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第三章「寵愛の帳」
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さて、義昭の処遇である。
腹を切らせるか?
それとも、打ち首にするか?
後々に遺恨を残さぬよう、嫡男ともども処刑すべしと厳しい処断を望んだのは、勝家や十兵衛である。
仮にも将軍宗家の血を引く名家である、これを潰すには畏れ多い、将軍職を解き、これを追放するだけにとどめるべきと、秀貞や信盛である。
殿の御決断のままに………………と、どちらつかずの藤吉郎や長秀である。
最終的に信長は、嫡男を人質として預かり、秀吉を護衛につけて、河内の若江へと押し込めた。
将軍義昭が最後に頼りとした真木島城は、代々将軍家の管領で細川京兆家の直系である細川昭元に任されるというのは、あまりにも皮肉である。
残党である磯貝久次と渡辺昌は、比叡山の一乗寺に籠っていたが、軍門に下り退去。
久次は紀伊へと逃げたが捕まえられ、首を刎ねられた。
さらに幕府側であった山本対馬守尚治の籠る静原城を十兵衛に包囲させた。
都では、この度の合戦で人々に迷惑をかけたと、地子銭などの税を免除し、村井吉兵衛貞勝を京都所司代に任じ、その管理を任せた。
町衆は、ありがたいことだと、喜んだという。
その信長は、二十六日京を立った………………
ここに至っても、信長は義昭の命は取らず、京からの追放だけで済ませた。
しかも、将軍職も、位も、そのままである。
信長は、「恨みに恩で報いるのじゃ」と笑ったが、そこは二度と信長に盾突かないという自信があったのだろう。
しかし、彼が「あれは蛇だ」と例えたように、義昭は諦めが悪い。
義昭というよりも、足利将軍家の血の呪縛ようなものである。
天下をとった平氏や将軍となった源氏たちが、自らの命というものに執着せず、潔く散ることもまた人生とした一方で、足利一族は限界まで己の命を燃やし、好機を掴もうと草を食んでも生き抜く。
そこは、公家の血を引いた平氏や源氏と違い、己の土地を守るため戦い抜いた関東武士の血が騒ぐのだろう。
創始尊氏が何度命の危険に晒されても蘇り、十三代義輝が敵に囲まれてもなお、何本もの刀を畳に突き立て、それで戦い果てたように、義昭もまた、しぶとく生き残る。
将軍が生き残っているのだから、幕府は存在していると思われがちだが、すでに執政機能はない。
将軍家に、もはや武将同士の争いを治める力も、和睦の仲立ちをする力もない。
いまや飾りにもならない。
存在意義すらない。
天下を掌握しているのは誰か?
誰の目にも明らかであった。
返す刀で信長は、近江の高島に出陣。
木戸城と田中城を、陸側と湖上側から攻め、これを落とした。
木戸城と田中城は、十兵衛に与えられた。
そのまま高島にあった浅井・朝倉氏の領地を攻め、その一帯を焼き払った。
同じころ、藤孝に命じて淀城を攻める。
淀城は、三好三人衆の一人である#岩成友通_いわなりともみち__#が立て籠っていた。
これに対し、藤吉郎が対抗していた。
藤吉郎は、城内にいた番頭大炊頭、諏訪飛騨守に内通、両人から織田方に付くとの返答を得ていた。
それを知らず、友通が城内より飛び出し、藤英らと交戦、奮戦すさまじかったが、最後は藤孝の家来下津権内に打ち取られた。
この首は、すぐさま高島にいた信長のもとに届けられ、「無類の手柄」と称賛され、信長が着用していた羽織を授けられたらしい。
この時点で、三好長逸、三好宋渭は行き方知れず(長逸は戦死とも、宋渭は病死とも伝わるが詳細は不明)、最後の友通も討たれ、三好三人衆の抵抗も潰える。
世も、元亀から天正へと改められ、八月四日、幕府を倒し、京周辺の抵抗勢力を次々と服従させた信長は、意気揚々と岐阜に帰り着いた。
改元は、もともと昨年辺りから朝廷より幕府に内々の話があった。
昨今の戦乱・天災等を鑑み、〝元亀〟から〝天正〟としたい。
しかし将軍義昭は、これを良しとはせず、首を縦に振らなかった。
もともと前々の元号〝永禄〟から〝元亀〟に改めたのは、義昭が将軍職に就任した記念として、義昭から願い出たことである。
このとき、信長は改元には反対したが、義昭が朝廷側に銭を積んで、押し切ったかたちになる。
義昭含めた幕府からすれば、自らの象徴である〝元亀〟を改元することは、幕府を否定すると考えられても当然であり、これを嫌がった。
信長は、この改元問題も先の意見書に取り上げ、非難している。
先延ばしされた改元も、義昭の都からの追放によって成し遂げられ、これからも、いまや誰に天下の趨勢があるか、明らかであった。
腹を切らせるか?
