本能寺燃ゆ

hiro75

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第三章「寵愛の帳」

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 上機嫌の信長は、奇妙を元服させると言い出し、家臣たちだけでなく、当の奇妙さえも慌てさせた。

 本当なら昨年の具足はじめのときに、同じくして元服させてもよかったものを、信長はなぜかそれを許さなかった。

「跡取りの嫡男が、元服した初陣で討ち死にしては、世間に笑われるであろう」

 奇妙の武将としての力量を見ていたという。

 そういう割に、信長は嫡男を可愛がり、戦場においてもずっと傍に置いている。

 自らは、『儂が出る!』と、常に先陣を切って駆けていこうとするが、奇妙には大将としての心構えをよくよく説き、焦って前に出ようとすると、

『奇妙、出てはいかん! 控えろ!』

 と、厳しく注意する。

 己のことは棚においてと思うのだが………………

 奇妙の元服は恙無く行われ、名を勘九郎信重(かんくろう・のぶしげ)と改めた。

「奇妙も、これで立派な武将となったわけだが……」、祝いの席でも、信長は珍しく機嫌がよかった、「お前も、そろそろと女を取らんとな。誰か良き相手はおらぬか?」

 大きな戦を終え、祝い事も重なって、家臣たちも楽しげに濁酒を飲む。

「織田の跡取りでございますからな、そんじょそこらの娘ではいかんでしょう」

「あそこの娘はどうじゃ?」

「いや、あの娘は………………」

「おぬしの娘は別嬪であろう?」

「いやいや、拙者の娘では荷が重い」

 などと、跡取り息子の嫁取りで賑わう。

 太若丸は、信長の後ろに控えていたが、隣の信重を見ると、どうにも居心地が悪そうだ。

 それはそうであろう。

 己の嫁取りの話なのに、自らの本意で相手を決められないのだから ―― それもまた、この世の常………………

 ああだ、こうだ、あいつだ、こいつだと、一同が話しているなか、

「松姫は、如何いたしましょうや?」

 と、不意に声があがった ―― 佐久間信盛である。

「松姫?」

 信長の杯が止まる。

 場も、ぴたりと静まり返った。

「甲斐の松姫とは、先の武田の侵略行為で、反故になったではないか?」

 柴田勝家が強い口調で言う。
「確かに。ですが、再び松姫との婚儀を約すれば、武田と同盟を結ぶことができようかと」

「今更、武田と結んでも、なんの得があろうか? 今度は、我らが武田を蹴散らしてくれようぞ! それとも右衛門尉殿は、先の戦で臆したか?」

 勝家の言葉に、一同が笑う。

「戯言を! 拙者は現状を鑑みて話をしておる!」

 天下の情勢は信長に有利だが、いまだ越前・北近江に朝倉・浅井氏、摂津・河内には石山本願寺、紀伊には根来衆、今は織田に味方している武将も、事によれば反旗を翻すかもしれない。

 この状況下で武田が再び西侵してくれば、我らは不利になろう。

 そうならないためにも、武田とは同盟関係にあったほうがいい………………というのが、信盛の考えである。

 これに賛同する者もいる。

「武田は、我らとの約束を反故にして、徳川領だけでなく、我らが領内にも攻め入ったのでござるぞ! そのような者、信用できようか!」

 勝家の意見に頷く者も多い。

 では、肝心の信長はどうかと見れば………………その話に興味はなさそうだ。

「松姫か……、となれば、奇妙の正室になるか………………、女であれば幾らでも抱いてもよいが、正室となると考えねばな………………、まあ、それはおいおい。その前に、側室でもよいので、女を抱け! これも、武将の嗜みのひとつじゃ! 女も知らんで、大将になれようか! 佐渡守、どこぞより、適当な女を連れてこい」

 宿老秀貞は畏まってこれを受けた。

「奇妙、今宵は楽しめ」

 と、信長は笑う。

 一方の信重は、顔を真っ赤にしている。

「まあ、そのうち女では物足りなくなろうがな」

 もっともであると、太若丸は思った。

 適当な娘とはいっても、若殿の夜伽を務めるのである。

 その辺の百姓の娘や銭で買える女ではいくまい ―― いや、銭で男を相手にする女の方が、初めての男性には良き相手だろうが………………

 秀貞は、元亀元(一五七〇)年に浅井・朝倉方と激しく交戦し、華々しく散った森三左衛門可成もりさんざえもんよしなりの遠縁の娘を連れてきた。

 なかなかの器量よしとのこと。

 まあ、吾には叶わぬと思うが………………などと己惚れてみる。
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