには、摂津守殿は丹波も狙っているとか」
主君を配下におとし、『摂津十三郡を………………』と、嘯いた男である。
摂津の真上の丹波は垂涎の的 ―― 荒木氏の本貫である土地を手にしたいというのは当然であろう。
十兵衛が、丹波を治めてしまえば、そこは十兵衛の所領となる ―― 実際は織田家の所領だが、十兵衛が殿から御朱印を拝領して、そこを治めるという形になるだろう。
本貫である土地を他人にとられるぐらいなら、掻き回してやれと………………十兵衛の手に負えなければ、村重が殿に丹波攻略を願い出て、そのまま治めてしまえば………………という思惑があるのではないかと。
「左様な器の小さい男か、摂津は?」
「某も左様に思いまするが、荒木殿の後ろに誰かいれば………………」
殿の右眉がぴくりと跳ね上がった。
「公方か? 毛利か? 大坂か? それとも〝猿〟か?」
十兵衛は、それには答えなかった。
「分かった、摂津には儂が直に問いただす」
「大殿からの報せに驚き、慌てて調べてまいりましたが……、荒木殿が、内密に兵糧を運び込んでいるようなこと、全くございません」
と、言い切った。
「そはまことか?」
「某や甚九郎(佐久間信栄)が、鼠一匹出入りができぬよう、大坂方を取り囲んでおります。海上の九鬼殿も同じかと」
自信満々である ―― 総大将としては、当たり前であろう。
「うむ」
殿は頷いておられたが、
「まことでございまするか?」
声をあげたのは、乱である。
「何を?」
珍しく信盛が、乱を睨みつけた。
「いえ、佐久間様が一生懸命にお働きなのは存じておりますが、果たして他の方はいかがかと………………」
「そなたは、甚九郎や某の家臣らが不正を働いておるというか?」
十兵衛が、こちらをちらちらと見ている。
『あれを、どうにかしてください』
という目をしている。
どうにかと言われても………………太若丸には、どうにもできない………………
「そうは申しておりません。ただ、大坂を囲まれてから幾月立ちますのに、なかなか兵糧が尽きずに、落ちませぬなと思いまして」
「戦とは、そなたが頭の中で思い描いておるのほど容易いものではないわ!」
信盛の怒声が響き渡る。
場が、静まり返った。
これほど信盛が激昂するのも珍しい。
というか、織田家臣団の中で比較的温厚な信盛を怒らせる乱のほうが、明らかに悪い。
信盛のいうとおり、戦とは、頭で描いた通りにはいかない………………生き方も、同じである。
乱は、それが分かるには、まだ幼いか………………
いや、殿の傍にいて、己が偉いと勘違いしているのかもしれない………………
場の雰囲気を破ったのは、殿である。
からからと笑い、
「右衛門尉の言うとおりじゃ、戦は思い通りにはいかぬ、のう、右衛門尉。許せ、乱丸はまだ幼き故」
「滅相もござりませぬ。某も、大殿の前で不躾な振る舞い、お許しくだされ。森殿も許されよ」
「乱丸も、右衛門尉に詫びよ」
「こちらこそ、不躾なことを申しました、お許しくだされ」
兎も角、その場は収まった。
「これで、摂津への疑いも晴れた。これで、心置きなく丹波へと赴け、十兵衛」
「はっ……」
「なんじゃ? まだ疑っておるのか? おぬしも疑り深いのう? 〝猿〟には警戒せよと申したが、摂津を警戒する必要はないぞ」
「左様でござりまするが………………」
「まだ、なんぞあるか?」
「荒木殿には、他にもよからぬ噂が………………」
十兵衛が、丹波の赤鬼こと荻野直正の居城黒井城を囲んだ際、味方についていた丹波衆の波多野秀治が突然離反し、後ろから攻められ、多くの将兵を死なせてしまった。
自らも、這う這うの体で京へと退かなければならなかった。
秀治の反旗は、村重が仕向けたのではないかと………………というのが、丹波の荒木氏らの話である。
荒木氏は、その昔波多野氏から枝分かれした一門でもある。
殿は、聊か呆れ顔である。
「丹波が混乱しても、摂津の得にもならんではないか」
「山城守の家臣らが申すには、摂津守殿は丹波も狙っているとか」
主君を配下におとし、『摂津十三郡を………………』と、嘯いた男である。
摂津の真上の丹波は垂涎の的 ―― 荒木氏の本貫である土地を手にしたいというのは当然であろう。
十兵衛が、丹波を治めてしまえば、そこは十兵衛の所領となる ―― 実際は織田家の所領だが、十兵衛が殿から御朱印を拝領して、そこを治めるという形になるだろう。
本貫である土地を他人にとられるぐらいなら、掻き回してやれと………………十兵衛の手に負えなければ、村重が殿に丹波攻略を願い出て、そのまま治めてしまえば………………という思惑があるのではないかと。
「左様な器の小さい男か、摂津は?」
「某も左様に思いまするが、荒木殿の後ろに誰かいれば………………」
殿の右眉がぴくりと跳ね上がった。
「公方か? 毛利か? 大坂か? それとも〝猿〟か?」
十兵衛は、それには答えなかった。
「分かった、摂津には儂が直に問いただす」
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