本能寺燃ゆ

hiro75

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第四章「偏愛の城」

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 十兵衛から名は聞いていたが、まるで子どものような人であった。

 まん丸とした頬とたるんだ顎、でっぷりと出た腹、絶やさぬ笑顔は、子どもというよりも、赤子のようである。

 この人が、機を見るに敏な商人あきんどとは、到底思われない。

 真田八郎さなだはちろうとは、随分な違いだ。

 だが、勢いに陰りがみえはじめた三好氏を見限り、いち早く殿に接近し、殿が堺に要求した矢銭二万貫を取りまとめ、献上したのだから、やはり商人としての才はあるのだろう。

 その対応が殿に気に入られ、堺の代官職や淀川の関銭免除、生野の銀山差配を任されるなど、堺の会合衆のなかでは抜きんでた存在である。

 茶人としても有名で、千宋易せんのそうえき(利休)、天王寺屋宗及てんのうじやそうきゅう(津田宗及)とともに、殿の茶頭として仕えている ―― 三人の中でも筆頭格だ。

「播磨も、もうじき静かになりまするかな? 北のほうでは、神保様がなかなかのご活躍とか、増山を落とし、越中の西南部はほぼほぼ手中に収められたとか。これで斎藤様率いる美濃勢が加われば、上杉勢も恐るるに足らずでしょうな」

 それを聞いた殿のほうが、酷く驚いていた。

 殿が、越中の様子を聞き、斎藤新五を援軍として送ったのは、つい数日前である。

「さすがは宗久、耳が早いな」

 納屋宗久 ―― 今井宗久……あなどれぬ!

「して、その上杉は?」

 宗久はにこりと微笑んで、話を続ける。

「越後は、不識庵(謙信)様亡き後、家督争いで混乱しておるようで……、一族、家臣団も真っ二つに分かれて戦っていらっしゃるようですな。どちらからも、刀や槍、鉄砲などの注文をいただいておりまする」

「また、一儲けできるな」

 宗久は、それには答えず、

「ひととき、武田様が双方の和睦を仲介をなされたようですが………………」

 謙信の甥で養子である景勝と、北条氏康の子で、これまた謙信の養子となった景虎の跡目争い ―― 御館の乱 ―― は、越後だけでなく、周辺諸国を巻き込んで大混乱となった。

 景勝のほうがわずかに優勢であったため、景虎が実家に助力を要請。

 この時北条氏は佐竹氏・宇都宮氏と戦をしていたので動けず、武田家当主勝頼に助力を頼んだ。

 さらに、景虎は奥州の蘆名氏らにも助力を頼み、形成を逆転させる。

 これを景勝が、武田勝頼と同盟を結ぶという離れ業でまた逆転。

 最終的に武田勝頼が仲介して、景勝と景虎の和議がなった。

「ですが、徳川様の攻撃があったとかで………………」

 勝頼は、田中城に攻め込んできた徳川勢に対処するため、越後より兵を退かなければならなかった。

 当然、和睦は破綻し、再び越後は戦場となった。

「徳川様も絶妙な動きと申しますか……、越後がまとまっては困るお方の差し金なのでしょうかな?」

 宗久が殿に視線を向けると、殿もにんまりと笑った。

「越後がまるく治まって困るのは、そなたも同じであろう?」

 今度は、宗久がにんまりとほほ笑んだ。

「戦が止めば、また起こせばよいか……、儂はもとより地獄へ行く覚悟じゃが、戦で金儲けなど、そなたも碌な死に方をせぬぞ?」

「地獄といえば、この世も地獄。いまさら、あの世の地獄を恐れて、何が商人でございましょう」

「なるほどな、それが商人の覚悟か」

「ですが、それももうじき終わりますでしょうな」

「なにゆえ?」

「右府様が、この世を極楽にしてくださります」

 殿は、高笑いした。

「じゃが、儂がこの世を極楽にすれば、そなたらも儲けられなくなるのではないか? また……、誰ぞやを焚きつけるか? 商人とは、恐ろしいのう」

「焚きつけるなど、滅相もない。某らはただ、その方にとって有益なことをお知らせしているまで、それを信じるかどうかは、その方次第でござりまする」

「左様か……」

 殿は、宗久が入れた茶を、ずずずっと音を立てて啜った。

「ですが、世が穏やかになれば、それはそれでまた、商いの仕方がございます」

「流石だな」

「これぐらい機を見るに敏でなければ、商人はやっていけませんので」

「その機を見る目で……、宗久……、儂はどうじゃ? 極楽を築けそうか?」

 それは当然と宗久は頷く。

「ただ………………」

「ただ……、なんじゃ?」

 宗久は、一瞬躊躇った後、

「足元には……、お気を付けなされたほうが………………」

「足元?」

「燈明も、辺りを照らし出しても、足元は暗いまま……、なかなか気づかないものでございます」

「足元か……、なるほどな」

 殿は、妙に納得されていた ―― 何か、心当たりがあるのか………………?
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