367 / 498
第四章「偏愛の城」
92
しおりを挟む
十兵衛から名は聞いていたが、まるで子どものような人であった。
まん丸とした頬とたるんだ顎、でっぷりと出た腹、絶やさぬ笑顔は、子どもというよりも、赤子のようである。
この人が、機を見るに敏な商人とは、到底思われない。
真田八郎とは、随分な違いだ。
だが、勢いに陰りがみえはじめた三好氏を見限り、いち早く殿に接近し、殿が堺に要求した矢銭二万貫を取りまとめ、献上したのだから、やはり商人としての才はあるのだろう。
その対応が殿に気に入られ、堺の代官職や淀川の関銭免除、生野の銀山差配を任されるなど、堺の会合衆のなかでは抜きんでた存在である。
茶人としても有名で、千宋易(利休)、天王寺屋宗及(津田宗及)とともに、殿の茶頭として仕えている ―― 三人の中でも筆頭格だ。
「播磨も、もうじき静かになりまするかな? 北のほうでは、神保様がなかなかのご活躍とか、増山を落とし、越中の西南部はほぼほぼ手中に収められたとか。これで斎藤様率いる美濃勢が加われば、上杉勢も恐るるに足らずでしょうな」
それを聞いた殿のほうが、酷く驚いていた。
殿が、越中の様子を聞き、斎藤新五を援軍として送ったのは、つい数日前である。
「さすがは宗久、耳が早いな」
納屋宗久 ―― 今井宗久……あなどれぬ!
「して、その上杉は?」
宗久はにこりと微笑んで、話を続ける。
「越後は、不識庵(謙信)様亡き後、家督争いで混乱しておるようで……、一族、家臣団も真っ二つに分かれて戦っていらっしゃるようですな。どちらからも、刀や槍、鉄砲などの注文をいただいておりまする」
「また、一儲けできるな」
宗久は、それには答えず、
「ひととき、武田様が双方の和睦を仲介をなされたようですが………………」
謙信の甥で養子である景勝と、北条氏康の子で、これまた謙信の養子となった景虎の跡目争い ―― 御館の乱 ―― は、越後だけでなく、周辺諸国を巻き込んで大混乱となった。
景勝のほうがわずかに優勢であったため、景虎が実家に助力を要請。
この時北条氏は佐竹氏・宇都宮氏と戦をしていたので動けず、武田家当主勝頼に助力を頼んだ。
さらに、景虎は奥州の蘆名氏らにも助力を頼み、形成を逆転させる。
これを景勝が、武田勝頼と同盟を結ぶという離れ業でまた逆転。
最終的に武田勝頼が仲介して、景勝と景虎の和議がなった。
「ですが、徳川様の攻撃があったとかで………………」
勝頼は、田中城に攻め込んできた徳川勢に対処するため、越後より兵を退かなければならなかった。
当然、和睦は破綻し、再び越後は戦場となった。
「徳川様も絶妙な動きと申しますか……、越後がまとまっては困るお方の差し金なのでしょうかな?」
宗久が殿に視線を向けると、殿もにんまりと笑った。
「越後がまるく治まって困るのは、そなたも同じであろう?」
今度は、宗久がにんまりとほほ笑んだ。
「戦が止めば、また起こせばよいか……、儂はもとより地獄へ行く覚悟じゃが、戦で金儲けなど、そなたも碌な死に方をせぬぞ?」
「地獄といえば、この世も地獄。いまさら、あの世の地獄を恐れて、何が商人でございましょう」
「なるほどな、それが商人の覚悟か」
「ですが、それももうじき終わりますでしょうな」
「なにゆえ?」
「右府様が、この世を極楽にしてくださります」
殿は、高笑いした。
「じゃが、儂がこの世を極楽にすれば、そなたらも儲けられなくなるのではないか? また……、誰ぞやを焚きつけるか? 商人とは、恐ろしいのう」
「焚きつけるなど、滅相もない。某らはただ、その方にとって有益なことをお知らせしているまで、それを信じるかどうかは、その方次第でござりまする」
「左様か……」
殿は、宗久が入れた茶を、ずずずっと音を立てて啜った。
「ですが、世が穏やかになれば、それはそれでまた、商いの仕方がございます」
「流石だな」
「これぐらい機を見るに敏でなければ、商人はやっていけませんので」
「その機を見る目で……、宗久……、儂はどうじゃ? 極楽を築けそうか?」
それは当然と宗久は頷く。
「ただ………………」
「ただ……、なんじゃ?」
宗久は、一瞬躊躇った後、
「足元には……、お気を付けなされたほうが………………」
「足元?」
「燈明も、辺りを照らし出しても、足元は暗いまま……、なかなか気づかないものでございます」
「足元か……、なるほどな」
殿は、妙に納得されていた ―― 何か、心当たりがあるのか………………?
