本能寺燃ゆ

hiro75

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第三章「寵愛の帳」

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 明けて二十一日、志多羅は小ぶりの雨模様………………

 これでは鉄砲が使えぬと心配していたが、次第に雨もあがり、山際がうっすらと白ばみはじめたころには、すっかりと上がっていた。

 ―― 天は、殿に味方した!

 日の光が志多羅一帯を照らしつける。

 雨で濡れた木々の葉がきらきらと輝いて美しい。

 対岸に、花畑が点々と見える。

 真っ赤なそれは、まるで血だまりのようだ。

 いや、血ではない………………

 甲冑………………?

 ―― 武田の赤揃えだ!

 前面に武田勢が陣を展開している。

 どうやら、忠次の奇襲前に、武田勢が動いたようだ。

「こちらの策を読まれたか?」

 と、信長は少々面食らっていた。

 物見が続々と戻ってきて、武田勢の陣容を報せる。

 連吾川の対岸 ―― 小高い丘に左右に陣形を開いている。

 武田お得意の鶴翼の陣だ。

 北側から、馬場信春ばばのぶはる穴山信君あなやまのぶただ梅雪ばいせつ)、真田信綱さなだのぶつな土屋昌続つちやまさつぐ一条信龍いちじょうのぶたつ、武田信豊のぶとよ小幡信貞おばたのぶさだ、武田信廉のぶかど内藤昌豊ないとうまさとよ原昌胤はらまさたね山県昌景やまがたまさかげ………………後方に、勝頼が本陣を置いているようだ。

 その間二十町(約二・二キロ) ―― 武田とまともに正面からぶつかるのは、これが初めてである。

 忠次の鷲ヶ巣奇襲で、武田を志多羅に及びよせる。

 目の前には、すでに織田・徳川が待ち構えている。

 後ろには忠次。

 逃げ場のない武田勢は、一か八かの勝負にでるか、退却するかを選ばねばならぬ。

 攻めてくれば鉄砲で防ぎ、逃げれば追いかける。

 そう考えていたのだが、武田自ら乗り込んできた。

「子猿のやつ、儂に勝てると踏んだか? 安く見られたものだ」、ふんと鼻で笑った、「母衣衆、各陣に伝えよ、こちらから無闇に戦を仕掛けるな、向こうの挑発にも乗るな、武田が攻めてくれば、よくよく敵をひきつけ、頃合いで鉄砲を放て! よいな、儂の命があるまで、むやみに堀や柵から出るなと!」

 母衣衆は、すぐさま山を駆け下りていった。

「儂は、侍従殿のもとへいく」

 殿は弾正山を下り、家康の陣取る高松城へと向かった。

「武田の素早い動きに、慌てふためいておるかもしれんからな。少々様子を見にいこう」

 とは表向きで、家康が逃げないように威圧するつもりであろう。

 高松山に出向くと、徳川方の幕内はいたって落ち着いていた。

 家康は床几に腰かけ、左手の親指の爪を噛みながら、何事か考え事をしている。

 信長が入っていくと、慌てて口から手を離した。

「侍従殿、武田に読まれましたな」

「面目ございません」

 鷲ヶ巣山への奇襲は忠次が考え出した策 ―― それを読まれたか、それとも内通があったか?

「よもやそのような不届き者がおるとは思いませんが、念のため、そのようなやつを調べさせております」

「いや、いまさら詮なきこと。それよりも、この状況を如何にするか?」

 攻めるか?

 退くか?

 正直、殿にしてみれば、此度はあくまでも徳川と武田の戦 ―― 織田は援軍。

 武田とは何れは雌雄を決するときが来ようが、今でなくてもよい。

 この防御陣がどれほど役立つか見たいものだが、とりあえず三河から追い返せば、此度はそれで良い。

 徳川への面目もたつ。

 あとは、家康次第といったところだ。

 さて、徳川殿は………………

 家康は、癖なのだろうか、また親指の爪を噛みながら考えている。

 しばらく考えたのち、

「我らが先鋒で攻めまする」

 まあ、三河を守るために、それしか答えはないのだが………………

 殿は笑顔で頷いた。
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