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第三章「寵愛の帳」
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「太若丸殿の踊りの評判が、岐阜にも聞こえたようですぞ」
と、文月の半ばに、貞勝から嬉しそうに言われた。
何事かと尋ねると、
「殿が、一度太若丸殿の踊りを見たいとの旨、京に上がられるそうでござるよ」
まさか、わざわざ舞いを見るために、岐阜から都までくるものかと、太若丸殿は話半分で聞いていた。
が、本当にやってきた。
とは言っても、やってきたのは木下藤吉郎である。
信長の遣いでやってきたらしい。
「いやいや、殿は朝倉・浅井討伐の支度でお忙しいため、『猿、おぬし、ちょっと都へ行って噂の稚児をつれてこい』とご下命つかまつりまして………………、おお、これは太若丸殿、お久しゅう、御山の一件以来ですかな」
貞勝に呼ばれてお堂に行くと、額の禿げあがった、出っ歯の、猿というよりは、鼠のような ―― 八郎が言っていた ―― 男が額に皺を寄せ、目じりにも皺を寄せ、愛想よく声をかけてきた。
はじめは、誰だったろうかと思ったが、聞いていた容姿から藤吉郎だと分かった。
確かに、御山のときに一度会ったとは思うが、それほど記憶にない。
が、藤吉郎のほうは良く覚えていたようだ。
「そりゃ、忘れるものですか。あの時の太若丸殿のご高説、拙者、心に沁み入りました」
と、藤吉郎は胸に手をあて、大げさに感心してみせる。
はあ………………当の本人は、何を言ったかも覚えてはいなかったが………………
「いや~、しかし、あの時もまるで女人のような、綺麗で可愛らしいお稚児さんだとは思いましたが、こうやってよくよく見ても………………」、藤吉郎は鼻の下を伸ばし、太若丸の頭から指先、足先まで舐めるように見回す、「女人というよりも、まるで天女様ですな、ふむふむ」
何やらひとりで喜び、ひとりで頷いている。
「太若丸殿、お気をつけなされよ。この御仁、相当な女好きですからな」
貞勝は笑いながら言うが、笑い事ではないと思うが………………
「どうせ都でも、女漁りに精を出されるのでしょう? 奥方に泣かれますぞ」
「吉兵衛殿、何卒それはご内密に」、藤吉郎は慌てて遮る、「御寧に知れたら、拙者、家を追いだされまする」
「もう何度目か? 今度は土下座では済まされるのではないか?」
「腹切って、首を差し出さねば、御寧も許してはくれませぬよ」
藤吉郎は涙目だ。
「身から出た錆でござるよ」
貞勝は苦笑する。
「それに、太若丸殿に手を出したら、殿や十兵衛殿に叱られまする。おお、そういえば、十兵衛殿はお変わりなく?」
多分………………太若丸も、ここ数カ月会ってはいないが………………
「一度志賀に赴いて、坂本の普請を拝見し、城取について色々と教えていただきたいのですが、如何せん、拙者も方々忙しく、この度の朝倉・浅井討伐にもお供ゆえ………………、十兵衛殿によろしくお伝えくだされ」
それなら、早く志賀に返して欲しいと思った。
それに気が付いたのか、
「申し訳ござらんが、太若丸殿は拙者と岐阜へ」
藤吉郎に念を押された。
京から、岐阜へ………………また十兵衛とは当分会えそうになさそうだ。
「しかし、太若丸殿に離れられると、困りますな。職人たちの士気にかかわる。殿の命ならば仕方がござらんが……、終われば、再び戻ってこられるのであろう?」
貞勝は訊く。
京よりも、坂本に戻りたいのだが………………
「うむ? まあ……、多分」
何とも心もとない返事である。
「申し訳ござらんふが、こればっかりは殿の御心ひとつでござるので……」
「是非もあらん。以前にも殿は………………」
と、文月の半ばに、貞勝から嬉しそうに言われた。
何事かと尋ねると、
「殿が、一度太若丸殿の踊りを見たいとの旨、京に上がられるそうでござるよ」
まさか、わざわざ舞いを見るために、岐阜から都までくるものかと、太若丸殿は話半分で聞いていた。
が、本当にやってきた。
とは言っても、やってきたのは木下藤吉郎である。
信長の遣いでやってきたらしい。
「いやいや、殿は朝倉・浅井討伐の支度でお忙しいため、『猿、おぬし、ちょっと都へ行って噂の稚児をつれてこい』とご下命つかまつりまして………………、おお、これは太若丸殿、お久しゅう、御山の一件以来ですかな」
貞勝に呼ばれてお堂に行くと、額の禿げあがった、出っ歯の、猿というよりは、鼠のような ―― 八郎が言っていた ―― 男が額に皺を寄せ、目じりにも皺を寄せ、愛想よく声をかけてきた。
はじめは、誰だったろうかと思ったが、聞いていた容姿から藤吉郎だと分かった。
確かに、御山のときに一度会ったとは思うが、それほど記憶にない。
が、藤吉郎のほうは良く覚えていたようだ。
「そりゃ、忘れるものですか。あの時の太若丸殿のご高説、拙者、心に沁み入りました」
と、藤吉郎は胸に手をあて、大げさに感心してみせる。
はあ………………当の本人は、何を言ったかも覚えてはいなかったが………………
「いや~、しかし、あの時もまるで女人のような、綺麗で可愛らしいお稚児さんだとは思いましたが、こうやってよくよく見ても………………」、藤吉郎は鼻の下を伸ばし、太若丸の頭から指先、足先まで舐めるように見回す、「女人というよりも、まるで天女様ですな、ふむふむ」
何やらひとりで喜び、ひとりで頷いている。
「太若丸殿、お気をつけなされよ。この御仁、相当な女好きですからな」
貞勝は笑いながら言うが、笑い事ではないと思うが………………
「どうせ都でも、女漁りに精を出されるのでしょう? 奥方に泣かれますぞ」
「吉兵衛殿、何卒それはご内密に」、藤吉郎は慌てて遮る、「御寧に知れたら、拙者、家を追いだされまする」
「もう何度目か? 今度は土下座では済まされるのではないか?」
「腹切って、首を差し出さねば、御寧も許してはくれませぬよ」
藤吉郎は涙目だ。
「身から出た錆でござるよ」
貞勝は苦笑する。
「それに、太若丸殿に手を出したら、殿や十兵衛殿に叱られまする。おお、そういえば、十兵衛殿はお変わりなく?」
多分………………太若丸も、ここ数カ月会ってはいないが………………
「一度志賀に赴いて、坂本の普請を拝見し、城取について色々と教えていただきたいのですが、如何せん、拙者も方々忙しく、この度の朝倉・浅井討伐にもお供ゆえ………………、十兵衛殿によろしくお伝えくだされ」
それなら、早く志賀に返して欲しいと思った。
それに気が付いたのか、
「申し訳ござらんが、太若丸殿は拙者と岐阜へ」
藤吉郎に念を押された。
京から、岐阜へ………………また十兵衛とは当分会えそうになさそうだ。
「しかし、太若丸殿に離れられると、困りますな。職人たちの士気にかかわる。殿の命ならば仕方がござらんが……、終われば、再び戻ってこられるのであろう?」
貞勝は訊く。
京よりも、坂本に戻りたいのだが………………
「うむ? まあ……、多分」
何とも心もとない返事である。
「申し訳ござらんふが、こればっかりは殿の御心ひとつでござるので……」
「是非もあらん。以前にも殿は………………」
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