354 / 498
第四章「偏愛の城」
79
しおりを挟む
出火元は、御弓衆の福田与一宅、竈の不始末であったらしい。
女房は何をしていたのかと問うと、独り身であるという。
聞けば、尾張に妻子を置いて安土に来ているという。
「女子どもを残して独り身であるから、左様な不始末をしでかすのじゃ! よもや、他にも斯様なものがおるのではなかろうな?」
菅屋長頼に調べさせると、出るわ、出るわ………………御弓衆六十人、馬廻り組六十人 ―― 百二十人余りが妻子を置いてきたらしい。
殿は、彼らを叱責、罰として安土城下の南海岸沿いに道を普請させた。
彼らの妻子には、こちらに来るように、岐阜の信忠に命じた。
「手段は問わぬ! 拒めば屋敷や畑、辺りの竹木を焼き払ってでも連れてこい!」
信忠は、すぐさま奉行を尾張に遣わした。
思った通り、妻たちは住み慣れた地を捨てて安土に移ることに抵抗したが、奉行は容赦なく屋敷を焼き、竹木さえも伐採した。
住む場所さえなくなった女たちは、仕方なく夫の待つ安土へと移ってきた。
夫婦、親子一緒に住めるのだから、それで十分ではないかと思われがちだ。
『一所懸命』
この言葉の通り、武士は己の得た土地に拘る。
己が命がけで得た土地を、先祖代々守ってきた土地を、死守するのが武士である。
誰の土地かで、裁判沙汰はあたりまえ、刃傷沙汰になることもしばしば。
それをとりあげようとすれば、たとえ主君であろうとも抵抗するのは当たり前である。
それは男だけではない。
男が留守ならば、女たちが、子どもであろうが、守らねばならぬ。
その辺、殿も分かっていようが………………
「物事に拘るのは良いことだが、執着してはならぬ。両手がふさがっていては、新しいものを手にできんではないか。新しいものを得るには、古いものを捨てねばならぬ。儂は、そうやってきた。太若丸も、そうであろう?」
殿は、そうかもしれない。
吾も、己の意思で村を離れたので、土地に対する執着は薄い。
しかし、他の侍は違うだろう。
古い理に、その身を任せたほうが楽なのだ。
「心配いらん、尾張よりも良い生活ができるようにしてやる」
それで、彼らが喜べばよいが………………
その不満が爆発する事件が起きた。
磯野員昌が、殿の意向に従わず、高野山に出奔してしまった。
員昌は、もともと浅井氏の家臣である。
元亀元(一五七〇)年の野村合戦(姉川の戦い)では奮戦するも、居城佐和山城を攻撃され、織田に降伏。
以後は、信長の配下に入り、近江高島郡を拝領。
甥御である信澄の養父にあてがうなど、かなりの信は得ていた ―― はじめは柴田勝家に養父を任せていたが、員昌が織田の配下に入ったあとは、彼が信澄の養父となった。
が、急な出奔である。
みな、一様に訝った。
げ、原因は単純………………というか、至極当然。
殿が、員昌から高島郡をとりあげ、信澄に与えようとしたからだ。
「他の新しい土地をやるとゆうたのだがな………………」
確かに養父なのだから、ゆくゆく家督は信澄に譲られる。
信澄は、織田家連枝衆では、当主信忠を除き、次男信意(信雄)、三男信孝、実弟信包に次ぐ地位。
しかも、十兵衛の養女を妻に迎えている。
殿は意外に、信忠よりも、信澄のほうを頼りにしているところがある。
その養父として隠居しても、悠悠自適であろう。
が、員昌にも実子がいる。
これに磯野家を継がせたい、高島郡を残したいと思っても当然である。
だが、殿の意向には逆らえず、高野山に逃げるしかなかったのである。
結局、高島郡は信澄のものになったのだが………………
女房は何をしていたのかと問うと、独り身であるという。
聞けば、尾張に妻子を置いて安土に来ているという。
「女子どもを残して独り身であるから、左様な不始末をしでかすのじゃ! よもや、他にも斯様なものがおるのではなかろうな?」
菅屋長頼に調べさせると、出るわ、出るわ………………御弓衆六十人、馬廻り組六十人 ―― 百二十人余りが妻子を置いてきたらしい。
殿は、彼らを叱責、罰として安土城下の南海岸沿いに道を普請させた。
彼らの妻子には、こちらに来るように、岐阜の信忠に命じた。
「手段は問わぬ! 拒めば屋敷や畑、辺りの竹木を焼き払ってでも連れてこい!」
信忠は、すぐさま奉行を尾張に遣わした。
思った通り、妻たちは住み慣れた地を捨てて安土に移ることに抵抗したが、奉行は容赦なく屋敷を焼き、竹木さえも伐採した。
住む場所さえなくなった女たちは、仕方なく夫の待つ安土へと移ってきた。
夫婦、親子一緒に住めるのだから、それで十分ではないかと思われがちだ。
『一所懸命』
この言葉の通り、武士は己の得た土地に拘る。
己が命がけで得た土地を、先祖代々守ってきた土地を、死守するのが武士である。
誰の土地かで、裁判沙汰はあたりまえ、刃傷沙汰になることもしばしば。
それをとりあげようとすれば、たとえ主君であろうとも抵抗するのは当たり前である。
それは男だけではない。
男が留守ならば、女たちが、子どもであろうが、守らねばならぬ。
その辺、殿も分かっていようが………………
「物事に拘るのは良いことだが、執着してはならぬ。両手がふさがっていては、新しいものを手にできんではないか。新しいものを得るには、古いものを捨てねばならぬ。儂は、そうやってきた。太若丸も、そうであろう?」
殿は、そうかもしれない。
吾も、己の意思で村を離れたので、土地に対する執着は薄い。
しかし、他の侍は違うだろう。
古い理に、その身を任せたほうが楽なのだ。
「心配いらん、尾張よりも良い生活ができるようにしてやる」
それで、彼らが喜べばよいが………………
その不満が爆発する事件が起きた。
