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第三章「寵愛の帳」
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だが、単純に断っては朝廷の面子を潰すと、殿が推挙された者の官位を願ったそうだ。
帝は、快くこれを許された。
これにより、松井有閑は宮内卿法印に、武井夕庵は二位法印に任じられた。
羽柴秀吉は筑前守を、簗田広正は別喜姓と右近の官位を賜った。
秀吉の喜んだ顔が目に浮かぶ。
さらに、塙直政は原田姓を、丹羽長秀は惟住姓を頂戴した。
そして明智光秀には、惟任姓が与えられ、日向守に任じられた。
別喜、原田、惟住、惟任は、九州の名族大神氏の流れを組む一族の名前である。
なぜ朝廷は、鎮西の氏族の名を下賜したのか?
殿も、なぜ本地よりも遠い一族の名を、有力な家臣たちに与えたのか?
「いや、これは十兵衛が望んだことだ」
と、殿は帝より拝領した杯で、早速酒を飲みながら言った。
「儂もよくは分からんが、惟任は十兵衛の一族とか………………」
十兵衛が申すには、明智氏の祖は、明智頼重であるらしい。
美濃の名門土岐氏の支族である。
大江山の酒呑童子退治で有名な源頼光の子孫源光衡が美濃国土岐郡に土着し、土岐氏を名乗った。
土岐氏は、鎌倉幕府の有力御家人であったらしいが、足利尊氏に従って得宗家(北条氏)を滅ぼし、土岐貞頼が美濃国の守護に就いた。
その孫が頼重であり、明智城城主であった叔父の土岐頼兼の養子となり、明智姓を名乗ったのが、土岐明智氏のはじまり………………つまり、十兵衛の先祖らしい。
ちなみに、土岐頼芸が、松波新九郎こと斎藤道三から追放を受け、美濃国守護としての土岐氏は滅亡する。
頼兼には実子光行があったが、これは早世したため、幼少であった孫の光房が頼重の家臣として仕えることとなる。
この光行の母が、大神氏の娘であったらしく、惟任性を名乗っていたとか……………
「これより西の支配を目指すならば、この姓が有力に利くだろうと十兵衛が申すのでな………………」
それならば他のやつらも九州名門の名にしようと、所司代の村井貞勝を通して公家衆に折衝させていたようだ。
それで出てきた名が、これらである。
確か……………鎮西の大神氏は、かなり古い世から存在する名門であったはず。
当代では、大友氏の配下に入ったが、それでも九州では顔がきく。
その名を使って九州一帯に睨みを利かせることもできるし、鎮西の武将をまとめ、中国の覇者毛利氏を牽制することもできよう。
十兵衛の考えそうなことである。
が………………、思うところもある。
大神氏の祖である大神比義は、宇佐神宮の創始者であり、その子孫が代々宮司を務めた。
平安期に宇佐氏に神職を受け渡したが、宇佐神宮との繋がりは強い。
宇佐神宮の御祭神は八幡大神(誉田別尊:応神天皇)、云わずと知れた戦の神様である。
鎌倉殿が信奉した神様であり、源氏の守護神でもある。
明智氏の祖を遡ると、源頼光に行き当たる。
頼光は、清和源氏である。
すなわち十兵衛は、名門清和源氏の血と、その武家の守護神を祀った神職の名を継ぐことになる………………
そこまでして、権威付けする意味は………………まあ、十兵衛が本当に明智氏の血を継いでいればの話であるが。
ともかく、十兵衛は惟任日向守光秀となるが、太若丸にしてみれば十兵衛は十兵衛なので、むかしの名で呼んでいる。
殿も、改めることもないようだ。
普通は、官職で呼ぶことが多いのだが、〝十兵衛〟は〝十兵衛〟だし、〝秀吉〟は〝猿〟のままである。
帝は、快くこれを許された。
これにより、松井有閑は宮内卿法印に、武井夕庵は二位法印に任じられた。
羽柴秀吉は筑前守を、簗田広正は別喜姓と右近の官位を賜った。
秀吉の喜んだ顔が目に浮かぶ。
さらに、塙直政は原田姓を、丹羽長秀は惟住姓を頂戴した。
そして明智光秀には、惟任姓が与えられ、日向守に任じられた。
別喜、原田、惟住、惟任は、九州の名族大神氏の流れを組む一族の名前である。
なぜ朝廷は、鎮西の氏族の名を下賜したのか?
殿も、なぜ本地よりも遠い一族の名を、有力な家臣たちに与えたのか?
「いや、これは十兵衛が望んだことだ」
と、殿は帝より拝領した杯で、早速酒を飲みながら言った。
「儂もよくは分からんが、惟任は十兵衛の一族とか………………」
十兵衛が申すには、明智氏の祖は、明智頼重であるらしい。
美濃の名門土岐氏の支族である。
大江山の酒呑童子退治で有名な源頼光の子孫源光衡が美濃国土岐郡に土着し、土岐氏を名乗った。
土岐氏は、鎌倉幕府の有力御家人であったらしいが、足利尊氏に従って得宗家(北条氏)を滅ぼし、土岐貞頼が美濃国の守護に就いた。
その孫が頼重であり、明智城城主であった叔父の土岐頼兼の養子となり、明智姓を名乗ったのが、土岐明智氏のはじまり………………つまり、十兵衛の先祖らしい。
ちなみに、土岐頼芸が、松波新九郎こと斎藤道三から追放を受け、美濃国守護としての土岐氏は滅亡する。
頼兼には実子光行があったが、これは早世したため、幼少であった孫の光房が頼重の家臣として仕えることとなる。
この光行の母が、大神氏の娘であったらしく、惟任性を名乗っていたとか……………
「これより西の支配を目指すならば、この姓が有力に利くだろうと十兵衛が申すのでな………………」
それならば他のやつらも九州名門の名にしようと、所司代の村井貞勝を通して公家衆に折衝させていたようだ。
それで出てきた名が、これらである。
確か……………鎮西の大神氏は、かなり古い世から存在する名門であったはず。
当代では、大友氏の配下に入ったが、それでも九州では顔がきく。
その名を使って九州一帯に睨みを利かせることもできるし、鎮西の武将をまとめ、中国の覇者毛利氏を牽制することもできよう。
十兵衛の考えそうなことである。
が………………、思うところもある。
大神氏の祖である大神比義は、宇佐神宮の創始者であり、その子孫が代々宮司を務めた。
平安期に宇佐氏に神職を受け渡したが、宇佐神宮との繋がりは強い。
宇佐神宮の御祭神は八幡大神(誉田別尊:応神天皇)、云わずと知れた戦の神様である。
鎌倉殿が信奉した神様であり、源氏の守護神でもある。
明智氏の祖を遡ると、源頼光に行き当たる。
頼光は、清和源氏である。
すなわち十兵衛は、名門清和源氏の血と、その武家の守護神を祀った神職の名を継ぐことになる………………
そこまでして、権威付けする意味は………………まあ、十兵衛が本当に明智氏の血を継いでいればの話であるが。
ともかく、十兵衛は惟任日向守光秀となるが、太若丸にしてみれば十兵衛は十兵衛なので、むかしの名で呼んでいる。
殿も、改めることもないようだ。
普通は、官職で呼ぶことが多いのだが、〝十兵衛〟は〝十兵衛〟だし、〝秀吉〟は〝猿〟のままである。
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