本能寺燃ゆ

第三章「寵愛の帳」

５１

　信盛は、その現状を見てきたのだから、いかに武田軍が強いか知っている。

「柴田殿は強気だが、武田は強い。やはり、松姫の輿入れを急がせておいた方が良かったのだ」

　松姫の名が出てきて、殿の傍に控えていた奇妙の身体がぴくりと震えた。

「今更そんなことを言っても、詮無きことでしょう」、長秀が呆れたように言う、「敵方に娘をとられようが、息子をとられようが、攻めるとなれば攻めるでしょう」

　確かに、それが世の常である。

　息子であろうが、娘であろうが、主にしてみれば、子であっても〝駒〟である。

　武田だけでなく、織田も同じだ。

「もう少し、徳川殿や佐久間殿が武田を喰いとめておいていただければ……」

「明智殿は、拙者のせいと言われるか！」

「まあまあ……」と、秀貞が間に入る、「それで明智殿、公方様は如何様に出ようや？」

「恐らくですが、武田との戦を見て、織田軍、恐れずに足らず………………と、幕府が見れば、これを機に、各陣に織田征討の命を下すかと。そうなれば、織田は四方八方からの敵に守備しなければなりませぬ」

　家臣たちは眉を寄せる。

　北に浅井・朝倉、南に三好三人衆・石山本願寺、西からは幕府軍、東は武田………………そこに一向宗や根来衆、さらに越後の上杉や中国の毛利勢などが動き出せば、いまは味方の松永氏や北畠氏なども裏切るかもしれない………………そうなれば、流石の織田軍も進退窮まるであろう。

　勝家は相変わらず強気だが、信盛や長秀たちは厳しい顔をしている。

　だが、肝心の信長は落ち着いた表情だ。

「そういったのを分かりきって、あの書状を送ったので？」

　秀貞が訊く。

「左様で」、十兵衛は自信ありげに答える、「あれで、まことの敵が分かります」

「まことの敵とは？」

　十兵衛はにこりと笑う。

「左様、まことの敵でございます。それが分からねば、無駄な戦をするはめになりましょう。なぜ、殿が合戦に出られるたびに、都合よく他の敵も兵をあげるのか？　なぜ挟み撃ちのような状況になるのか………………」

　それは、他の家臣たちも思っていたこと。

　北を攻めていると、それに呼応するかのように南で騒ぎが起き、東に対抗していると、西から攻められ………………そのようなことが、幾度もあった。

　何処かが、指示を出しているかのようだ。

　まさか………………？

　各地の武将に命令を出すことができるのは何れの御仁か？

　まるで、こちらの動きを見透かしているかのように、機をとらえて指示が出せるのは如何なる方か？

「まことの敵が分かれば、余計な戦いをせずに殿も本懐を遂げられるでしょう」

「殿の本懐？」

「天下取り！」

　信長以外、みな驚きの声をあげた。