本能寺燃ゆ

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第三章「寵愛の帳」

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 吉兵衛は、二条の妙覚寺にいた。

 寺の一角を借り、京を奉行しているらしい。

 通されたのは本堂で、そこで一刻ほど待たされただろうか?

 流石の太若丸も手持無沙汰となり、あっちこっちと見まわしていると、廊下の奥からどたどたと慌ただしい足音が聞こえてきた。

「いやいや、忙しい、忙しい」

 入ってきたのは頭の禿げあがった初老の侍で、手を扇子のように仰いで、顔に風を送りながらどかりと座り込んだ。

 十兵衛から遣わされたと名乗ると、

「いやいや、これは遠路はるばる」

 と、丁重に迎えられた。

「明智殿はお変わりなく? それは、それは。いや、明智殿にはさんざん世話になりましてな」

 村井吉兵衛貞勝さだかつは信長の側近中の側近で、弟の信行のぶゆきが反旗を翻した際の交渉の手際の良さを買われてか、義昭を奉じて上洛した際にも同行し、そのまま京の差配を任じられたらしい。

 京の差配とは、将軍の補佐から監視、帝や公家衆、寺社、町衆との交渉など、その範囲は多岐に渡る。

「……とはいうものの、田舎侍の拙者ですから、そういった伝手もなく、明智殿は方々を歩いてこられておられたので、そういった顔も広く、また有職故実にも詳しいので、何かと助けていただきました。それで、いまは坂本で?」

 左様と答えると

「いや~、左様でござるか、出来れば、こちらにいらして欲しいのですが……、色々と相談事も溜まっておりますし、拙者ひとりでは到底捌ききれず……」

 部屋に案内されながら、何とか十兵衛はこちらに来られないだろうかと相談されたが、そのようなことを己に言われてもと思ったので、適当に誤魔化した。

「大変申し訳ないですが、他の者と一緒ですが、部屋はここをお使いくだされ」

 案内だけして、貞勝は「忙しい、忙しい」と、早々に引き上げた。

 十畳ほどの部屋には、太若丸のような稚児や若衆が十人ほどいた。

 じろっとこちらを睨む ―― 冷たい目だ。

 太若丸はただ頭を下げ、隅の方で荷を解き始める。

 背中から、ぼそぼそと話し声がする。

「あれは、御山の稚児やな」

「くそ坊主どもの玩具や」

 くすくすと卑しい笑い声がする。

 何がくそ坊主か………………太若丸は、比叡山延暦寺で稚児灌頂を受けた観音菩薩である。

 その辺のくそ寺の、下賎な稚児とは格が違うのである。

 太若丸は、ぴんと背筋を伸ばし、他の連中を見ることなしに厠に立った。

 出際に、何者かが足を出して転ばそうとしたようだが、ひょいっと避けてやった。

 厠で用を足していると、ひとりの若衆が隣に立った。

 上背のある、目元のすっきりとした、細身の男である。

「初顔でございますな。それがしは………………」

 何処何処の何某と名乗ったが、興味もないので忘れた。

「そなた、先程の件で目を付けられましたぞ。充分気をつけられたほうが良い。まあ、何かあれば、某に言ってくだされ。話をつけまするゆえ」

 男は、小便をしながら、にこりと笑みを寄こす。

 この男が、あの部屋なかで餓鬼大将のような立場のようだ。

 何かあったら話せというが、その何かをやらせているのは、そなただろう………………村でも同じことがあった、どこも人の性質というのは変わりがない。

 なるほど、これからこんな連中とともに生活しなければならないのかと思うと、少々嫌気がさした。

 これなら、まだ志賀にいたほうがましか………………だが、玉子の件もあるし、十兵衛からの頼みであるので、まあ、数カ月のことだろうと、黙って頭を下げ、厠をあとにした。

 己は己、他は他、と思い、他の連中とは必要以上の話はせずに、当たり障りなく過ごすこにしよう。
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