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第三章「寵愛の帳」
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将軍になるには、帝から宣下を受けねばならない。
宣下を受けるには、ある程度家柄も必要か、と。
「儂の家柄では無理か?」
織田家の正確な家柄を知らないので、それには答えなかったが、鎌倉殿も、室町殿も、源氏の血筋ですと答えた。
「夕庵、織田の本姓は如何に?」
「藤原氏でございます」
右筆のひとりである武井夕庵が答える。
「藤原氏では、将軍にはなれぬか?」
鎌倉右大臣(源実朝)以降、藤原公が二代続けて将軍となっておりますので、殿も宣下は受けられるかと存じます。
「藤原将軍とは聞かぬな」
「確か、頼経公、頼嗣公であられたかと」
と、夕庵。
実朝が、兄頼家の遺児である公暁に討たれると、武家の棟梁たる征夷大将軍の血は三代で絶える。
幕府は、得宗家たる北条氏が執政を抑えた。
鎌倉武士団のなかで、頭ひとつ抜け出た北条氏であるが、彼らは他の一族との軋轢を避けるため、自らは執権の座にとどまり、あくまで将軍を補佐する立場として、実権を行使した。
頼朝公の血筋が絶えたため、他の者を将軍に立てなければならない。
だが、貴種の血をひく武士などそうそういないし、いたらいたで、北条氏の敵となるかもしれない。
源氏に代わる高貴な血筋で、操りやすい、名目だけの家柄は………………
白羽の矢が立ったのは、帝の息子を将軍とする奇策である。
実はこの策、実朝が存命のころから、子のいない彼の代わりに、次期将軍を親王とすることで、朝廷側と折衝が行われていた。
ある程度まで決まっていたのだが、実朝が倒れて、一時期幕府が混乱したことから、朝廷側が不信を持ち、親王の東下りは取りやめとなり、急遽九条頼経が下向する。
頼経は、源頼朝の妹坊門姫の孫なので、鎌倉将軍家とは血縁関係がある。
朝廷と鎌倉の関係を揺るがす承久の乱もあったのが、頼経は無事宣下を受け、四代将軍となる。
いわゆる、摂家将軍である。
このあと、息子の頼嗣も将軍職に就くが、この二人、得宗家に使われるだけ使われ、最後は京へと追い返されるという、何とも悲惨な最期を迎える。
その後得宗家は、御嵯峨天皇の息子宗尊親王を将軍に迎え、維康親王、久明親王、守邦親王と四代にわたって皇族将軍が続いた。
征夷大将軍は源氏しかなれないと世間では思われがちだが、たまたま鎌倉と室町の初代が源氏を名乗っていただけで、藤原でも、親王でもなれる。
もとをただせば、初代の征夷大将軍は坂上田村麻呂で、東の蝦夷を服従させる司令官という意味での令外官であり、武家の棟梁とはなんら関係はない。
平氏に代わって実権を握った頼朝が、「大将軍」という職名を欲しがったことから、朝廷が蝦夷を服従させた田村麻呂が就いていた征夷大将軍という官名が吉例となって、これを与えたのがはじまりらしい。
以後、それが武家の棟梁のような地位になっているだけのことである。
「ならば、将軍でなくても、天下を治められるということか?」
信長の問いに、別段支障なくと答えた。
福原殿は太政大臣として、得宗家は執権として、天下を平らかに治められました、天下を治めるのに職名など、聊かの要がございましょうか?
信長はにんまりと笑う。
「なるほど、将軍など、ただの飾りか。飾り物など、儂には興味ない………………」、しばし考えたあと、「夕庵、公方宛に書状を送れ!」
「はっ!」、夕庵が畏まる、「如何様な文面で?」
家臣や近習たちが、固唾を飲んで見守る。
「今後とも将軍を粗略に扱わぬ旨の誓紙と人質を使わすと、日乗(朝山日乗)、弥右衛門尉(島田秀満)、吉兵衛(貞勝)の三人を使者とし、急ぎ送れ!」
夕庵は、慌てて大広間を出ていく。
信長は、十兵衛を見て、
「儂は、義は通した。これを受けるか受けぬかは、将軍次第………………であろう?」
十兵衛もにやりと笑う。
「ならば殿、本性を平氏に改められては?」
「平氏とな?」
「藤原氏は、二代で将軍が途絶えました。良き先例ではございません」
「しかし、平氏は福原殿が、鎌倉殿に滅ぼされたのでは?」
秀貞が苦言を呈す。
「確かに、平氏は源氏に滅ぼされた。が、その源氏は平氏を本姓とする北条に乗っ取られ、北条は、源氏の足利に倒されました。ならば此度は、平氏である者が足利を討ち滅ぼすのが常道かと…………………」
「なるほど………………」
と、殿はしばし考えた後、一同を見まわし、
「これより儂の本姓は平氏である! 平氏である儂が足利を討ち滅ぼし、この世を平らかに治める! みなのもの、しかと心得よ!」
一同頭を下げ、合戦の仕度へと急いで出て行った。
十兵衛も出ていこうとしたが、殿に不意に呼び止められた。
「十兵衛、この太若丸、なかなか見込みがあるぞ。今後とも儂の傍に置くが、構わぬな」
