本能寺燃ゆ

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第三章「寵愛の帳」

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「公方様がお怒りになると見込んで、件の書状を出すことを進言されたからには、明智殿には何らお考えがおありか?」

 信盛は厳しい口調で尋ねる。

「左様ですな……」、十兵衛はにこりと笑う、「公方様の出方というか、奉公衆たちの出方を見ようかと」

「幕府の出方とは?」

「公方様の御気持ちは分かりかねますが……、奉公衆の間では、殿は相当目障りな存在かと」

「殿が目障りとな? 貧乏公方が将軍になれたのは、殿のおかげぞ!」

 勝家が、鬼のような形相で十兵衛を睨みつける。

「まあまあ」と、十兵衛は勝家を宥めるように話す、「それは公方様もお分かりでしょう。が、奉公衆はそうはいかぬでしょう。あれらも、幕臣という意地がありますから、殿が将軍家よりも大きな力を持つとなれば、どうにかして風下に置きたいはず。それが叶わぬのなら、力を弱めたいと思っているはずです。が、殿はどちらにも従わず………………、折しも、北には浅井・朝倉が迫り、東からは武田が、摂津も盤石ではなく、拙者が幕臣なら、この現状を利用して織田の包囲を完成させます」

 どこかで聞いたことがある。

 ああ、織田包囲網といえば、まだ越前にいたころに言い出したことだ。

 結局あの時はならなかったが、いまその状況になろうとしているとは、何たる皮肉。

「そのような包囲網など、屁でもない。拙者が蹴散らしてくれよう!」

 勝家は、鼻息を荒くする。

「柴田殿ならば、それもありましょう。ですが、戦は柴田殿だけでするわけではございません。浅井・朝倉、武田、三好などが一斉に攻めてくれば、そうもいかないでしょう。特に、武田は用心した方が宜しいかと」

「武田? 甲州の山猿ごとき、なんのその!」

「その武田に迫られているではございませんか。その強さは、佐久間殿が良くご存じなはずかと」

 十兵衛に言われ、信盛は苦々しい顔をしている。

「あれは……、徳川の兵があまりにも弱く……、武田も我らとの約束を反故にして……」

 徳栄軒信玄とくえいけんしんげんこと武田晴信たけだはるのぶは、宿敵である不識庵謙信ふしきあんけんしんこと上杉輝虎うえすぎてるとらに加賀の本願寺門徒をぶつけ、相模の北条氏政ほうじょううじまさとは和議を結び、隣国の安全を確保したうえで西へと進んでいく。

 武田領と接するのは、徳川の遠江・三河、織田の美濃………………

 信長とは、嫡男奇妙と晴信の娘松姫の婚儀が約され、表向きは友好関係にあった。

 が、御山攻めの後から晴信の態度が変わる。

 信長を「天魔ノ変化」と非難した。

 天台座主であった覚如を迎い入れ、甲斐に延暦寺を再興しようとまでしている。

 都では、公方様よりも、弾正忠のほうが大きな顔をしているという。

 ―― 不敬である!

 ―― 仏敵である!

 昨年の神無月、晴信は甲府を立ち、西侵する。

 理由は多々あるが、織田との同盟をも破って侵入するのは、領土拡大のためである。

 それ以外は、あくまで表向きの〝大義〟にすぎない。

 晴信は兵を三つに分け、美濃・遠江・三河へと侵入する。

 これを信長と同盟関係にある徳川家康が迎え撃つ。

 武田軍の勢いは凄まじい。

 攻略に半年はかかるだろうという城を僅か数日で落とし、まるで猛進する猪のように、怒涛の如く進んでくる。

 倍以上の兵力と勢いで侵入してくる武田軍に、徳川軍は守勢一方。

 織田に助力を願う。

 信長も、このまま西進する武田軍を、指を咥えて黙って見ているわけにはいかない。

 徳川が敗れれば、信長の本貫である尾張へと侵入してくる。

 海のない山暮らしの晴信にしてみれば、三河、尾張の良港は喉から手が出るほど欲しい。

 信長にしてみれば、織田財政の大元である商業地帯をとられるのは拙い。

 だが、浅井・朝倉軍と睨み合っている状況で大軍を動かすわけにもいかず、武田との同盟も優先して、信長は信盛や平手甚左衛門尉汎秀ひらてじんざえもんのじょうひろひでに僅かの兵を与え、申し訳程度に助力に向かわせる。

 結果からすれば、徳川・織田連合軍は大敗を喫し、武田軍のさらなる西進を許すこととなった。

 さらにいえば、この戦で信長が目をかけていた汎秀も失う。
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