まん丸とした頬とたるんだ顎、でっぷりと出た腹、絶やさぬ笑顔は、子どもというよりも、赤子のようである。
この人が、機を見るに敏な商人とは、到底思われない。
真田八郎とは、随分な違いだ。
だが、勢いに陰りがみえはじめた三好氏を見限り、いち早く殿に接近し、殿が堺に要求した矢銭二万貫を取りまとめ、献上したのだから、やはり商人としての才はあるのだろう。
その対応が殿に気に入られ、堺の代官職や淀川の関銭免除、生野の銀山差配を任されるなど、堺の会合衆のなかでは抜きんでた存在である。
茶人としても有名で、千宋易(利休)、天王寺屋宗及(津田宗及)とともに、殿の茶頭として仕えている ―― 三人の中でも筆頭格だ。
「播磨も、もうじき静かになりまするかな? 北のほうでは、神保様がなかなかのご活躍とか、増山を落とし、越中の西南部はほぼほぼ手中に収められたとか。これで斎藤様率いる美濃勢が加われば、上杉勢も恐るるに足らずでしょうな」
それを聞いた殿のほうが、酷く驚いていた。
殿が、越中の様子を聞き、斎藤新五を援軍として送ったのは、つい数日前である。
「さすがは宗久、耳が早いな」
納屋宗久 ―― 今井宗久……あなどれぬ!
「して、その上杉は?」
宗久はにこりと微笑んで、話を続ける。
「越後は、不識庵(謙信)様亡き後、家督争いで混乱しておるようで……、一族、家臣団も真っ二つに分かれて戦っていらっしゃるようですな。どちらからも、刀や槍、鉄砲などの注文をいただいておりまする」
「また、一儲けできるな」
宗久は、それには答えず、
「ひととき、武田様が双方の和睦を仲介をなされたようですが………………」
謙信の甥で養子である景勝と、北条氏康の子で、これまた謙信の養子となった景虎の跡目争い ―― 御館の乱 ―― は、越後だけでなく、周辺諸国を巻き込んで大混乱となった。
景勝のほうがわずかに優勢であったため、景虎が実家に助力を要請。
この時北条氏は佐竹氏・宇都宮氏と戦をしていたので動けず、武田家当主勝頼に助力を頼んだ。
さらに、景虎は奥州の蘆名氏らにも助力を頼み、形成を逆転させる。
これを景勝が、武田勝頼と同盟を結ぶという離れ業でまた逆転。
最終的に武田勝頼が仲介して、景勝と景虎の和議がなった。
「ですが、徳川様の攻撃があったとかで………………」
勝頼は、田中城に攻め込んできた徳川勢に対処するため、越後より兵を退かなければならなかった。
当然、和睦は破綻し、再び越後は戦場となった。
「徳川様も絶妙な動きと申しますか……、越後がまとまっては困るお方の差し金なのでしょうかな?」
宗久が殿に視線を向けると、殿もにんまりと笑った。
「越後がまるく治まって困るのは、そなたも同じであろう?」
今度は、宗久がにんまりとほほ笑んだ。
「戦が止めば、また起こせばよいか……、儂はもとより地獄へ行く覚悟じゃが、戦で金儲けなど、そなたも碌な死に方をせぬぞ?」
「地獄といえば、この世も地獄。いまさら、あの世の地獄を恐れて、何が商人でございましょう」
「なるほどな、それが商人の覚悟か」
「ですが、それももうじき終わりますでしょうな」
「なにゆえ?」
「右府様が、この世を極楽にしてくださります」
殿は、高笑いした。
「じゃが、儂がこの世を極楽にすれば、そなたらも儲けられなくなるのではないか? また……、誰ぞやを焚きつけるか? 商人とは、恐ろしいのう」
「焚きつけるなど、滅相もない。某らはただ、その方にとって有益なことをお知らせしているまで、それを信じるかどうかは、その方次第でござりまする」
「左様か……」
殿は、宗久が入れた茶を、ずずずっと音を立てて啜った。
「ですが、世が穏やかになれば、それはそれでまた、商いの仕方がございます」
「流石だな」
「これぐらい機を見るに敏でなければ、商人はやっていけませんので」
「その機を見る目で……、宗久……、儂はどうじゃ? 極楽を築けそうか?」
それは当然と宗久は頷く。
「ただ………………」
「ただ……、なんじゃ?」
宗久は、一瞬躊躇った後、
「足元には……、お気を付けなされたほうが………………」
「足元?」
「燈明も、辺りを照らし出しても、足元は暗いまま……、なかなか気づかないものでございます」
「足元か……、なるほどな」
殿は、妙に納得されていた ―― 何か、心当たりがあるのか………………?
0
お気に入りに追加
26
あなたにおすすめの小説


