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第三章「寵愛の帳」
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―― 八月二十四日
殿は、昨夜起こった一件に不機嫌であった。
ひとりの婦女が、井戸に身を投げ亡くなったらしい。
敵の辱めを受けぬため、自ら死を選ぶというのはよくある話だが、事が織田の足軽連中が絡んでいるとあって、信長は立腹した。
足軽連中が、乱取り目的である屋敷に乗り込んだらしい。
そこに、ひとりの女が隠れていた。
見目形から、朝倉一門か、家臣の娘であろう。
この娘を捕まえ、玩具にしていたようだ。
それが、隙を見つけて井戸に身を投げたらしい。
しかも書置きの一首を残し、それが巷に広がっていた。
ありをれば よしなき雲も たちかかる
いざや入りなむ 山のはの月
(生きていれば嫌なことがふりかかる いっそのこと身投げしようか
雲がかからないうちに 山際に沈む月のように)
多くの人の涙を誘い、織田は残虐だと広まったので、殿は至極機嫌が悪かった。
足軽連中にすれば、乱取り目的で戦に加わっているといっても過言ではない。
武将の中には口先では規制するが、敵側に物理的・心理的損害を与える重要な作戦のひとつでもあるので、これを無視することも多い。
信長は、軍律が乱れると、これを厳しく取り締まる。
乱取りをするときは、自ら指示を出す。
それを勝手にやって、よくない噂まで流された。
「娘は丁重に葬ってやれ。係わった連中は、全員首を刎ねろ! 全軍に、儂の指示があるまで勝手に乱取りをするなと伝えよ!」
すぐさま佐々内蔵助、前田又左兵衛が飛び出していった。
それと入れ替わるように、藤吉郎が入ってきた。
「良き報せでござりまする。朝倉式部大輔(朝倉景鏡)殿が見参、朝倉左衛門督(朝倉義景)殿の首をお持ちになりました。殿にお目どおりを願っております」
「まことか? 通せ」
急に機嫌がよくなった。
景鏡が挨拶をしようとしたが、
「挨拶など良い、首をこれに!」
と、急かした。
義景の首が晒された。
信長はにやりと笑った。
「間違いない。式部大輔殿、ご苦労であった。願い通り、所領は安堵しよう」
「恐悦至極にございます」
景鏡は頭をさげた。
後々聞いた話だと、藤吉郎が景鏡などの一門衆に対し、義景公を見限り、殿に忠孝を尽くせ、さすれば所領は安堵すると内々に話を通したらしい。
景鏡は、義景の従弟にあたり、一門衆の筆頭格ではあったが、もとより主君を仰ぐというよりは、自ら主君となりたがった節もあり、義景に対しては腹に一物があったのだろう。
本庄であった大野郡に誘い込み、賢松寺を囲んで、自害を迫った。
義景も、一門衆に裏切られては………………と思ったのだろう。
忠臣鳥居景近、高橋景業二人に介錯を任せ、自刃したらしい。
この二人も、主君のあとを追って腹を切ったとか。
義景の首は、この後京へ送られ、獄門に晒された。
義景の子息や愛妾、近親者は丹羽長秀に捕らえられ、信長の命で首を刎ねられた。
八月二十六日、信長は朝倉の旧臣前波吉継を守護代として残し、虎御前山に帰陣した。
前波吉継は、もともと朝倉家臣であったが、織田に内通し、此度の越前侵攻の手引きをした ―― 守護代は、その褒美である。
ここに、主家斯波家を一掃し、越前に京に比する都を築き、足利将軍家から度々頼りにされた北陸の雄朝倉宗家が潰える。
七転八倒
四十年中
無他無自
四大本空
(七転八倒の大変な四十年間だったが、最後に分かったのは、
他人も自分もない、この世は実体のない、ただ空なのだ)
かねて身の かかるべしとも 思はずば
いまの命の 惜しくもあるらむ
(前もって覚悟をしていたこの身である こんな状況になろうと思っていれば
この命 惜しくもなかろう)
―― 朝倉宗家十一代当主義景の辞世の句である。
殿と帰路についた太若丸は、いまだ煙が燻ぶる一乗谷を見下ろしながら思った。
