本能寺燃ゆ

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第三章「寵愛の帳」

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 篠橋に立て籠もっていた一向門徒は、城を明け渡し、長島へと入った。

 長島は、七月半ばに戦が始まってから、すでに数百人規模で籠城を続けていた。

 援軍なき籠城戦は、〝死〟を意味する。

 急ぎ籠ったので、兵糧も乏しい。

 そのうえ此度は、海上を船で囲まれたため、海からの援軍や援助は期待できない。

 城内の兵糧は、日に日に減っていく。

 そこに、篠橋から数百人と逃げてくる。

 日を追うごとに餓死者が増えるのは必定で、信長もそのつもりで兵糧攻めにし、ついには半数以上の死者を出した。

 これ以上は絶え切れぬと、九月二十九日、長島の門徒たちは城内より退却を始めた。

「一兵たりとも逃がすな! 一向門徒であれば、女子どもも容赦はするな!」

 殿は、舟で逃げようとする門徒たちを見逃さなかった。

 多数の舟が逃げるなか、安宅船から鉄砲を仕掛ける。

 悲鳴とともに、舟から人がぼろぼろと零れ落ちていく。

 男、女、年寄りも、子どもも関係はない。

 川は一瞬にして門徒の血と肉で埋め尽くされ、流れていく。

 赤子を抱きかかえた女が助けを求めて織田の船にしがみついても、兵は無情にも額を打ち抜く……………母はそのまま沈み、赤子は泣き叫びながら流されていく。

 何とか川岸にたどり着いた者も、待ち構えた兵に切り殺される。

「切れ! 切れ! 切って切って、切り捲れ!」

 信忠は騎乗のまま川に入って、刀を振るう。

 信長も血が騒ぐのだろう、

「ゆくぞ! 続け!」

 と、鐙を蹴った。

 それを信広が止めた。

「何をする、大隅守!」

「殿、何やら様子がおかしゅうございます」

 信広は一帯を見まわす。

 川面は真っ赤に染まり、門徒衆の遺体で溢れかえっている。

 すっと鼻を鳴らして………………

「一旦、兵をお退きください」

「何を申すか! このような………………」、殿も何かに気が付いたようだ、「奇妙、退け! 全軍、一旦退却!」

 退却のほら貝が鳴る。

「退却だと?」、信忠が驚く、「父上は見誤ったか? なぜ退却などと………………」

 刹那、川の中や芦の岸辺から、真っ裸の兵が躍り出て、織田の兵を襲いははじめた。

 まただ!

 また伏兵が隠れていたのだ。

 相手は褌一丁で、抜身の刀だけを振り回し、流れていく死体を踏みつけるようにして突き進んでくる。

 その姿は、まるで鬼だ!

 突然の反撃に、織田の先鋒が崩れる。

「退け! 退け! 奇妙、退かぬか!」

 息子に向かって叫ぶが、信忠の馬は泥濘に足を取られたのか、もたもたしている。

 その間にも、門徒衆が間を詰めてくる。

「殿、お退きくだされ! 馬廻り組、殿をお守りせよ! 連枝衆、勘九郎君をお守りせよ!」

 信広はそう命令を下すと、単騎で駆けだす。

 それに続く、織田一門………………

 信広は信忠を助けるため、門徒らの前に立ちはだかる。

「遠からんものは音に聞け! 近くは寄って目にも見よ! 我こそは、尾張国織田弾正忠信秀が嫡男、大隅守信広! 見事この首を討ち取って手柄とせよ!」

 門徒たちの視線が信広に向いている間に、信忠はなんとか逃げるだすことができた。

 一旦、安全な場所まで逃げた殿と信忠であったが、次々に不幸な報せが入ってくる。

「申し上げます、津田半左衛門つだはんざえもん(織田秀成)様、討ち死に! 織田右衛門尉(織田信次)様、討ち死に!」

「織田市之助(信成)様、戦死! 織田又八郎(信直のぶなお)様、戦死!」

「続いて、平手五郎衛門ひらてごろうえもん(久秀)殿、戦死! 山田左衛門佐さえもんのすけ(勝盛)殿、戦死!」

 そして、最後に………………

「織田大隅守様、討ち死に!」

 それを聞いた信忠は、「ワシのせいじゃ!」と泣き出した。

 信広は、大木兼能おおきかねよしと一騎打ちになり、首を取られたとのこと。

「泣くな、奇妙! 武人が戦場で泣くなぞ、恥ぞ! 大隅守殿は、その死をもって、おぬしに武士とは何たるかと教えたのじゃ、誉じゃ、笑え!」、信長は高らかに笑う、一頻り笑った後、ほっと深いため息を吐いて、「左衛門尉、そなたの嫁は、大隅守の娘であったな」

 信広に男児はなく、ひとり娘は信長の養女となって丹羽長秀に嫁いだ。

 嫡男鍋丸なべまる長重ながしげ)を生んでいる。

「娘に伝えてやってくれ、見事な最期であった、まさに武人の誉、織田の誇りである、と。あと……、妻子ともども可愛がってやれ」

 長秀は、「御意に」と頭を下げた。

 その夜、殿は珍しくひとりで休まれた。

 太若丸は傍に控えていたが、寝れないのか、殿は何度も寝返りを打たれ、時折ぎりぎりと歯軋りの音とともに、うっと息が詰まるような唸り声が聞こえた………………

 ―― 織田連枝衆筆頭 織田大隅守信広

    長男でありながも、側室の子として生まれたために、陰に生きなければならなかった男………………ここに散る………………

 多くの一門を亡くした殿の怒りは相当なもので、残った屋長島と中江を幾重にも柵で囲んで逃げられないようにし、火を放った。

 死者の数、男女合わせて二万とも………………

 弟信興のぶおきの弔い合戦として始まった戦であったが、一度目は氏家ト全うじいえとぜんらを失った。

 二度目は、帰り際の伏兵によって、林秀貞の嫡男通政を亡くした。

 そして三度目、平手久秀らの有能な家臣だけでなく、多くの織田一門が亡くなった ―― 戦死者は千人に達する。

 信長が総力をあげ、丸四年をかけた長島の戦いは、一向宗だけでなく、織田側もかなりの痛手を被った。

 天正二(一五七四)年、かくして暮れる………………
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