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第三章「寵愛の帳」
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上機嫌の信長は、奇妙を元服させると言い出し、家臣たちだけでなく、当の奇妙さえも慌てさせた。
本当なら昨年の具足はじめのときに、同じくして元服させてもよかったものを、信長はなぜかそれを許さなかった。
「跡取りの嫡男が、元服した初陣で討ち死にしては、世間に笑われるであろう」
奇妙の武将としての力量を見ていたという。
そういう割に、信長は嫡男を可愛がり、戦場においてもずっと傍に置いている。
自らは、『儂が出る!』と、常に先陣を切って駆けていこうとするが、奇妙には大将としての心構えをよくよく説き、焦って前に出ようとすると、
『奇妙、出てはいかん! 控えろ!』
と、厳しく注意する。
己のことは棚においてと思うのだが………………
奇妙の元服は恙無く行われ、名を勘九郎信重(かんくろう・のぶしげ)と改めた。
「奇妙も、これで立派な武将となったわけだが……」、祝いの席でも、信長は珍しく機嫌がよかった、「お前も、そろそろと女を取らんとな。誰か良き相手はおらぬか?」
大きな戦を終え、祝い事も重なって、家臣たちも楽しげに濁酒を飲む。
「織田の跡取りでございますからな、そんじょそこらの娘ではいかんでしょう」
「あそこの娘はどうじゃ?」
「いや、あの娘は………………」
「おぬしの娘は別嬪であろう?」
「いやいや、拙者の娘では荷が重い」
などと、跡取り息子の嫁取りで賑わう。
太若丸は、信長の後ろに控えていたが、隣の信重を見ると、どうにも居心地が悪そうだ。
それはそうであろう。
己の嫁取りの話なのに、自らの本意で相手を決められないのだから ―― それもまた、この世の常………………
ああだ、こうだ、あいつだ、こいつだと、一同が話しているなか、
「松姫は、如何いたしましょうや?」
と、不意に声があがった ―― 佐久間信盛である。
「松姫?」
信長の杯が止まる。
場も、ぴたりと静まり返った。
「甲斐の松姫とは、先の武田の侵略行為で、反故になったではないか?」
柴田勝家が強い口調で言う。
「確かに。ですが、再び松姫との婚儀を約すれば、武田と同盟を結ぶことができようかと」
「今更、武田と結んでも、なんの得があろうか? 今度は、我らが武田を蹴散らしてくれようぞ! それとも右衛門尉殿は、先の戦で臆したか?」
勝家の言葉に、一同が笑う。
「戯言を! 拙者は現状を鑑みて話をしておる!」
天下の情勢は信長に有利だが、いまだ越前・北近江に朝倉・浅井氏、摂津・河内には石山本願寺、紀伊には根来衆、今は織田に味方している武将も、事によれば反旗を翻すかもしれない。
この状況下で武田が再び西侵してくれば、我らは不利になろう。
そうならないためにも、武田とは同盟関係にあったほうがいい………………というのが、信盛の考えである。
これに賛同する者もいる。
「武田は、我らとの約束を反故にして、徳川領だけでなく、我らが領内にも攻め入ったのでござるぞ! そのような者、信用できようか!」
勝家の意見に頷く者も多い。
では、肝心の信長はどうかと見れば………………その話に興味はなさそうだ。
「松姫か……、となれば、奇妙の正室になるか………………、女であれば幾らでも抱いてもよいが、正室となると考えねばな………………、まあ、それはおいおい。その前に、側室でもよいので、女を抱け! これも、武将の嗜みのひとつじゃ! 女も知らんで、大将になれようか! 佐渡守、どこぞより、適当な女を連れてこい」
宿老秀貞は畏まってこれを受けた。
「奇妙、今宵は楽しめ」
と、信長は笑う。
一方の信重は、顔を真っ赤にしている。
「まあ、そのうち女では物足りなくなろうがな」
もっともであると、太若丸は思った。
適当な娘とはいっても、若殿の夜伽を務めるのである。
その辺の百姓の娘や銭で買える女ではいくまい ―― いや、銭で男を相手にする女の方が、初めての男性には良き相手だろうが………………
秀貞は、元亀元(一五七〇)年に浅井・朝倉方と激しく交戦し、華々しく散った森三左衛門可成の遠縁の娘を連れてきた。