もう二度と、この地には戻ってこないだろうと………………
殿は、昨夜起こった一件に不機嫌であった。
ひとりの婦女が、井戸に身を投げ亡くなったらしい。
敵の辱めを受けぬため、自ら死を選ぶというのはよくある話だが、事が織田の足軽連中が絡んでいるとあって、信長は立腹した。
足軽連中が、乱取り目的である屋敷に乗り込んだらしい。
そこに、ひとりの女が隠れていた。
見目形から、朝倉一門か、家臣の娘であろう。
この娘を捕まえ、玩具にしていたようだ。
それが、隙を見つけて井戸に身を投げたらしい。
しかも書置きの一首を残し、それが巷に広がっていた。
ありをれば よしなき雲も たちかかる
いざや入りなむ 山のはの月
(生きていれば嫌なことがふりかかる いっそのこと身投げしようか
雲がかからないうちに 山際に沈む月のように)
多くの人の涙を誘い、織田は残虐だと広まったので、殿は至極機嫌が悪かった。
足軽連中にすれば、乱取り目的で戦に加わっているといっても過言ではない。
武将の中には口先では規制するが、敵側に物理的・心理的損害を与える重要な作戦のひとつでもあるので、これを無視することも多い。
信長は、軍律が乱れると、これを厳しく取り締まる。
乱取りをするときは、自ら指示を出す。
それを勝手にやって、よくない噂まで流された。
「娘は丁重に葬ってやれ。係わった連中は、全員首を刎ねろ! 全軍に、儂の指示があるまで勝手に乱取りをするなと伝えよ!」
すぐさま佐々内蔵助、前田又左兵衛が飛び出していった。
それと入れ替わるように、藤吉郎が入ってきた。
「良き報せでござりまする。朝倉式部大輔(朝倉景鏡)殿が見参、朝倉左衛門督(朝倉義景)殿の首をお持ちになりました。殿にお目どおりを願っております」
「まことか? 通せ」
急に機嫌がよくなった。
景鏡が挨拶をしようとしたが、
「挨拶など良い、首をこれに!」
と、急かした。
義景の首が晒された。
信長はにやりと笑った。
「間違いない。式部大輔殿、ご苦労であった。願い通り、所領は安堵しよう」
「恐悦至極にございます」
景鏡は頭をさげた。
後々聞いた話だと、藤吉郎が景鏡などの一門衆に対し、義景公を見限り、殿に忠孝を尽くせ、さすれば所領は安堵すると内々に話を通したらしい。
景鏡は、義景の従弟にあたり、一門衆の筆頭格ではあったが、もとより主君を仰ぐというよりは、自ら主君となりたがった節もあり、義景に対しては腹に一物があったのだろう。
本庄であった大野郡に誘い込み、賢松寺を囲んで、自害を迫った。
義景も、一門衆に裏切られては………………と思ったのだろう。
忠臣鳥居景近、高橋景業二人に介錯を任せ、自刃したらしい。
この二人も、主君のあとを追って腹を切ったとか。
義景の首は、この後京へ送られ、獄門に晒された。
義景の子息や愛妾、近親者は丹羽長秀に捕らえられ、信長の命で首を刎ねられた。
八月二十六日、信長は朝倉の旧臣前波吉継を守護代として残し、虎御前山に帰陣した。
前波吉継は、もともと朝倉家臣であったが、織田に内通し、此度の越前侵攻の手引きをした ―― 守護代は、その褒美である。
ここに、主家斯波家を一掃し、越前に京に比する都を築き、足利将軍家から度々頼りにされた北陸の雄朝倉宗家が潰える。
七転八倒
四十年中
無他無自
四大本空
(七転八倒の大変な四十年間だったが、最後に分かったのは、
他人も自分もない、この世は実体のない、ただ空なのだ)
かねて身の かかるべしとも 思はずば
いまの命の 惜しくもあるらむ
(前もって覚悟をしていたこの身である こんな状況になろうと思っていれば
この命 惜しくもなかろう)
―― 朝倉宗家十一代当主義景の辞世の句である。
殿と帰路についた太若丸は、いまだ煙が燻ぶる一乗谷を見下ろしながら思った。
もう二度と、この地には戻ってこないだろうと………………
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