十兵衛はちらっと視線を寄こしたが、すぐさま信長に笑顔で、
「御意に」
そのまま振り返ることなく出て行った。
宣下を受けるには、ある程度家柄も必要か、と。
「儂の家柄では無理か?」
織田家の正確な家柄を知らないので、それには答えなかったが、鎌倉殿も、室町殿も、源氏の血筋ですと答えた。
「夕庵、織田の本姓は如何に?」
「藤原氏でございます」
右筆のひとりである武井夕庵が答える。
「藤原氏では、将軍にはなれぬか?」
鎌倉右大臣(源実朝)以降、藤原公が二代続けて将軍となっておりますので、殿も宣下は受けられるかと存じます。
「藤原将軍とは聞かぬな」
「確か、頼経公、頼嗣公であられたかと」
と、夕庵。
実朝が、兄頼家の遺児である公暁に討たれると、武家の棟梁たる征夷大将軍の血は三代で絶える。
幕府は、得宗家たる北条氏が執政を抑えた。
鎌倉武士団のなかで、頭ひとつ抜け出た北条氏であるが、彼らは他の一族との軋轢を避けるため、自らは執権の座にとどまり、あくまで将軍を補佐する立場として、実権を行使した。
頼朝公の血筋が絶えたため、他の者を将軍に立てなければならない。
だが、貴種の血をひく武士などそうそういないし、いたらいたで、北条氏の敵となるかもしれない。
源氏に代わる高貴な血筋で、操りやすい、名目だけの家柄は………………
白羽の矢が立ったのは、帝の息子を将軍とする奇策である。
実はこの策、実朝が存命のころから、子のいない彼の代わりに、次期将軍を親王とすることで、朝廷側と折衝が行われていた。
ある程度まで決まっていたのだが、実朝が倒れて、一時期幕府が混乱したことから、朝廷側が不信を持ち、親王の東下りは取りやめとなり、急遽九条頼経が下向する。
頼経は、源頼朝の妹坊門姫の孫なので、鎌倉将軍家とは血縁関係がある。
朝廷と鎌倉の関係を揺るがす承久の乱もあったのが、頼経は無事宣下を受け、四代将軍となる。
いわゆる、摂家将軍である。
このあと、息子の頼嗣も将軍職に就くが、この二人、得宗家に使われるだけ使われ、最後は京へと追い返されるという、何とも悲惨な最期を迎える。
その後得宗家は、御嵯峨天皇の息子宗尊親王を将軍に迎え、維康親王、久明親王、守邦親王と四代にわたって皇族将軍が続いた。
征夷大将軍は源氏しかなれないと世間では思われがちだが、たまたま鎌倉と室町の初代が源氏を名乗っていただけで、藤原でも、親王でもなれる。
もとをただせば、初代の征夷大将軍は坂上田村麻呂で、東の蝦夷を服従させる司令官という意味での令外官であり、武家の棟梁とはなんら関係はない。
平氏に代わって実権を握った頼朝が、「大将軍」という職名を欲しがったことから、朝廷が蝦夷を服従させた田村麻呂が就いていた征夷大将軍という官名が吉例となって、これを与えたのがはじまりらしい。
以後、それが武家の棟梁のような地位になっているだけのことである。
「ならば、将軍でなくても、天下を治められるということか?」
信長の問いに、別段支障なくと答えた。
福原殿は太政大臣として、得宗家は執権として、天下を平らかに治められました、天下を治めるのに職名など、聊かの要がございましょうか?
信長はにんまりと笑う。
「なるほど、将軍など、ただの飾りか。飾り物など、儂には興味ない………………」、しばし考えたあと、「夕庵、公方宛に書状を送れ!」
「はっ!」、夕庵が畏まる、「如何様な文面で?」
家臣や近習たちが、固唾を飲んで見守る。
「今後とも将軍を粗略に扱わぬ旨の誓紙と人質を使わすと、日乗(朝山日乗)、弥右衛門尉(島田秀満)、吉兵衛(貞勝)の三人を使者とし、急ぎ送れ!」
夕庵は、慌てて大広間を出ていく。
信長は、十兵衛を見て、
「儂は、義は通した。これを受けるか受けぬかは、将軍次第………………であろう?」
十兵衛もにやりと笑う。
「ならば殿、本性を平氏に改められては?」
「平氏とな?」
「藤原氏は、二代で将軍が途絶えました。良き先例ではございません」
「しかし、平氏は福原殿が、鎌倉殿に滅ぼされたのでは?」
秀貞が苦言を呈す。
「確かに、平氏は源氏に滅ぼされた。が、その源氏は平氏を本姓とする北条に乗っ取られ、北条は、源氏の足利に倒されました。ならば此度は、平氏である者が足利を討ち滅ぼすのが常道かと…………………」
「なるほど………………」
と、殿はしばし考えた後、一同を見まわし、
「これより儂の本姓は平氏である! 平氏である儂が足利を討ち滅ぼし、この世を平らかに治める! みなのもの、しかと心得よ!」
一同頭を下げ、合戦の仕度へと急いで出て行った。
十兵衛も出ていこうとしたが、殿に不意に呼び止められた。
「十兵衛、この太若丸、なかなか見込みがあるぞ。今後とも儂の傍に置くが、構わぬな」
十兵衛はちらっと視線を寄こしたが、すぐさま信長に笑顔で、
「御意に」
そのまま振り返ることなく出て行った。
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