磯野員昌が、殿の意向に従わず、高野山に出奔してしまった。
員昌は、もともと浅井氏の家臣である。
元亀元(一五七〇)年の野村合戦(姉川の戦い)では奮戦するも、居城佐和山城を攻撃され、織田に降伏。
以後は、信長の配下に入り、近江高島郡を拝領。
甥御である信澄の養父にあてがうなど、かなりの信は得ていた ―― はじめは柴田勝家に養父を任せていたが、員昌が織田の配下に入ったあとは、彼が信澄の養父となった。
が、急な出奔である。
みな、一様に訝った。
げ、原因は単純………………というか、至極当然。
殿が、員昌から高島郡をとりあげ、信澄に与えようとしたからだ。
「他の新しい土地をやるとゆうたのだがな………………」
確かに養父なのだから、ゆくゆく家督は信澄に譲られる。
信澄は、織田家連枝衆では、当主信忠を除き、次男信意(信雄)、三男信孝、実弟信包に次ぐ地位。
しかも、十兵衛の養女を妻に迎えている。
殿は意外に、信忠よりも、信澄のほうを頼りにしているところがある。
その養父として隠居しても、悠悠自適であろう。
が、員昌にも実子がいる。
これに磯野家を継がせたい、高島郡を残したいと思っても当然である。
だが、殿の意向には逆らえず、高野山に逃げるしかなかったのである。
結局、高島郡は信澄のものになったのだが………………
0
お気に入りに追加
26
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/essay.png?id=5ada788558fa89228aea)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
1333
干支ピリカ
歴史・時代
鎌倉幕府末期のエンターテイメントです。
(現在の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』から、100年ちょい後の話です)
鎌倉や京都が舞台となります。心躍る激しい合戦や、ぞくぞくするようなオドロオドロしい話を目指そうと思いましたが、結局政治や謀略の話が多くなりました。
主役は足利尊氏の弟、直義です。エキセントリックな兄と、サイケデリックな執事に振り回される、苦労性のイケメンです。
ご興味を持たれた方は是非どうぞ!
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
大航海時代 日本語版
藤瀬 慶久
歴史・時代
日本にも大航海時代があった―――
関ケ原合戦に勝利した徳川家康は、香木『伽羅』を求めて朱印船と呼ばれる交易船を東南アジア各地に派遣した
それはあたかも、香辛料を求めてアジア航路を開拓したヨーロッパ諸国の後を追うが如くであった
―――鎖国前夜の1631年
坂本龍馬に先駆けること200年以上前
東の果てから世界の海へと漕ぎ出した、角屋七郎兵衛栄吉の人生を描く海洋冒険ロマン
『小説家になろう』で掲載中の拙稿「近江の轍」のサイドストーリーシリーズです
※この小説は『小説家になろう』『カクヨム』『アルファポリス』で掲載します
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
【完結】電を逐う如し(いなづまをおうごとし)――磯野丹波守員昌伝
糸冬
歴史・時代
浅井賢政(のちの長政)の初陣となった野良田の合戦で先陣をつとめた磯野員昌。
その後の働きで浅井家きっての猛将としての地位を確固としていく員昌であるが、浅井家が一度は手を携えた織田信長と手切れとなり、前途には様々な困難が立ちはだかることとなる……。
姉川の合戦において、織田軍十三段構えの陣のうち実に十一段までを突破する「十一段崩し」で勇名を馳せた武将の一代記。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
故郷、甲賀で騒動を起こし、国を追われるようにして出奔した
若き日の滝川一益と滝川義太夫、
尾張に流れ着いた二人は織田信長に会い、織田家の一員として
天下布武の一役を担う。二人をとりまく織田家の人々のそれぞれの思惑が
からみ、紆余曲折しながらも一益がたどり着く先はどこなのか。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
永き夜の遠の睡りの皆目醒め
七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。
新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。
しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。
近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。
首はどこにあるのか。
そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。
※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
本能のままに
揚羽
歴史・時代
1582年本能寺にて織田信長は明智光秀の謀反により亡くなる…はずだった
もし信長が生きていたらどうなっていたのだろうか…というifストーリーです!もしよかったら見ていってください!
※更新は不定期になると思います。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる