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第四章「偏愛の城」
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「一時は、如何様になろかと気を揉みましたぞ。こちらでは、内府殿が危ういと専らの噂で」
「はははは、それはそれは気苦労をおかけ申した」
殿は笑いながら、太若丸が注いだ酒をぐいっと飲み干した。
天下がしばし穏やかであった閏七月十二日、二条の新邸で、前関白近衛前久のご子息の加冠の儀が粛々と執り行われた。
以前から是非にという話はあったのだが、殿上人の元服は宮中で行うのが慣習であり、元来公家というのは慣例を破るのを嫌う、此度もそれに従うのが良かろうと、信長は断っていた。
何より、金がかかってしょうがない。
名門藤原北家の嫡流で、五摂家(近衛家、一条家、九条家、鷹司家、二条家)筆頭格の家柄であるが、当世では他の公家同様、信長の援助なしには生活もままならない。
恥を忍んで信長に頼るしかないのだが、
『加冠の儀に、いったい幾らかかると思っておるのだ? 儀式だけではすまないのだぞ、祝儀として幾ら出ていくのやら………………』
と、殿は渋っていた。
殿は、一見見境なくお金を使っているようだが、意外に吝嗇である。
己の興味のないことに、銭を使いたくないのが本音である。
それでも、前久の頼みである ―― 公家でありながら、誰とも関係なく気さくに話をする奇特な人である。
己の元服時に、十二代将軍義晴から一字を貰い、晴継と名乗ったほど、武家との関りも深い。
その一方で、十五代義昭とは仲が悪い。
将軍職を巡って競っていた足利義栄に、先にこの地位を与えたため、義昭に根を持たれ、前関白二条晴良と図られて都を追放され、関白の職も解かれた。
信長と義昭が敵対し、逆に義昭が都落ちしたことで、ようやく京に戻ることができた。
お互いに鷹狩りが好きということもあって、親睦を深めている。
殿も、朝廷の一件や他の大名との折衝には、よくよく頼りにしているし、前久も信長のお陰で京に戻れ、なおかつ不自由ない暮らしができているので、よくよく尽くしている。
そんな前久からの願い出なので断り切れず、あとは世間体から見ても、これ以上公家衆の頼みを断るのも体裁が悪いと、これを了承した。
この日、前久の息子は、信長より一字を貰い、信基と名乗る。
この子も、父親とともにすることが多かったせいか、武家衆と親しく、信長の小姓たちと仲が良い。
加冠の儀が終わった後、先程より殿の小姓や近習たちと車座になって、酒を飲み飲み騒いでいる。
「あまり飲まれまするな」
と、父親の注意にも生返事で、公家衆には珍しく大口を開けて、がはがはと笑っていた。
「はははは、それはそれは気苦労をおかけ申した」
殿は笑いながら、太若丸が注いだ酒をぐいっと飲み干した。
天下がしばし穏やかであった閏七月十二日、二条の新邸で、前関白近衛前久のご子息の加冠の儀が粛々と執り行われた。
以前から是非にという話はあったのだが、殿上人の元服は宮中で行うのが慣習であり、元来公家というのは慣例を破るのを嫌う、此度もそれに従うのが良かろうと、信長は断っていた。
何より、金がかかってしょうがない。
名門藤原北家の嫡流で、五摂家(近衛家、一条家、九条家、鷹司家、二条家)筆頭格の家柄であるが、当世では他の公家同様、信長の援助なしには生活もままならない。
恥を忍んで信長に頼るしかないのだが、
『加冠の儀に、いったい幾らかかると思っておるのだ? 儀式だけではすまないのだぞ、祝儀として幾ら出ていくのやら………………』
と、殿は渋っていた。
殿は、一見見境なくお金を使っているようだが、意外に吝嗇である。
己の興味のないことに、銭を使いたくないのが本音である。
それでも、前久の頼みである ―― 公家でありながら、誰とも関係なく気さくに話をする奇特な人である。
己の元服時に、十二代将軍義晴から一字を貰い、晴継と名乗ったほど、武家との関りも深い。
その一方で、十五代義昭とは仲が悪い。
将軍職を巡って競っていた足利義栄に、先にこの地位を与えたため、義昭に根を持たれ、前関白二条晴良と図られて都を追放され、関白の職も解かれた。
信長と義昭が敵対し、逆に義昭が都落ちしたことで、ようやく京に戻ることができた。
お互いに鷹狩りが好きということもあって、親睦を深めている。
殿も、朝廷の一件や他の大名との折衝には、よくよく頼りにしているし、前久も信長のお陰で京に戻れ、なおかつ不自由ない暮らしができているので、よくよく尽くしている。
そんな前久からの願い出なので断り切れず、あとは世間体から見ても、これ以上公家衆の頼みを断るのも体裁が悪いと、これを了承した。
この日、前久の息子は、信長より一字を貰い、信基と名乗る。
この子も、父親とともにすることが多かったせいか、武家衆と親しく、信長の小姓たちと仲が良い。
加冠の儀が終わった後、先程より殿の小姓や近習たちと車座になって、酒を飲み飲み騒いでいる。
「あまり飲まれまするな」
と、父親の注意にも生返事で、公家衆には珍しく大口を開けて、がはがはと笑っていた。
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