183 / 498
第三章「寵愛の帳」
27
しおりを挟む
吉兵衛は、二条の妙覚寺にいた。
寺の一角を借り、京を奉行しているらしい。
通されたのは本堂で、そこで一刻ほど待たされただろうか?
流石の太若丸も手持無沙汰となり、あっちこっちと見まわしていると、廊下の奥からどたどたと慌ただしい足音が聞こえてきた。
「いやいや、忙しい、忙しい」
入ってきたのは頭の禿げあがった初老の侍で、手を扇子のように仰いで、顔に風を送りながらどかりと座り込んだ。
十兵衛から遣わされたと名乗ると、
「いやいや、これは遠路はるばる」
と、丁重に迎えられた。
「明智殿はお変わりなく? それは、それは。いや、明智殿にはさんざん世話になりましてな」
村井吉兵衛貞勝は信長の側近中の側近で、弟の信行が反旗を翻した際の交渉の手際の良さを買われてか、義昭を奉じて上洛した際にも同行し、そのまま京の差配を任じられたらしい。
京の差配とは、将軍の補佐から監視、帝や公家衆、寺社、町衆との交渉など、その範囲は多岐に渡る。
「……とはいうものの、田舎侍の拙者ですから、そういった伝手もなく、明智殿は方々を歩いてこられておられたので、そういった顔も広く、また有職故実にも詳しいので、何かと助けていただきました。それで、いまは坂本で?」
左様と答えると
「いや~、左様でござるか、出来れば、こちらにいらして欲しいのですが……、色々と相談事も溜まっておりますし、拙者ひとりでは到底捌ききれず……」
部屋に案内されながら、何とか十兵衛はこちらに来られないだろうかと相談されたが、そのようなことを己に言われてもと思ったので、適当に誤魔化した。
「大変申し訳ないですが、他の者と一緒ですが、部屋はここをお使いくだされ」
案内だけして、貞勝は「忙しい、忙しい」と、早々に引き上げた。
十畳ほどの部屋には、太若丸のような稚児や若衆が十人ほどいた。
じろっとこちらを睨む ―― 冷たい目だ。
太若丸はただ頭を下げ、隅の方で荷を解き始める。
背中から、ぼそぼそと話し声がする。
「あれは、御山の稚児やな」
「くそ坊主どもの玩具や」
くすくすと卑しい笑い声がする。
何がくそ坊主か………………太若丸は、比叡山延暦寺で稚児灌頂を受けた観音菩薩である。
その辺のくそ寺の、下賎な稚児とは格が違うのである。
太若丸は、ぴんと背筋を伸ばし、他の連中を見ることなしに厠に立った。
出際に、何者かが足を出して転ばそうとしたようだが、ひょいっと避けてやった。
厠で用を足していると、ひとりの若衆が隣に立った。
上背のある、目元のすっきりとした、細身の男である。
「初顔でございますな。某は………………」
何処何処の何某と名乗ったが、興味もないので忘れた。
「そなた、先程の件で目を付けられましたぞ。充分気をつけられたほうが良い。まあ、何かあれば、某に言ってくだされ。話をつけまするゆえ」
男は、小便をしながら、にこりと笑みを寄こす。
この男が、あの部屋なかで餓鬼大将のような立場のようだ。
何かあったら話せというが、その何かをやらせているのは、そなただろう………………村でも同じことがあった、どこも人の性質というのは変わりがない。
なるほど、これからこんな連中とともに生活しなければならないのかと思うと、少々嫌気がさした。
これなら、まだ志賀にいたほうがましか………………だが、玉子の件もあるし、十兵衛からの頼みであるので、まあ、数カ月のことだろうと、黙って頭を下げ、厠をあとにした。
己は己、他は他、と思い、他の連中とは必要以上の話はせずに、当たり障りなく過ごすこにしよう。
寺の一角を借り、京を奉行しているらしい。
通されたのは本堂で、そこで一刻ほど待たされただろうか?
流石の太若丸も手持無沙汰となり、あっちこっちと見まわしていると、廊下の奥からどたどたと慌ただしい足音が聞こえてきた。
「いやいや、忙しい、忙しい」
入ってきたのは頭の禿げあがった初老の侍で、手を扇子のように仰いで、顔に風を送りながらどかりと座り込んだ。
十兵衛から遣わされたと名乗ると、
「いやいや、これは遠路はるばる」
と、丁重に迎えられた。
「明智殿はお変わりなく? それは、それは。いや、明智殿にはさんざん世話になりましてな」
村井吉兵衛貞勝は信長の側近中の側近で、弟の信行が反旗を翻した際の交渉の手際の良さを買われてか、義昭を奉じて上洛した際にも同行し、そのまま京の差配を任じられたらしい。
京の差配とは、将軍の補佐から監視、帝や公家衆、寺社、町衆との交渉など、その範囲は多岐に渡る。
「……とはいうものの、田舎侍の拙者ですから、そういった伝手もなく、明智殿は方々を歩いてこられておられたので、そういった顔も広く、また有職故実にも詳しいので、何かと助けていただきました。それで、いまは坂本で?」
左様と答えると
「いや~、左様でござるか、出来れば、こちらにいらして欲しいのですが……、色々と相談事も溜まっておりますし、拙者ひとりでは到底捌ききれず……」
部屋に案内されながら、何とか十兵衛はこちらに来られないだろうかと相談されたが、そのようなことを己に言われてもと思ったので、適当に誤魔化した。
「大変申し訳ないですが、他の者と一緒ですが、部屋はここをお使いくだされ」
案内だけして、貞勝は「忙しい、忙しい」と、早々に引き上げた。
十畳ほどの部屋には、太若丸のような稚児や若衆が十人ほどいた。
じろっとこちらを睨む ―― 冷たい目だ。
太若丸はただ頭を下げ、隅の方で荷を解き始める。
背中から、ぼそぼそと話し声がする。
「あれは、御山の稚児やな」
「くそ坊主どもの玩具や」
くすくすと卑しい笑い声がする。
何がくそ坊主か………………太若丸は、比叡山延暦寺で稚児灌頂を受けた観音菩薩である。
その辺のくそ寺の、下賎な稚児とは格が違うのである。
太若丸は、ぴんと背筋を伸ばし、他の連中を見ることなしに厠に立った。
出際に、何者かが足を出して転ばそうとしたようだが、ひょいっと避けてやった。
厠で用を足していると、ひとりの若衆が隣に立った。
上背のある、目元のすっきりとした、細身の男である。
「初顔でございますな。某は………………」
何処何処の何某と名乗ったが、興味もないので忘れた。
「そなた、先程の件で目を付けられましたぞ。充分気をつけられたほうが良い。まあ、何かあれば、某に言ってくだされ。話をつけまするゆえ」
男は、小便をしながら、にこりと笑みを寄こす。
この男が、あの部屋なかで餓鬼大将のような立場のようだ。
何かあったら話せというが、その何かをやらせているのは、そなただろう………………村でも同じことがあった、どこも人の性質というのは変わりがない。
なるほど、これからこんな連中とともに生活しなければならないのかと思うと、少々嫌気がさした。
これなら、まだ志賀にいたほうがましか………………だが、玉子の件もあるし、十兵衛からの頼みであるので、まあ、数カ月のことだろうと、黙って頭を下げ、厠をあとにした。
己は己、他は他、と思い、他の連中とは必要以上の話はせずに、当たり障りなく過ごすこにしよう。
0
お気に入りに追加
26
あなたにおすすめの小説