それとも、打ち首にするか?
後々に遺恨を残さぬよう、嫡男ともども処刑すべしと厳しい処断を望んだのは、勝家や十兵衛である。
仮にも将軍宗家の血を引く名家である、これを潰すには畏れ多い、将軍職を解き、これを追放するだけにとどめるべきと、秀貞や信盛である。
殿の御決断のままに………………と、どちらつかずの藤吉郎や長秀である。
最終的に信長は、嫡男を人質として預かり、秀吉を護衛につけて、河内の若江へと押し込めた。
将軍義昭が最後に頼りとした真木島城は、代々将軍家の管領で細川京兆家の直系である細川昭元に任されるというのは、あまりにも皮肉である。
残党である磯貝久次と渡辺昌は、比叡山の一乗寺に籠っていたが、軍門に下り退去。
久次は紀伊へと逃げたが捕まえられ、首を刎ねられた。
さらに幕府側であった山本対馬守尚治の籠る静原城を十兵衛に包囲させた。
都では、この度の合戦で人々に迷惑をかけたと、地子銭などの税を免除し、村井吉兵衛貞勝を京都所司代に任じ、その管理を任せた。
町衆は、ありがたいことだと、喜んだという。
その信長は、二十六日京を立った………………
ここに至っても、信長は義昭の命は取らず、京からの追放だけで済ませた。
しかも、将軍職も、位も、そのままである。
信長は、「恨みに恩で報いるのじゃ」と笑ったが、そこは二度と信長に盾突かないという自信があったのだろう。
しかし、彼が「あれは蛇だ」と例えたように、義昭は諦めが悪い。
義昭というよりも、足利将軍家の血の呪縛ようなものである。
天下をとった平氏や将軍となった源氏たちが、自らの命というものに執着せず、潔く散ることもまた人生とした一方で、足利一族は限界まで己の命を燃やし、好機を掴もうと草を食んでも生き抜く。
そこは、公家の血を引いた平氏や源氏と違い、己の土地を守るため戦い抜いた関東武士の血が騒ぐのだろう。
創始尊氏が何度命の危険に晒されても蘇り、十三代義輝が敵に囲まれてもなお、何本もの刀を畳に突き立て、それで戦い果てたように、義昭もまた、しぶとく生き残る。
将軍が生き残っているのだから、幕府は存在していると思われがちだが、すでに執政機能はない。
将軍家に、もはや武将同士の争いを治める力も、和睦の仲立ちをする力もない。
いまや飾りにもならない。
存在意義すらない。
天下を掌握しているのは誰か?
誰の目にも明らかであった。
返す刀で信長は、近江の高島に出陣。
木戸城と田中城を、陸側と湖上側から攻め、これを落とした。
木戸城と田中城は、十兵衛に与えられた。
そのまま高島にあった浅井・朝倉氏の領地を攻め、その一帯を焼き払った。
同じころ、藤孝に命じて淀城を攻める。
淀城は、三好三人衆の一人である#岩成友通_いわなりともみち__#が立て籠っていた。
これに対し、藤吉郎が対抗していた。
藤吉郎は、城内にいた番頭大炊頭、諏訪飛騨守に内通、両人から織田方に付くとの返答を得ていた。
それを知らず、友通が城内より飛び出し、藤英らと交戦、奮戦すさまじかったが、最後は藤孝の家来下津権内に打ち取られた。
この首は、すぐさま高島にいた信長のもとに届けられ、「無類の手柄」と称賛され、信長が着用していた羽織を授けられたらしい。
この時点で、三好長逸、三好宋渭は行き方知れず(長逸は戦死とも、宋渭は病死とも伝わるが詳細は不明)、最後の友通も討たれ、三好三人衆の抵抗も潰える。
世も、元亀から天正へと改められ、八月四日、幕府を倒し、京周辺の抵抗勢力を次々と服従させた信長は、意気揚々と岐阜に帰り着いた。
改元は、もともと昨年辺りから朝廷より幕府に内々の話があった。
昨今の戦乱・天災等を鑑み、〝元亀〟から〝天正〟としたい。
しかし将軍義昭は、これを良しとはせず、首を縦に振らなかった。
もともと前々の元号〝永禄〟から〝元亀〟に改めたのは、義昭が将軍職に就任した記念として、義昭から願い出たことである。
このとき、信長は改元には反対したが、義昭が朝廷側に銭を積んで、押し切ったかたちになる。
義昭含めた幕府からすれば、自らの象徴である〝元亀〟を改元することは、幕府を否定すると考えられても当然であり、これを嫌がった。
信長は、この改元問題も先の意見書に取り上げ、非難している。
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