本能寺燃ゆ

hiro75

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第三章「寵愛の帳」

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 ―― 二十一日辰の刻(午前八時)

 徳川側から、わっと喚声があがった。

 大久保忠世が仕掛けたようだ。

 どんと太鼓が鳴り響く ―― 対抗するように武田の最左翼が出てきた。

 しばらくして………………

 ―― ばりばりばりばり!

 雷鳴が響き渡る ―― 銃声である。

「はじまったか!」、弾正山に戻った殿は目を凝らして眼下を見つめる、「どうなっておる?」

 大きな銃声のあと、ぱんぱん、ぱん、ぱんぱぱん………………と、散発的に聞こえる。

 しばらく間を置いて………………再び雷鳴が轟く。

 音だけ聞けば、ある程度うまくいっているようだが………………

 物見の話だと、大久保忠世の足軽勢が陣地を出て、武田側を挑発。

 これに対抗して、武田の山県勢が出てきたようだ。

 山県勢は、五十間(約百メートル)辺りまで進み出て、鉄砲を仕掛けてきた。

 大久保も、これに対抗するように鉄砲を放つ。

 山県勢は、竹を束ねた盾を〝うし〟という車に乗せ、身を隠しながら、じりじりと間合いを縮めていき、頃合いを見て、昌景が『突っ込め!』と令したらしい。

 長槍や刀を持った連中が川を渡り、柵へと取り付こうとしたが、忠世側は、これを狙い撃ちしたそうだ。

 その後、何度か突撃を繰り返したそうだが、突破口を開けずに、一度退却したらしい。

 緒戦は徳川方の勝ちである。

 これを機に、武田勢は次々と兵を繰り出していく。

 武田信廉、小幡信貞、武田信豊、馬場信春の部隊が順次攻めてくるが、織田・徳川方はこれを鉄砲で防ぐ。

 特に小幡勢は、赤揃えの甲冑を身に纏い、騎馬で突撃してきた。

 水の張った田を避け、あぜ道を駆けてくるが、連日の雨で足場が悪いようだ。

 馬の動きも鈍く、鉄砲衆の恰好の餌食となった。

 他の武田勢も同じで、束になって突撃してくるが、頑強な防御陣と絶え間ない鉄砲の前に、ばたばたと倒れていった。

「これは……、思ったよりも楽勝だな」

 殿は、武田勢が思った以上に術中にはまったので、拍子抜けしたように床几に座り、濁酒を飲み始めてしまった。

 殿だけでなく、近臣や小姓たちも最早勝ち戦の気分であった。

 だが、戻ってきた馬廻り衆の言葉に、緊張が走った。

「申し上げます、山県勢、川を渡り、徳川勢を攻撃、これを大久保方が阻止せんと交戦中」
 正面からの攻撃が無理と悟った山県昌景は、左手に迂回して渡河し、防御柵がない徳川勢の右脇腹を狙ったようだ。

 大久保忠世とその弟忠佐ただすけが、懸命にこれを防いでいるという。

 馬廻り衆や小姓たちからはどよめきが起こったが、殿は至って冷静だった。

 だが次の報せに、流石の殿も驚きの声をあげた。

「馬場勢が丸山を急襲! 佐久間様、これを阻止せんと交戦中」

「何と!」

 丸山を見ると、信盛の兵と馬場信春の兵がぶつかっている。

 どうも、信盛のほうが押されているようだ。

「右衛門尉に死んでも丸山を死守せよと伝えよ」

 伝番が駈けていくが…………………

 その前に、丸山に『花菱』の旗が翻った。

「右衛門尉め、また退いたか!」

 丸山を取ったことで、武田勢が勢いづく。

「徳川殿、一の柵を破られました」

 武田方は、倒れた味方を盾にしたりして、徐々に間合いを詰め、川にはその死体を投げ込んで足場を造り、渡ったようだ。

 柵までくると、激しい銃撃をうけながらも、鉤縄をひっかけて柵を引き倒し、突撃してきたとのこと。

 正面の一の柵を破られ、現在二の柵で攻防中らしい。

 徳川方を見ると、なるほど慌てふためいている。

「侍従殿に、何としても二の柵を守られたしと」

 すぐさま母衣衆が飛んでいく。

 本陣も、先程までの余裕はすでにない。

 状況は一進一退 ―― むしろ、武田方のほうが優勢か?

 流石は武田というべきか………………

「徳川のほうが、守りが甘いか……、奇妙を助太刀させるか……」

 伝番を出そうとしたところに、信忠の伝番がやってきた。

「申し上げます、武田勢の一部が、牛久保目指して進軍中、牛久保も兵を向け、宝川付近で交戦中」

「何? 後ろを取られたと?」

 牛久保城は、織田・徳川軍の後詰の城。

 こちらが武田の後ろを取ろうと忠次を送ったと同じように、武田側もこちらの後ろを取るために動いていたようだ。

「我が主、これに助太刀のため、兵を動かすと」

「馬鹿もの! 奇妙に兵を動かすなと言え! 後詰のおぬしが動けば、徳川が動揺しようが! 牛久保は治部大輔(今川氏真)殿がおる、任せておけ!」

 信忠の伝番は、慌てて駆けていった。

 氏真も、此度の戦で牛久保城に入っていた。

「あのうつけが! 止めるやつもおらんのか? まったく、あいつの傍に信用できるやつを置いておかんといかんな」

 戦の状況だけでなく、息子の面倒も見なければならない。

 殿も大変である。
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