1333
干支ピリカ
歴史・時代
鎌倉幕府末期のエンターテイメントです。
(現在の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』から、100年ちょい後の話です)
鎌倉や京都が舞台となります。心躍る激しい合戦や、ぞくぞくするようなオドロオドロしい話を目指そうと思いましたが、結局政治や謀略の話が多くなりました。
主役は足利尊氏の弟、直義です。エキセントリックな兄と、サイケデリックな執事に振り回される、苦労性のイケメンです。
ご興味を持たれた方は是非どうぞ!

大航海時代 日本語版
藤瀬 慶久
歴史・時代
日本にも大航海時代があった―――
関ケ原合戦に勝利した徳川家康は、香木『伽羅』を求めて朱印船と呼ばれる交易船を東南アジア各地に派遣した
それはあたかも、香辛料を求めてアジア航路を開拓したヨーロッパ諸国の後を追うが如くであった
―――鎖国前夜の1631年
坂本龍馬に先駆けること200年以上前
東の果てから世界の海へと漕ぎ出した、角屋七郎兵衛栄吉の人生を描く海洋冒険ロマン
『小説家になろう』で掲載中の拙稿「近江の轍」のサイドストーリーシリーズです
※この小説は『小説家になろう』『カクヨム』『アルファポリス』で掲載します

【完結】電を逐う如し(いなづまをおうごとし)――磯野丹波守員昌伝
糸冬
歴史・時代
浅井賢政(のちの長政)の初陣となった野良田の合戦で先陣をつとめた磯野員昌。
その後の働きで浅井家きっての猛将としての地位を確固としていく員昌であるが、浅井家が一度は手を携えた織田信長と手切れとなり、前途には様々な困難が立ちはだかることとなる……。
姉川の合戦において、織田軍十三段構えの陣のうち実に十一段までを突破する「十一段崩し」で勇名を馳せた武将の一代記。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
故郷、甲賀で騒動を起こし、国を追われるようにして出奔した
若き日の滝川一益と滝川義太夫、
尾張に流れ着いた二人は織田信長に会い、織田家の一員として
天下布武の一役を担う。二人をとりまく織田家の人々のそれぞれの思惑が
からみ、紆余曲折しながらも一益がたどり着く先はどこなのか。

永き夜の遠の睡りの皆目醒め
七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。
新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。
しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。
近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。
首はどこにあるのか。
そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。
※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

本能のままに
揚羽
歴史・時代
1582年本能寺にて織田信長は明智光秀の謀反により亡くなる…はずだった
もし信長が生きていたらどうなっていたのだろうか…というifストーリーです!もしよかったら見ていってください!
※更新は不定期になると思います。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる