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第三章「寵愛の帳」
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「しかし、武田の小倅もやるではないか。奇妙よりはできるかな?」
織田側の柵はまだ破られていないが、それでも戦況宜しからずとの報せが届く。
徳川側は、すでに二の柵まで破られ、現在三の柵を必死で死守。
宝川では、後ろを取られまいと交戦中。
先程までの楽勝の雰囲気はどこへやら。
本陣も、大慌てである。
殿も、かなり焦れているようだ。
「やはり……、儂にはあわぬ策であったかな? もう良い! 儂が出る!」
と、馬に飛び乗ろうとした。
「内蔵助、又右衛門、ついてまいれ!」
側近の佐々内蔵助や前田又右衛門は前線だ。
他の馬廻りも伝番として出ている。
先輩の小姓たちは、ただあわあわしているだけ。
こんなとき、十兵衛ならば………………
―― 辛抱!
辛抱!
あの笑顔が頭に浮かんだ。
太若丸が慌てて止めに入った。
「放せ、太若丸! 放さんと、切るぞ!」
いましばらく、いましばらくお待ちくださいと宥めていると、伝番が飛び込んできた。
長篠に向かった忠次が、鷲ヶ巣の奇襲に成功したとのこと。
間髪入れずもう一人が駆け寄ってきて、
「牛久保勢が武田勢を打ち破り、宝川を死守」
「うむ、でかした!」
後ろの心配がなくなった。
さらに、
「鷲ヶ巣から逃げてきた武田勢が、本隊と合流せんとその後方へ………………」
勝頼の本陣の後ろに、鷲ヶ巣に残っていた部隊が迫っているとのこと。
鷲ヶ巣を忠次が抑えたということは、武田にとって背中を取られたと同じ。
しかも、逃げてきた別働隊が後ろから迫ってくる。
目の前には、織田・徳川の本隊………………
武田にすれば、前門の虎、後門の狼である。
形成が逆転した。
もし、武田側にこの状況を転じる方法があるとすれば………………
「儂なら、攻めるがな」
後ろから味方が押し寄せてくるなら、前に出るしかない………………
それとも、退却するか………………
これを勝負時と見たのだろう、武田の左右がともに猛攻を駆けてくる。
だが、中央の動きが鈍い。
「太若丸、頃合いじゃろう!」
太若丸は頷いた。
「狙うは武田の本陣! 打って出ろ!」
いまかいまかと待ちかねていた武将たちが、中央部を目指して一斉に飛び出していく。
後ろからは押し出され、前からは突撃を受ける。
あっという間に、武田の中央が崩れる。
統制が崩れ、我も我もと逃げていく。
―― 未の刻(午後二時)
志多羅一帯に、不気味な音が響き渡る。
武田のほら貝 ―― 退却である。
まるで魔物のうめき声のような恐ろしい音に、武田の兵たちも驚き、慌てているようだ。
我先にと逃げる者、呆然と立ち尽くす者、これまでと腹を切る者………………
勝頼は僅かな手勢を連れて退却。
殿は追撃を指示。
武田方は勝頼を守るために、山県昌景、真田信綱、土屋昌次、馬場信春らが殿を務めたが、織田・徳川の追撃に、とうとう力尽きた。
武田側の死者、一万とも………………
一方の織田・徳川の戦死者は数えるほど………………
中盤かなり際どい場面もあったが、蓋を開ければ、これほど一方的な戦も初めてである。
「太若丸、やはり〝辛抱〟であるな」
と、信長は笑っていた。
かくして長篠・設楽原の戦いは終わる。
織田側の柵はまだ破られていないが、それでも戦況宜しからずとの報せが届く。
徳川側は、すでに二の柵まで破られ、現在三の柵を必死で死守。
宝川では、後ろを取られまいと交戦中。
先程までの楽勝の雰囲気はどこへやら。
本陣も、大慌てである。
殿も、かなり焦れているようだ。
「やはり……、儂にはあわぬ策であったかな? もう良い! 儂が出る!」
と、馬に飛び乗ろうとした。
「内蔵助、又右衛門、ついてまいれ!」
側近の佐々内蔵助や前田又右衛門は前線だ。
他の馬廻りも伝番として出ている。
先輩の小姓たちは、ただあわあわしているだけ。
こんなとき、十兵衛ならば………………
―― 辛抱!
辛抱!
あの笑顔が頭に浮かんだ。
太若丸が慌てて止めに入った。
「放せ、太若丸! 放さんと、切るぞ!」
いましばらく、いましばらくお待ちくださいと宥めていると、伝番が飛び込んできた。
長篠に向かった忠次が、鷲ヶ巣の奇襲に成功したとのこと。
間髪入れずもう一人が駆け寄ってきて、
「牛久保勢が武田勢を打ち破り、宝川を死守」
「うむ、でかした!」
後ろの心配がなくなった。
さらに、
「鷲ヶ巣から逃げてきた武田勢が、本隊と合流せんとその後方へ………………」
勝頼の本陣の後ろに、鷲ヶ巣に残っていた部隊が迫っているとのこと。
鷲ヶ巣を忠次が抑えたということは、武田にとって背中を取られたと同じ。
しかも、逃げてきた別働隊が後ろから迫ってくる。
目の前には、織田・徳川の本隊………………
武田にすれば、前門の虎、後門の狼である。
形成が逆転した。
もし、武田側にこの状況を転じる方法があるとすれば………………
「儂なら、攻めるがな」
後ろから味方が押し寄せてくるなら、前に出るしかない………………
それとも、退却するか………………
これを勝負時と見たのだろう、武田の左右がともに猛攻を駆けてくる。
だが、中央の動きが鈍い。
「太若丸、頃合いじゃろう!」
太若丸は頷いた。
「狙うは武田の本陣! 打って出ろ!」
いまかいまかと待ちかねていた武将たちが、中央部を目指して一斉に飛び出していく。
後ろからは押し出され、前からは突撃を受ける。
あっという間に、武田の中央が崩れる。
統制が崩れ、我も我もと逃げていく。
―― 未の刻(午後二時)
志多羅一帯に、不気味な音が響き渡る。
武田のほら貝 ―― 退却である。
まるで魔物のうめき声のような恐ろしい音に、武田の兵たちも驚き、慌てているようだ。
我先にと逃げる者、呆然と立ち尽くす者、これまでと腹を切る者………………
勝頼は僅かな手勢を連れて退却。
殿は追撃を指示。
武田方は勝頼を守るために、山県昌景、真田信綱、土屋昌次、馬場信春らが殿を務めたが、織田・徳川の追撃に、とうとう力尽きた。
武田側の死者、一万とも………………
一方の織田・徳川の戦死者は数えるほど………………
中盤かなり際どい場面もあったが、蓋を開ければ、これほど一方的な戦も初めてである。
「太若丸、やはり〝辛抱〟であるな」
と、信長は笑っていた。
かくして長篠・設楽原の戦いは終わる。
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