本能寺燃ゆ

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第三章「寵愛の帳」

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 しばらく貞勝と藤吉郎は、昔話に華を咲かせていた。

 つまらぬ話なので、億尾を噛み殺したところ、ふいに話が変わった。

「して、浅井・朝倉攻めは如何に?」

 貞勝は声色を変えて尋ねる。

「うむ……」と、藤吉郎も顔を寄せて、小声で話す、「敵もなかなか手強いが、そろそろ大詰めかと思われまする」

 叡山攻めのあとも、信長勢と朝倉・浅井勢は北近江を中心に小競り合いを続けていた。

 いままでは互角か、僅かに信長勢有利な展開であったが、朝倉・浅井勢に陰りが見えてきたようだ。

 弥生の戦では、横山まで出張ってきた信長に対し、北近江一帯の浅井の武将たちは、『織田勢が与語・木本まで進出してくるには方々の難所を超えねばならぬ、疲れ切っておるだろう。一戦交えて蹴散らしてやろう』と、うそぶいていたようだが、信長は何の抵抗を受けることなく出撃し、与語・木本一帯を焼き払ったらしい。

 浅井方の勢いが衰えている証拠である。

「摂津も大人しくなり、大和の謀反人も蹴散らしましたので、安心して北近江を制圧できるかと」

 摂津は、細川六郎ほそかわろくろうや三好三人衆(三好長逸みよしながやす三好宋渭みよしそうい岩成友通いわなりともみち)、顕如けんにょ率いる石山本願寺勢が抵抗していた。

 細川六郎は、管領を務める細川京兆家十九代当主で、三好三人衆に担がれた十四代将軍義栄よしひでの管領として十五代義昭を奉じた信長と敵対し、三人衆とともに抵抗した。

 二年前の元亀元(一五七〇)年、信長陣営は、南からは細川や三好三人衆、本願寺が攻め上がり、北から浅井や朝倉、六角が攻め下りてくる状況で、進退窮まり、和睦を模索していた。

 表向きは、十五代義昭に抗する敵を打ち払う、天下泰平のための戦である。

 が、このままでは将軍家の権威だけでなく、己の身体も危うくなると思った義昭からも、和睦を勧められた。

 信長は、これ幸いにと、ときの帝(正親町天皇)より「講和を希望す」というお言葉もいただいて、各陣営と和睦した。

 この時の礼にと、この四月に細川六郎ら摂津勢が上洛した。

 その講和以来、六郎は義昭から一字を賜り、昭元あきもとと名乗った。

 石山本願寺の顕如からも、和睦の記念として「万里江山ばんりこうざん」の絵一幅と、白天目茶碗を贈られた。

 同じ頃、一度信長についた大和の松永弾正久秀まつながだんじょうひさひで久通ひさみち親子が、三好義継みよしよしつぐと共謀し、反旗を翻したが、これを佐久間信盛さくまのぶもり柴田勝家しばたかついえらが鎮圧した。

 それ以降、京畿は比較的静かである。

 この機会に乗じて、長年の懸念であった浅井・朝倉を討つらしい。

「この度は、殿のご嫡男奇妙きみょう(のちの信忠のぶただ)様も初陣なされるとのこと。初陣を飾る戦ですので、大がかりなものになりましょう。これで、浅井・朝倉も最期でござろう」

 藤吉郎は、自信満々だ。

「ならば宜しいが……」

 逆に心配そうなのが、貞勝である。

「吉兵衛殿には、何かございますか?」

 貞勝は、藤吉郎の耳元に口を寄せ、声を落として話す。

「公方様には気をつけられたほうがよろしいかと……」

「何か、そういう動きがございますか?」

「いや、どうも最近疑心暗鬼になられておられるというか……、まあ、公方様というよりも、奉公衆のほうがあれやこれやと詮索しておりまして……」

「詮索?」、藤吉郎は首を傾げる。

「殿は、なぜ京に上がられないのかとか、なぜ公方様のお傍にお仕えしないのかとか、あとは………………」

 随分言いづらそうである。
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