本能寺燃ゆ

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第四章「偏愛の城」

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 四月二十二日に安土に戻った殿は、西国の情勢を聞くと、再び京に上がった。

「儂が出る!」

 と、戦の仕度をするように太若丸や乱に命じた。

 乱は、急いで長櫃から鎧直垂や袴、脚絆を取り出そうとする。

 太若丸は、それを止めた。

「なぜ止める、太若丸」

 冷静を装っているが、蟀谷にぶっとい筋が浮かんでいる。

 気が高ぶっている状況では、良き策はでないであろう。

「〝猿〟は毛利に寝返った! 敵も少輔太郎しょうのたろう(毛利輝元)自ら西国の武士団を率いて出馬、儂も東国の武士団を率いて出陣し、〝猿〟ともども毛利を打ち破り、東西の境に決着をつけようぞ!」

 武士団を率いるどころか、このまま単騎でかけていく勢いだ。

「よこせ、乱丸!」

 殿は、乱のほうに手を差し出す。

 乱が、鎧直垂を渡そうとするが、太若丸が再びそれを止めた。

 ―― よこせ!
 
 ―― いましばらく!

 の応酬が続く。

「貴様!」

 殿は立ち上がり、

「乱丸、刀をよこせ!」

 手打ちだろう。

 ならば、それもよし………………吾の首を落としてから、御出馬くだされ………………と、首を差し出した。

「おのれ! 何故、そこまで?」

 豪胆、勇猛、戦場において物おじせず、自ら飛び出していくのは、殿の良いところだ。

 だが、悪い癖でもある。

 殿が、尾張一国の領主であれば、それも許されよう。

 家臣たちも先陣を切り、敵陣に乗り込んで大将首をとる殿を誇りに思うだろう。

 だが、殿はいまや天下人 ―― 征夷大将軍の宣下は受けてはないが、都の人はそれと同等に見ている。

 天下人が、自ら戦陣に赴くはいかがなものか?

 殿にもしものことがあれば、織田家だけでなく、再び天下も乱れるであろう。

 ―― 殿の目指される極楽浄土が、再び修羅の世となりましょうぞ………………

「うむ………………」

 少しばかり気が静まったのか、殿は刀を置いた。

 ―― いましばらく、家臣の皆様に話を聞かれてから事を起こされても………………

 殿は、大きく息を吐いた後、

「分かった、呼べ!」

 太若丸は家臣たちを集めるため、そのまま部屋をでた。

 部屋を出た瞬間、ふっと全身の力が抜け、その場に崩れ落ちそうになった。

「大丈夫ですか?」

 それを支えてくれたのは、乱である。

 彼は顔を覗き込み、にこりと微笑んで、

「身を挺して殿をお止めするお姿………………素敵でしたよ」

 素敵なものか!

 膝が震えている。

「殿のためを思って、あれだけのことをなされる、流石です」

 何が流石か………………殿のためではない………………十兵衛のためだ!

 再び天下が乱れ、これを平らかになすには、よほどの時と力 ―― 金も、人も、武器も必要だ………………十兵衛の齢を考えれば、それも難しい………………このまま殿に天下を抑えもらい、それを譲り受けるという形が最も良いのだ………………

 ―― そのためなら、己の身など惜しくもない!

 殿がいまにも出馬すると聞いて、佐久間信盛らが慌てて駆け付けた。

 信盛、滝川一益、蜂屋頼隆、惟住(丹羽)長秀、そして十兵衛までもが駆けつけ、

「某らが出陣し、情勢を見極め、お報せいたしまするゆえ、大殿の御出馬はいましばらく………………」

 と、進言した。

「分かった、早く行け!」

 退出する際、十兵衛が太若丸のもとにきて、耳元で、

「殿をお止めくださり、ありがとうございます。流石は太若丸殿です」

 と囁き、にこりと微笑んで去っていった。

 久しぶりの十兵衛の笑顔、匂い、息遣い………………心の底から喜びが沸いてくる。

 ―― ああ、あなたのためならば、吾の命など………………
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