本能寺燃ゆ

hiro75

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第三章「寵愛の帳」

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 それから、お互いに得意なことを教え合った。

 教えてはじめて分かったことは、玉子は兎角気分の差が激しい。

 自分の気乗りしないことは面倒臭そうで、飽きっぽい。

 手習いなどは、はじめからやる気がなく、絵を描いている。

 それを太若丸に見せて、『どうです、上手いでしょう?』と、笑っている。

 玉子様、少しは真面目におやりくださいと怒ると、すぐに頬を膨らませる。

『手習いなんて、何の役に立つのです?』

 読み書きができれば、見識が広がります。

『それが広がって、何かいいことがあるのですか?』

 世の流れというのを掴むことができるし、さすれば、己がどこに立ち、どこに行くべきか、その指針となる………………

『吾はここに居ますよ。太若丸殿も』

 このどこに立つべきかとは、その心の持ちようのことで………………

『ああ、めんどい! そんなこと、いちいち考えていては、何もできませんよ。それよりも、剣をやりましょう、馬に乗りましょう、そうすれば、気分もすっきりとしますよ』

 と、外に連れ出され、剣術の稽古をさせられたり、馬に乗せられたりするのであった。

 なるほど、玉子の母が心配するのも頷ける。

 うむ、これでは嫁の貰い手に苦労するだろうな………………どこぞに、気性が激しく、武力に長けた女を好いてくれる男がいてくれればいいのだが………………

 そういう女が好きだという男もいる。

 僧のなかにも、従順な女よりも、少々激しい女の方がいいという者もいた。

 が、これは臥所の中のことで、夫婦として傍に仕えるとなると、話は別らしい。

 男というのは、大半が三つ指をついて傅く女が好きらしい。

 となると、玉子殿を好いてくれる男が現れるか心配なのだが………………

 肝心の玉子は、そんな心配露ほどもしていないようだ。

 先程から、にこやかに桜を眺めている。

 焼けた首筋に、汗が煌めいている。

 こうして見ると、太若丸も見惚れるほどの良い女なのだが………………

 見た目と、中身の差が激しいだけに、ご母堂様も心配なされているのだろう………………

 その母が、菓子と白湯をもってやってきた。

「剣術の稽古は終わりですか? これでもいかが?」

 菓子は、桜の葉に包まれた餅である ―― 桜の葉は、昨年摘み取り、塩漬けにしていたらしい。

 口に含むと、なかの餡子の仄かな甘みと、葉っぱのしょっぱさが相まって、何とも美味しい。

「まだありますよ」

 と、玉子の母の後に、もうひとりの女が菓子を持ってきた。

 十兵衛の妻である。

 彼女は、太若丸の傍らに座り、「どうぞ」と笑顔を見せる。

 太若丸は気のない返事をして、そっぽを向いた。

 代わりに、玉子が手を伸ばす。

「では、吾が……」

 ぱちんと、母に手を叩かれた。

「あなたは食べすぎです!」

「腹が減っては、戦はできません!」

「あなたは戦ではなく、嫁に行きなさい! 太若丸殿の稽古も良いですが、あなたの方はどうなのですか? 手習いは? 歌は? お茶は?」

「歌を詠っても腹に溜まりませんよ」

「歌も、侍としての嗜みです」

「めんどい!」

「面倒とはなんですか? 太若丸殿が折角教えてくださっているのに。太若丸殿の歌は素晴らしのですよ」

 褒められると、素直に嬉しい。

「まことに、太若丸殿は歌の才能がおありで、羨ましいですわ」

 十兵衛の妻に言われると、しらける。

 寺の奥から赤子の泣き声があがる。

「あらあら」と、十兵衛の妻は立ち上がり、奥へと駆けていった。

煕子ひろこ様もお忙しい」

 玉子が笑う。

初子ういごですからね。いずれはあなたも、婿をとるか、嫁にいくかして、子を産むのですよ」

「え~、めんどい!」

「面倒とはなんですか? 子を産み、家を継ぐのも武家の女としての務めです」

「吾は、嫁には行きません」

「嫁に行かずにどうするのです?」

「淡海まで行きましょう、太若丸殿」

 母には答えず、玉子は立ち上がった。

 太若丸も、素直に頷いた。
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