本能寺燃ゆ

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第三章「寵愛の帳」

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 六月十四日、殿と嫡男信忠は、三河の徳川家康を助けるべく出陣。

 十七日は、家康の家臣酒井左衛門尉忠次さかいさえもんのじょうただつぐが守る吉田城へと入った。

 武田勝頼は、遠江の高天神城を囲んでいる。

 守るは、小笠原与八郎氏助おがさわらよはちろううじすけである。

 だが、今切りの渡しを渡ろうとしたところに、高天神城が落ちたとの報せが入り、やむなく吉田へと引き返した。

 家康は、援軍の礼にと急遽浜松から吉田城へと駆け付けた。

「此度は、宰相(参議の唐名:信長はこの三月に就任している)殿自らの御出馬、あわせて嫡男勘九郎君のご助力、ありがたき幸せにございます」

 家康は、信長親子を前にして、家臣ともども恭しく頭を下げた。

「頭をあげられい、侍従(家康)殿。礼など無用じゃ」

 殿の言葉に、家康は神妙に頭を上げた。

 後ろに控えていた太若丸は、家康という男を初めて見たが、これがなかなか良い意味で趣ある顔立ちである。

 目も、鼻も、口も、全体的に大きい。

 顎も張り出して、まるで獅子のようだ。

 体つきもがっしりしていて、なるほど武将とはこういうものだろう。

 殿から聞いていたが、いい意味で生真面目で、無骨もの、悪い意味で頑固者だとか。

 それが顔に表れている。

 然もありなん、三河の土豪松平広忠まつだいらひろただの嫡男であったが、周囲に織田、今川と強国があったために、今日は織田に、明日は今川にと、小さいころから人質人生を歩むことになり、我慢の生活を強いられたのだ。

 人質とあれば、いつ首を刎ねられてもおかしくはない。

 今日明日死ぬかもしれない身ならば、享楽に生きようと思うものだが、そこは持って生まれた真面目さか、それとも三河武士特有の頑固さか、腐ることなく人質生活を全うし、三河・遠江二国の主へと成り上がったのだから、人生とは面白いものだと殿は笑っていた ―― 儂ならば、毎日のように濁酒を飲み、舞いや茶の湯に溺れて、今頃首を切られて死んでおったかもしれんな、と………………

 その家康とは、今川から独立した際に手を結んだ。

 いわゆる『清州同盟』である。

 家康(当時は元康もとやすと名乗った)が、当時殿の居城であった清州城を訪れ、対等な関係で同盟を結んだとか。

 表向きは恙無く執り行われたと聞いているが、裏ではかなり揉めたようだ。

 信長と家康ではなく、織田の家臣と徳川の家臣が、である。

 尾張と三河はお隣同士 ―― お互いに侵し、侵される間柄。

 特に、信長の父信秀と家康の祖父松平清康きよやす、父広忠が激しい勢力争いに興じる。

 いくら子の代になったからといって、積年の恨みが尽きるわけもなく、家康が清州に赴くまでに揉め、清州城に来てもまた揉めた。

 織田の家臣からすれば、今川の配下から独立できたのは誰のおかげぞ、ならば織田の下につけ………………である。

 松平の家臣は、織田の下に付くなど死んでもごめん被る、此度は対等な立場と聞いて来た、もしそれを反故にし、我らを下に置くならば、一戦交えようぞ………………と、強気に出たらしい。

 信長と家康は、黙って家臣たちの揉め事を見ていたが、松平の家臣たちが、

『これ以上は話にならん! 戦場でお会いいたそう!』

 と、勢いよく立ちあがったのを見て、殿は笑い出したらしい。

『まったく、松平殿の家臣たちの言うとおりだ』

 信長が、己の家臣たちの非礼を詫び、その場は何とか収まり、同盟がなったらしい。

 あとで、家康ひとりが信長のもとに来て、己の家臣たちの無礼を謝ったとか。

『いやいや、気になされるな。それよりも、松平殿は良き家臣を持たれて羨ましい』

 と、殿は一笑された………………まったく、三河武士とは面倒くさい連中だと、そんな話を太若丸に聞かせてくれた。
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