本能寺燃ゆ

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第三章「寵愛の帳」

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 宿老秀貞の言葉に、家臣の間から、驚きとも、呆れとも分からない声が漏れた。

「やはり、あれは拙うござりましたな」と、渋い顔をしたのが、家臣団筆頭格の佐久間右衛門尉信盛である、「拙者の述べたとおり、公方様に対し甚だ不敬であると」

「そうは申されても、佐久間殿も仕舞にはご同意なされたではございませんか」

 丹羽左衛門尉長秀にわさえもんのじょうながひでが口を開く。

「いやいや、拙者ははじめに……」

「今更そのような事をいっても仕方があるまい! 今は、この事態にどう対処すべきかでござろう?」

 勝家は、髭達磨のような顔を顰める。

「それはそうでござるが……」、信盛は眉を顰める、「もとはといえば、件の書状は明智殿から言い出したこと、明智殿は如何にお考えか?」

「まあ、公方様は分かりかねますが、奉公衆が怒るのも然もありなんかと」

「ならば、そなたはこの事態を予期できたと」

「いずれは」

 と、十兵衛は端的に、そして自信を持って言った。

 件の書状とは、昨年末に信長が将軍義昭に対して送りつけた意見書 ―― 諫書である。

 近年宮中への参内が疎かになっているという一件から、信長が御所を造ったのにも関わらず、別のところに居住していることや、幕府に忠勤している古参を大事にしないで、新参者たちを可愛がっていること、幕府備蓄の米を勝手に売ってしまったことなど………………、挙句に百姓連中まで悪御所と陰口を叩いているのはなぜか、よくよく考えられたほうが良いなどと、十七項目に渡って将軍義昭の悪い所業をあげ、諫める書状を送った。

 貞勝の書状によれば、これに対し、将軍義昭が……、というか幕臣連中が怒っているとのことらしい。

 義昭は将軍である。

 信長は管領でもなければ、幕臣でもない、今のところ地方のいち領主である。

 いかに織田家の力と金によって義昭が将軍になることができたといっても、武家の棟梁たる将軍に対して不敬であるというのが奉公衆の意見だし、十兵衛が言うとおり、怒るのも「然もありなん」であろう。

 が、事の発端は、この十兵衛である。

 十兵衛が信長に、幕府の悪行を述べたのがはじまりである。

 十兵衛は、比叡山延暦寺の所領であった京の町屋に地子銭を徴収して、都に来たときのためにとそのまま預けていた。

 それを幕府が、御山の所領のものであると差し押さえたらしい。

 これはあまりに不当だと、十兵衛が泣きついてきたのだ。

 十兵衛にしてみれば、信長から御山攻めの功績で志賀一帯を賜ったのだから、その御山の所領であった京の土地も己のものである ―― 十兵衛というよりも、信長のものであり、信長の命令なくして、十兵衛も地子銭の徴収などしないであろう。

 一方の幕府してみれば、十兵衛はいまだ幕臣である。

 本人の意思はさておき、信長の動向を探るという名目で彼の配下に入ったのだから、いまだ将軍義昭の家臣である。

 その家臣の領地は、幕府の領地である。

 地子銭を差し押さえても当然であるという考えである。

 これに対して信長は、いい気分ではない。

 十兵衛に所領を与えたのは信長である。

 幕府に寄進したわけではない。

 ならば、その所領も、そこから巻き上げた金品も、信長のものだ。

 いくら幕府でも、武士の領地を侵すことはできない。

 武士とはもとより、一所懸命 ―― 己の領地を守ること ―― そのために命を懸ける。

 己の土地だと本領を安堵してもらうために、幕府という機関があるのであり、そのために将軍家へ奉公するのであって、幕府がこれを侵すなら、武士たちは命がけで抵抗した。

 鎌倉から続く、武家の習わしである。

 幕府が、織田軍団が命を懸けて接収した土地や金品を、指一本も動かさずに巻き上げるのではあれば、山賊や盗賊連中よりも始末が悪い。

 なら、こちらも武力で抵抗してやろうとなる。

 そちらがそのつもりなら、こちらもやってやろうかと、信長ならいますぐ大軍を率いて京へと攻め上がってもよかったのだが、此度はそこを抑えて、書状だけで済ましたらしい。

 もちろん、信盛をはじめ、主だった家臣を集めて、これを図った。

 すると、出るわ、出るわ、将軍への不満 ―― というよりも、幕府への不満。

 まあ、なかには言いがかりみたいなものもあったが、これを全部まとめて幕府へと送ったのである。

 当然、信盛などは反対したが、それでも最後は、まあ確かに……と、同意したのであった。
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