本能寺燃ゆ

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第三章「寵愛の帳」

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 花の都 ―― 京である。

 延暦十三(七九四)年、平城京ならのみやこより長岡への遷都に失敗した桓武帝は、山背国のこの盆地を都に選定した ―― 平安京たいらのみやこである。

 平清盛たいらのきよもりによって、一時期福原に遷都したが、源頼朝みなもとのよりともが鎌倉に幕府を開こうが、室町将軍が各地を放浪しようが、依然としてまつりごとの中心地であり、経済・文化の中心地である。

 山城盆地の北側に、すっぽりと収まるほどの平安京は、碁盤目状の整然とした都市造りを目指していたが、右京側(西側)は開発が進まず、早い段階で農地になり、公家衆も左京(東側)の大内裏に近い付近に居住したため、百年経つ頃には、当初の面影もなくなっていた。

 さらに、戦火が都の形成変化に拍車をかける。

 政の中心という事は、戦の中心であり、公家、武家だけでなく、寺社勢力も互いに焼き討ちをかけるなど、勢力争いに明け暮れ、帝のおわす内裏さえも戦火に塗れ、鴨川に近いところまで移動することとなった。

 太若丸が京にあがった頃には、鴨川沿いに町が広がっていた。

 鴨川の東岸から東山山麓一帯を洛外、西岸から大宮大路辺りまでを洛中、さらに洛中を二条で上下に分け、一条より北に作られた場所を上京、七条までの一帯を下京と呼んだ。

 洛外は、寺社仏閣が多い。

 上京は、御所を中心として、公家や武家の屋敷が並ぶ。

 下京は、商人や職人、庶民の町、いわゆる町衆である。

 京では、この町衆が強い。

 幾たびも戦火に見舞われ、特に応仁・文明の大乱では京の大半が焼失したといわれているが………………本当は上京辺りでの戦闘がほとんどで、下京の被害はそれほどでもなく、経済活動は続いていたらしい………………それにしても、荒廃した都を復興し、その経済を支えつづけたのは、彼ら町衆である。

 ちなみに、この町衆、日蓮宗の信者が多いらしく、法華一揆といって、一向宗の本山であった山科本願寺を焼き討ちし、門徒らを京から追い出したことがあった。

 追い出された門徒たちが、新たに拠点としたのが、大坂の石山本願寺である。

 この石山本願寺が、信長と対立する。

 が、今度は日蓮宗が、比叡山の僧兵に襲われ、京にあった日蓮宗の寺はことごとく焼かれた。

 なので、比叡山を攻め、また一向宗と対立する信長には、じつに好意的である。

 義昭を将軍とし、その御所だけでなく、帝の内裏の修復にも尽力するので、弥が上にも株はあがる。

 足利公よりも、弾正忠が将軍になってくれたほうがいいのではないか………………などという町衆の噂話を耳にしながら、太若丸は村井吉兵衛の屋敷に入った。
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