本能寺燃ゆ

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第三章「寵愛の帳」

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 翌日は打って変わり、雨も上がり、風もなく、昇ってくる日があまりにも眩しい。

 その日を背負って帰ってくる馬上の殿は、まるで大日如来のようであり、意気揚々と虎御前山の陣屋に戻ってきた。

 殿を守る馬廻り組の連中も、風雨と戦闘でぼろぼろだが、その顔は幾分満足気である。

 一方で、勝家たちは相当疲れているようだった。

 信長は、甲冑をとき床几に腰かけ、太若丸に肩を揉ませながら、

「さて、本日の戦の手柄は………………」

 控えた家臣や馬廻りをぐるりと見まわし、

「この儂じゃな!」

 と、にやり。

「御意に!」

 との家臣たちの同意に、高らかに笑った。

「大嶽・中島・丁野の兵も、今頃朝倉の陣営に戻っておるころじゃろう。いかに愚鈍な大将でも、この状況を見れば、何れに勝敗があるか、分かるであろう」

「早々に越前に退きあげますかな?」

「いやいや、殿の御威光を恐れ、軍門に下りましょうぞ」

「まこと! まこと!」

 と、家臣たちは疲れを見せながらも喜ぶ。

「朝倉が退けば、このまま小谷を攻め落とせますな」

 佐久間信盛が口にすると、

「その後は朝倉を、ゆっくりと成敗いたしましょうぞ!」

 と、柴田勝家も声をあげ、

「そうぞ! そうぞ!」

 と、他の家臣たちも同意して、笑った。

 ただ、信長だけは笑っていない。

 殿は、太若丸に肩を揉まれながら、何事か考えているようだ。

 それに気が付いた馬廻り組黒母衣衆くろほろのしゅう筆頭格佐々内蔵助さっさくらのすけが、

「殿には、何事かおありですか?」

 と、口を開いた。

 大将を守る侍、大将の傍に侍る武士 ―― いわゆる親衛隊を馬廻りという。

 母衣とは、鎧の背中につけた大きな布である ―― 馬で駆けるとこれが風をはらみ、大きく膨らむ ―― もともとは弓矢や投石などから身を守るためのものであったが、戦場であまりにも目立つので、逆に狙われる羽目になる。

 だが、敵から狙われるということは武将としては名誉であり、こぞって派手な母衣をつけるようになり、なかには竹や籐を組んでわざと大きく膨らませた母衣をつけるものまで出てきた。

 戦場で、敵味方すぐに見分けがつくので、大将の使番(伝令)が使うことを許されるなど、近習の証、精鋭部隊の証、つまり名誉の証となる。

 信長は、馬廻りのなかで、特に武勇に優れた、お気に入りの侍たちにこれをつけさせた。

 それをさらに、黒と赤の二組にわけ、黒母衣衆・赤母衣衆と名乗らせる。

 ちなみに赤母衣衆の筆頭格は、前田又左衛門まえだまたざえもんである。

「うむ……、このまま朝倉に追い打ちをかけるか否か?」

 殿の呟きに、家臣たちがどよめく。

「いや、追い打ちは………………」

 と、慎重派の信盛だけでなく、珍しく勝家も渋っている。

「逃げる尻尾を追い回す程度なら宜しいでしょうが、あまり深追いなされては………………」

 家臣たちの頭には、先年の越前攻めのことがあるらしい。

 将軍義昭の上洛命令を無視する朝倉義景に対し、これを征伐する名目で織田軍団が出撃したが、このとき浅井長政の離反にあい、挟撃を受け、信長は命からがら京に逃れることになった。

 聞いたところ、あの時は十兵衛や藤吉郎が殿しんがりを務め、又左衛門や内蔵助たちが鉄砲でこれを助けるなどして、漸くにして逃げることができたらしい。

 みな、あの一件が頭に浮かんだのであろう。

 ―― 長政を小谷城に残して、越前へ深入りするのは凶である!

「まずは小谷を叩き、その次に越前を攻めるのが順序かと」

 信盛の言葉に、一同は頷いた。

「うむ……」

 と、殿は生返事で、あらぬ方を見ている。

 こういうときは、その返答に満足していない証だ。

 それを察した又左衛門が、

「殿は、このまま逃げる朝倉を攻めたほうが良いとお考えですか?」

 と、尋ねた。

 それには答えず、

「太若丸、そちは如何に考える?」

 と、急にこちらに振られた。
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