なかなかの器量よしとのこと。
まあ、吾には叶わぬと思うが………………などと己惚れてみる。
本当なら昨年の具足はじめのときに、同じくして元服させてもよかったものを、信長はなぜかそれを許さなかった。
「跡取りの嫡男が、元服した初陣で討ち死にしては、世間に笑われるであろう」
奇妙の武将としての力量を見ていたという。
そういう割に、信長は嫡男を可愛がり、戦場においてもずっと傍に置いている。
自らは、『儂が出る!』と、常に先陣を切って駆けていこうとするが、奇妙には大将としての心構えをよくよく説き、焦って前に出ようとすると、
『奇妙、出てはいかん! 控えろ!』
と、厳しく注意する。
己のことは棚においてと思うのだが………………
奇妙の元服は恙無く行われ、名を勘九郎信重(かんくろう・のぶしげ)と改めた。
「奇妙も、これで立派な武将となったわけだが……」、祝いの席でも、信長は珍しく機嫌がよかった、「お前も、そろそろと女を取らんとな。誰か良き相手はおらぬか?」
大きな戦を終え、祝い事も重なって、家臣たちも楽しげに濁酒を飲む。
「織田の跡取りでございますからな、そんじょそこらの娘ではいかんでしょう」
「あそこの娘はどうじゃ?」
「いや、あの娘は………………」
「おぬしの娘は別嬪であろう?」
「いやいや、拙者の娘では荷が重い」
などと、跡取り息子の嫁取りで賑わう。
太若丸は、信長の後ろに控えていたが、隣の信重を見ると、どうにも居心地が悪そうだ。
それはそうであろう。
己の嫁取りの話なのに、自らの本意で相手を決められないのだから ―― それもまた、この世の常………………
ああだ、こうだ、あいつだ、こいつだと、一同が話しているなか、
「松姫は、如何いたしましょうや?」
と、不意に声があがった ―― 佐久間信盛である。
「松姫?」
信長の杯が止まる。
場も、ぴたりと静まり返った。
「甲斐の松姫とは、先の武田の侵略行為で、反故になったではないか?」
柴田勝家が強い口調で言う。
「確かに。ですが、再び松姫との婚儀を約すれば、武田と同盟を結ぶことができようかと」
「今更、武田と結んでも、なんの得があろうか? 今度は、我らが武田を蹴散らしてくれようぞ! それとも右衛門尉殿は、先の戦で臆したか?」
勝家の言葉に、一同が笑う。
「戯言を! 拙者は現状を鑑みて話をしておる!」
天下の情勢は信長に有利だが、いまだ越前・北近江に朝倉・浅井氏、摂津・河内には石山本願寺、紀伊には根来衆、今は織田に味方している武将も、事によれば反旗を翻すかもしれない。
この状況下で武田が再び西侵してくれば、我らは不利になろう。
そうならないためにも、武田とは同盟関係にあったほうがいい………………というのが、信盛の考えである。
これに賛同する者もいる。
「武田は、我らとの約束を反故にして、徳川領だけでなく、我らが領内にも攻め入ったのでござるぞ! そのような者、信用できようか!」
勝家の意見に頷く者も多い。
では、肝心の信長はどうかと見れば………………その話に興味はなさそうだ。
「松姫か……、となれば、奇妙の正室になるか………………、女であれば幾らでも抱いてもよいが、正室となると考えねばな………………、まあ、それはおいおい。その前に、側室でもよいので、女を抱け! これも、武将の嗜みのひとつじゃ! 女も知らんで、大将になれようか! 佐渡守、どこぞより、適当な女を連れてこい」
宿老秀貞は畏まってこれを受けた。
「奇妙、今宵は楽しめ」
と、信長は笑う。
一方の信重は、顔を真っ赤にしている。
「まあ、そのうち女では物足りなくなろうがな」
もっともであると、太若丸は思った。
適当な娘とはいっても、若殿の夜伽を務めるのである。
その辺の百姓の娘や銭で買える女ではいくまい ―― いや、銭で男を相手にする女の方が、初めての男性には良き相手だろうが………………
秀貞は、元亀元(一五七〇)年に浅井・朝倉方と激しく交戦し、華々しく散った森三左衛門可成の遠縁の娘を連れてきた。
なかなかの器量よしとのこと。
まあ、吾には叶わぬと思うが………………などと己惚れてみる。
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