1333
干支ピリカ
歴史・時代
鎌倉幕府末期のエンターテイメントです。
(現在の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』から、100年ちょい後の話です)
鎌倉や京都が舞台となります。心躍る激しい合戦や、ぞくぞくするようなオドロオドロしい話を目指そうと思いましたが、結局政治や謀略の話が多くなりました。
主役は足利尊氏の弟、直義です。エキセントリックな兄と、サイケデリックな執事に振り回される、苦労性のイケメンです。
ご興味を持たれた方は是非どうぞ!

大航海時代 日本語版
藤瀬 慶久
歴史・時代
日本にも大航海時代があった―――
関ケ原合戦に勝利した徳川家康は、香木『伽羅』を求めて朱印船と呼ばれる交易船を東南アジア各地に派遣した
それはあたかも、香辛料を求めてアジア航路を開拓したヨーロッパ諸国の後を追うが如くであった
―――鎖国前夜の1631年
坂本龍馬に先駆けること200年以上前
東の果てから世界の海へと漕ぎ出した、角屋七郎兵衛栄吉の人生を描く海洋冒険ロマン
『小説家になろう』で掲載中の拙稿「近江の轍」のサイドストーリーシリーズです
※この小説は『小説家になろう』『カクヨム』『アルファポリス』で掲載します

【完結】電を逐う如し(いなづまをおうごとし)――磯野丹波守員昌伝
糸冬
歴史・時代
浅井賢政(のちの長政)の初陣となった野良田の合戦で先陣をつとめた磯野員昌。
その後の働きで浅井家きっての猛将としての地位を確固としていく員昌であるが、浅井家が一度は手を携えた織田信長と手切れとなり、前途には様々な困難が立ちはだかることとなる……。
姉川の合戦において、織田軍十三段構えの陣のうち実に十一段までを突破する「十一段崩し」で勇名を馳せた武将の一代記。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
故郷、甲賀で騒動を起こし、国を追われるようにして出奔した
若き日の滝川一益と滝川義太夫、
尾張に流れ着いた二人は織田信長に会い、織田家の一員として
天下布武の一役を担う。二人をとりまく織田家の人々のそれぞれの思惑が
からみ、紆余曲折しながらも一益がたどり着く先はどこなのか。

永き夜の遠の睡りの皆目醒め
七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。
新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。
しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。
近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。
首はどこにあるのか。
そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。
※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

本能のままに
揚羽
歴史・時代
1582年本能寺にて織田信長は明智光秀の謀反により亡くなる…はずだった
もし信長が生きていたらどうなっていたのだろうか…というifストーリーです!もしよかったら見ていってください!
※更新は不定期になると思います。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる