本能寺燃ゆ

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第四章「偏愛の城」

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 出火元は、御弓衆の福田与一ふくだよいち宅、竈の不始末であったらしい。

 女房は何をしていたのかと問うと、独り身であるという。 

 聞けば、尾張に妻子を置いて安土に来ているという。

「女子どもを残して独り身であるから、左様な不始末をしでかすのじゃ! よもや、他にも斯様なものがおるのではなかろうな?」

 菅屋長頼すがやながよりに調べさせると、出るわ、出るわ………………御弓衆六十人、馬廻り組六十人 ―― 百二十人余りが妻子を置いてきたらしい。

 殿は、彼らを叱責、罰として安土城下の南海岸沿いに道を普請させた。

 彼らの妻子には、こちらに来るように、岐阜の信忠に命じた。

「手段は問わぬ! 拒めば屋敷や畑、辺りの竹木を焼き払ってでも連れてこい!」

 信忠は、すぐさま奉行を尾張に遣わした。

 思った通り、妻たちは住み慣れた地を捨てて安土に移ることに抵抗したが、奉行は容赦なく屋敷を焼き、竹木さえも伐採した。

 住む場所さえなくなった女たちは、仕方なく夫の待つ安土へと移ってきた。

 夫婦、親子一緒に住めるのだから、それで十分ではないかと思われがちだ。

『一所懸命』

 この言葉の通り、武士は己の得た土地に拘る。

 己が命がけで得た土地を、先祖代々守ってきた土地を、死守するのが武士である。

 誰の土地かで、裁判沙汰はあたりまえ、刃傷沙汰になることもしばしば。

 それをとりあげようとすれば、たとえ主君であろうとも抵抗するのは当たり前である。

 それは男だけではない。

 男が留守ならば、女たちが、子どもであろうが、守らねばならぬ。

 その辺、殿も分かっていようが………………

「物事に拘るのは良いことだが、執着してはならぬ。両手がふさがっていては、新しいものを手にできんではないか。新しいものを得るには、古いものを捨てねばならぬ。儂は、そうやってきた。太若丸も、そうであろう?」

 殿は、そうかもしれない。

 吾も、己の意思で村を離れたので、土地に対する執着は薄い。

 しかし、他の侍は違うだろう。

 古いことわりに、その身を任せたほうが楽なのだ。

「心配いらん、尾張よりも良い生活ができるようにしてやる」

 それで、彼らが喜べばよいが………………

 その不満が爆発する事件が起きた。

 磯野員昌いそのかずまさが、殿の意向に従わず、高野山に出奔してしまった。

 員昌は、もともと浅井氏の家臣である。

 元亀元(一五七〇)年の野村合戦(姉川の戦い)では奮戦するも、居城佐和山城を攻撃され、織田に降伏。

 以後は、信長の配下に入り、近江高島郡を拝領。

 甥御である信澄の養父にあてがうなど、かなりの信は得ていた ―― はじめは柴田勝家に養父を任せていたが、員昌が織田の配下に入ったあとは、彼が信澄の養父となった。

 が、急な出奔である。

 みな、一様に訝った。

 げ、原因は単純………………というか、至極当然。

 殿が、員昌から高島郡をとりあげ、信澄に与えようとしたからだ。

「他の新しい土地をやるとゆうたのだがな………………」

 確かに養父なのだから、ゆくゆく家督は信澄に譲られる。

 信澄は、織田家連枝衆では、当主信忠を除き、次男信意(信雄)、三男信孝、実弟信包に次ぐ地位。

 しかも、十兵衛の養女を妻に迎えている。

 殿は意外に、信忠よりも、信澄のほうを頼りにしているところがある。

 その養父として隠居しても、悠悠自適であろう。

 が、員昌にも実子がいる。

 これに磯野家を継がせたい、高島郡を残したいと思っても当然である。

 だが、殿の意向には逆らえず、高野山に逃げるしかなかったのである。

 結局、高島郡は信澄のものになったのだが………………
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